40.合格と落とし穴
なぜか、離れた場所から、わあっと歓声が上がる。
それは、試験で知り合った受験者たちのような気がした。その騒がしさをディランはなんとも言えない表情で見つめていたが、エイヴリルには笑顔を向けてくれた。
「合格おめでとう。……よく頑張ったな」
「はい、ありがとうございます」
遠くから聞こえる祝福の声に向けて、淑女の礼をする。
そして、左にディラン、右にクリスを従えた自分は、どこからどう見ても悪女だろう。まさか、悪女の自分をこんなに祝福してくれる人たちがいるなんて。
続く合格者の名前が読み上げられる中、エイヴリルはひたすらに幸せを噛み締めたのだった。
(なんて、ありがたいことなのでしょうか……!)
けれど、ここで終わってしまっては目的は達成できないのだ。ただ隣国の国家試験を邪魔しただけになってしまう。
「問題は、この後なのですよね」
「……ああ」
どよめきと歓声に包まれた合格者発表がやっと終わった。今度は、首席、次席、三席の発表がある。緊張で、息が詰まった。
「試験期間中に皆様にお伺いしたところ、この上位三位までに入ると、国王陛下からのご褒美がもらえるだけでなく、配属に配慮があるようです。希望する部署や花形部署に配属されやすいと」
「まぁ、そういうものだろうな」
順位の発表を見守る合格者の多くは、本気で首席を狙ってはいないようだ。ただ一部の合格者だけが固唾を飲んで、発表を今か今かと見守っている。
その中に、ジャンヌ・ヘルツフェルトの姿も見えた。
(お父上が国王陛下の側近なんですもの。ジャンヌ様は大きな期待を背負って、大変なことだったでしょう)
一緒にディランの母親を助けてくれたジャンヌ。彼女にも良い結果になりますようにと、願わずにはいられない。自然とそんな想いになったところで、やっと上位三人の発表が始まった。
「三席、オーブリー・ボードリエ」
わっと拍手が湧き起こる。
「――同じく三席、ジャンヌ・ヘルツフェルト」
(……えっ?)
どういうことか、二人の名前が呼ばれた。
てっきり、一位につき一人の名前が呼ばれるものと思い込んでいたエイヴリルは、驚きで顔を上げる。同じことを思っていたらしい会場の面々にもどよめきが起き、ディランが息を呑んだ。エイヴリルが掴んでいるクリスの右腕もぴくりと反応したのがわかる。
「次席、ブノワ・ベニシュ」
次席者の名前が呼ばれても、三席が二人呼ばれたせいで動揺した会場の空気は戻らない。拍手は起きなかった。
不自然な静けさが大広間に満ちていく。
(先ほど、合格者の発表のときに『異国からの受験者の合格に伴い、合格者数を増やした』というようなアナウンスがありました)
それが、どういうことなのか。
エイヴリルが答えを言語化する前に、名前が呼ばれた。
「――首席合格者、エイヴリル・アリンガム」
一瞬の静寂の後。
どっと大きな拍手が起きた。皆がこちらを見て、祝福してくれている。エイヴリルは慌ててディランの方を見上げた。
「ディラン様、わたし――」
それにディランが応じる前に、周囲の叫び声で何も聞こえなくなる。ディランはただ笑顔で、お祝いを言ってくれているのはわかった。ただ、周りが騒がしくて何も聞こえない。
「ありがとう……ございます」
とりあえず、皆に礼をして見せて感謝の気持ちを示す。この空気は、想像していたよりもずっとずっと、心に響く。
(ただ覚えることが得意な私は、かつて実家で気持ちが悪いと言われたこともありました。ですが、それがこんなことに繋がるなんて。人生とはわからないものです)
漠然とぼうっとしていると、肩を叩かれる。振り返ると、ジャンヌ・ヘルツフェルトがいた。目を潤ませて、興奮を抑えきれないと言った様子だ。
彼女も三席のところで名前を呼ばれていたため、エイヴリルはお祝いを伝える。
「ジャンヌ様、おめでとうございます」
「エイヴリル様こそ! 絶対に合格されるとは思っていましたが、まさか首席だとは……さすがですわ。試験中に噂で聞いていた通りですね」
「……」
嫌な予感に、背筋がぞわりと寒くなる。一体どんな噂なのか。
「どんな噂かといいますと」
