44.浅慮
エイヴリル、ディラン、リステアードが半地下の古い部屋を出て行った直後。
三人を隠れて見送ったアロイスは、手下の男とともに物陰から慎重に姿を現した。そうして、指示する。
「急げ。彼らがいつ戻るかわからないぞ」
「はっ」
手下の男を急かしながら、ついさっきまでエイヴリルたちがいた部屋に侵入する。
二重の扉を抜けてすぐに広がる、殺風景な廊下からは全く想像できない、きちんとした部屋に驚いた。
「くそっ。あの悪女にこんなに過ごしやすそうな部屋を準備してやるとは。国王陛下まで悪女の手管に籠絡されるとは情けない。……こんな人間らしい部屋は必要ない。罪人を収容する牢で十分だというのに」
アロイスはそう言いながら、部屋の隅に置かれた書き物机を目指す。普段使われていない部屋のはずなのに、埃ひとつないことが気になった。
国王が女官に命じて掃除をさせたのだろうか。食事を運ぶ以外の世話はするなと言ってあったはずなのに。
罪人が自分で進んで掃除をし、快適な罪人生活を楽しもうとする可能性を思いつけるはずがないアロイスは、命令を無視されたと思い込み、歯軋りをした。
そんな中、粛々とアロイスに従っていた手下の男は、あることに気がついたようだ。
「??? 何だかこの部屋、甘くていい匂いがしますね。誰もを虜にする悪女とは、このような香りをさせているのでしょうか」
彼は、思わず本音を漏らしてしまったらしい。虫の居所が悪いアロイスは、それをぎろりと睨んだ。
「黙れ」
「も、申し訳ございません」
「そんなことを考えている時間はないだろう。早くこれを隠して、部屋を出るんだ」
アロイスの手には、持ち出し禁止の『国家試験問題』が握られていた。
説明するまでもない。
今日、リステアードが悪女をともなって王宮内の客室を確認しに行くという話を聞いたアロイスが周囲の目を盗んでここに来たのは、証拠を捏造するためである。
元々、アロイスはエイヴリルが試験について不正を働いたと本気で信じていた。
それほどにあの答案は完璧すぎたし、三十年前に次席で合格したはずの自分にも意味がわからなかった。
しかし、不正をしていないはずがないと思い、勇み足で捕らえたものの、どんなに捜しても今のところ証拠は見つかっていない。
(だが、あの答案が不正でないはずがない。……使節団の特使は間違いなくできる男だ。あの男が陰で糸を引いているとしたら、隠し切ることは可能だろう)
アロイスの中では「エイヴリルは不正によって首席合格した」「ディランの手引きによるものだ」という仮説が真実になっている。
真実なのだから、時間をかけて調査すれば必ず証拠が見つかるはずだ。偽の証拠を置いておくのはそれまでの繋ぎにすぎない。
後から本物が見つかるのだから、大したことではないだろう。そして、懸念すべき点はほかにもある。
「悪女を合格させたことで、全体の合格者数を増やしたのも、成績上位を三名から四名に増やしたのも、あの特使――ディラン・シェラードという男の意見を採用したものだというではないか」
苛立ちを堪えきれず、ぶつぶつと独り言が部屋に響く。
「この私ではなく異国の特使の方を信用するとは。国王陛下は一体何をお考えなのか。ディラン・シェラードもあの悪女の道連れになってしまえばいいんだ」
そうして、『国家試験問題』を机の上に置く。
もちろん、隠していたというていに見えるよう、他の本の間に挟んだ。
これを女官に見つけさせ、大袈裟に騒ぎ立てれば、ここまで極端な立場を取ってこなかった国王もさすがに庇いきれないだろう。
風紀を乱し社会を混乱に陥れる悪女は投獄され、目障りな特使は罪を償ったうえで追放され、国王はまた自分の意のままに動くようになる。
何よりも、これをきっかけに、異国との関係はまた遠ざかるだろうことが喜ばしい。
「こうして国を守っていくことが我が国の伝統なんだ。あの若い国王は、最近調子に乗っているようで……何もわかっていない」
机の上に置かれた香炉から立ちのぼる甘い匂い。さっき、手下の男がこの香りを話題にしたときは、ひどく腹立たしかった。だが、よく考えると数時間後にはあの悪女は牢屋行きだ。
(これから自分がどうなるかも知らずに、寂れた棟でこんなものを焚いて。呑気なものだな。フン)
アロイスはニヤリと口の端をあげると、部屋を後にしたのだった。




