36.悪女の夜遊び
試験が終わってしまえば、結果が発表されるまではできることはほとんどない。エイヴリルが唯一できることと言えば、『悪女として訪問した』という事実を強化するぐらいのものだろう。
(コリンナは夜遊び以外に興味を持たない悪女でしたが、悪女の勉強のために大量に読んだ本の中には、抜け目なく頭脳明晰な悪女が大勢いらっしゃいましたから)
ディランも「国家試験の本試験に進んだ以上、後者の振る舞いをするのが自然だろう」と言ってくれた。同時に、これ以上何もせずに過ごしてもいいという意見もくれたが、せっかくの異国での任務だ。
最後までしっかり頑張りたい。
ということで、今夜のエイヴリルはディランのエスコートで城下町のパブにやってきていた。
パブといっても、このパブは歴史ある館を改装した建物を使用している。そのため、客層に平民は少なく、ほとんどは上流階級の人間ということだった。
石畳の道を進んだ先に現れたそのパブは、レンガ造りの壁を四角いランプの光が照らしている。中から漏れ聞こえる楽しげな話し声は、遊び慣れていないエイヴリルの好奇心をくすぐった。
「仮面舞踏会以外で、このような遊び場に来たのは初めてです……!」
思わず歓声をあげると、ディランが苦笑しつつ人差し指を唇に当てる。その仕草に、秘密の外出感が高まる。不慣れを自認するエイヴリルはこくこくと頷いた。
(今日は、このお店にいたという噂が広まればそれでいいので、目立つ必要はありませんね)
過去、仮面舞踏会やヴィクトリア号のパーティーに参加したことはあったが、気安い遊びの場は初めてである。どう振る舞ったらいいかわからない以上、ディランに従うしかない。
「ここはローレンスに行き詰まったら行けと言われていた場所だ。クラウトン王国での滞在ももうすぐ終わる。せっかくだから、最後に訪問しておいてもいいだろう」
その言葉にも、こくこくと頷く。
(きっと、貴族の方が集う場所だから、状況を打開するきっかけを掴める場所だったということですよね)
もう情報収集の必要はないが、最後にここに来られてよかった。そんなことを考えながら店に足を踏み入れる。街角の喧騒が一気に消え、たった一歩で、煙草の煙と甘い香水の匂いに包まれたのがわかった。
店の中へと進んでいくと、店内で談笑していた十数人の先客の視線がこちらに向けられる。品定めをするような視線は少し居心地が悪い。
けれどそれはほんの数秒のことで、皆すぐに自分たちのことに戻る。
ボードゲームをする紳士、カウンターで顔を寄せて話し合う男女、立席のテーブル席で賑やかに議論をかわすグループ。
見たことがない世界に落ち着かないでいると、ディランとクリスがエイヴリルを奥の席に案内してくれた。戸惑うところがなく、とっても自然なエスコートだ。
(コ、コリンナはこんなところでも遊んでいたのでしょうか……⁉︎)
あまりにも場違いすぎて、足が竦みそうだ。自分が知らない世界で果敢に遊び呆けていた義妹に敬意を表したい。
そして、案内してくれるディランとクリスはパブにも慣れているのだろう。キョロキョロしたいのを必死に我慢する自分が情けない。
思わず肩を落としたところで、目の前にコツンとワイングラスが置かれた。
「――待ちくたびれたな」
ワイングラスの脚にかかる無骨な指と、聞き覚えがありすぎる声に、エイヴリルは目を瞠る。
(この声は!)
エイヴリルが声の主を確認する前に、ディランが呆れたような声音で応じた。
「やはりいらっしゃいましたか。そうではないかと思っておりました」
「それはこっちの台詞だ。ローレンスの命令でやってきた特使が、この店の存在を知らされていないはずがないからな」
鷹揚に応じた男は、いつもの正装をしていない。既製品のようなフロックコートを身につけ、カジュアルな印象だ。
この場にものすごく馴染んではいるが、独特の雰囲気は隠しきれてはいない。自分たち同様、目立たないように気遣っているのが伝わってくる。
「ここでは何とお呼びすればよろしいでしょうか」
「そうだな。リットとでも呼んでもらおうか? いつもの名前では目立ちすぎるからな」
(この方は)
二人の会話を聞きながら、エイヴリルは緊張でごくりと喉を鳴らす。
ディランの問いに答えたのは、リステアード・クンツェンドルフ――クラウトン王国の国王だった。