余計なことを言わないよう口はしっかり引き結んでいても、疑問が顔に出ていたようだ。まだ何も聞いていないのに、ジャンヌが微笑んで教えてくれる。
「悪女と評判の女性に助けられたというお話があちこちから聞こえてきましたの」
「たっ、助けられた⁉︎」
驚くと、例えば、とジャンヌは続ける。
「一本しかない万年筆が壊れて困っていたら不自然に高圧的に交換してもらった話や、お腹を壊して次の試験を受けられなさそうなときに、庭から薬草を取ってきて投げつけられたお話などが人気でしたわ」
人気とは一体。ぽかんとするエイヴリルの前、ジャンヌは楽しそうにまだ続けた。
「個人的にさすがだと思ったのは、『試験終了後に恋人に結婚の申し込みをしたいが口下手で』という相談に対して、有名な詩の一節を用いる提案をしたところですわ。スマートで女性の心を掴む答えもさることながら、普通なら試験期間中にそんなくだらない相談をされても無視ですもの、無視」
「あっ!?」
人の口から聞くとわかる。その行動はどれも、悪女というよりは人助けでしかなかった。
気づきたてほやほやの事実にショックを受けているエイヴリルだが、興奮しきっているジャンヌは空気を読んでくれない。
「そのエピソードのどれもが、その女性の博識ぶりを物語るものばかりで。この国に来てまだわずかな時間しか経っていないそうですが、首席と聞いて納得させられるには十分でしたわ」
「は、博識ぶり……納得……」
完全に予想外の話に、エイヴリルは目を瞬くしかない。だって当然だ。エイヴリルは、悪女として普通に三日間過ごしただけなのだ。
確かに、ジャンヌの話を聞くと悪女っぽくないのはちょっとわかる。けれど、皆は悪女として接してくれたはずだったのだ。まさか知らないところでそんな解釈になっているなんて、聞いていない。
(ただ悪女として、皆様との毎日を少しだけ楽しんでしまったことは事実です。ですが、どうしてこんなことに⁉︎)
無事に首席で合格できたことは喜ばしい。
しかし、このままでは国王に褒美として鉱山の再開発権をおねだりする前にリステアードから嘘吐きと追及されてしまうかもしれなかった。
(いいえ。そもそも、悪女と偽った私が悪いのですが……。もしそうなったら、ディラン様にまで迷惑がかかってしまいます)
しかし、はしゃいでお祝いを伝えるだけ伝えたジャンヌは、会話を「本当におめでとうございます」で締めると、離れていってしまった。これは困った。
「ディラン様……」
悪女ではないと気づかれてしまったらごめんなさい、と小声で続けようとすると、ディランはエイヴリルの口に人差し指をあてた。何も言わなくて大丈夫、ということなのだろうが、どういうことか。
そして、その仕草がなぜかすごく特別なものに思えて、鼓動が速くなる。
(夫婦……というか、秘密の恋人のようです)
今は、悪女ではないと知られてしまったときのことを考えないといけない。それなのに、関係のない考えに思い至ってしまったことが恥ずかしくて、少しだけ顔を俯いたときだった。
どこかで、ギィ、と重い扉が開く音がした。
「国家試験の合格者について、不正の疑惑がある人間がおります!」
重い扉を開けて叫んだのは、アロイス・ヘルツフェルトだった。
彼は、さっきまでエイヴリルのことを祝福してくれていたジャンヌの父親で、この国の宰相である。
以前会ったときにくたびれたように見えていた背筋はしっかり伸びていて、それどころかふんぞり返っている気がしないでもない。
(不正の疑惑……? 試験はかなり厳しい管理のもとで行われたはずです。そんなことが可能だったのでしょうか)
意味がわからない。大広間にいる皆々も、突然現れて唾を飛ばすアロイスに困惑しているのが見てとれた。そんな中、アロイスは首を傾げているエイヴリルをまっすぐに指差した。
「その女――エイヴリル・アリンガムの答案に疑義がかかっております。国家試験での不正は重罪だ。……すぐに捕らえて取り調べを!」
重い扉が、閉まる音がした。
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