35.試験のあとで②
「その結果、私のことがわかる人には遠巻きにされていたのを、次第に声をかけられるようになり、試験が終わった後にご実家への招待状をいただきました」
「悪女に実家への招待状……おかしいだろう」
「他にも似たような不思議なことがいくつか。あまりにも皆さん私に興味を持ってくださるので、しっかり『悪女です』と念押しするようにしたのですが、逆に興味を引いてしまったようでして」
どういうことなのでしょうか、と首を傾げると、ディランがさらに遠い目をしたように見えた。もしかして、また何か間違ったようである。
「今の話の招待状はどれだ?」
「この白い封筒ですね」
スッと差し出すと、ディランに流れるような美しい仕草で取り上げられた。一体何をするつもりなのか、と見つめていると、びりり、と真っ二つに破かれた。
「⁉︎」
破かれた招待状がはらりと床に落ちる。いつもエイヴリルに向けられる優しいまなざしはどこへやら、瞳は完全に無表情で、冷酷な雰囲気すら漂わせている。全身に静かな怒りを湛えているようだ。
驚いているエイヴリルの前、ディランは低い声で呟く。普段は滅多に聞くことがない、唸るような声音だった。
「あの手紙の束は、そのような出来事の数だけ積まれているということか……甘かったな」
「も、申し訳ありません⁉︎」
まさか、ディランがこんなに怒るとは思わなかった。と同時に自分に失望する。悪女だというのに、こんな風に手紙を集めてきてしまうとは。
(皆様、私のことをきちんとした悪女として接してくださいましたから、てっきりこのお手紙は悪女あてのものと思い受け取ってしまいました。ディラン様がおっしゃる通り、甘かったですね)
何という失態を演じてしまったのだろう。
「特別な任務のためにここへ来ていますのに、自覚が足りず申し訳ございません」
しおしおと謝罪をすると、ディランはやっと自分が醸し出す空気に気がついたらしい。表情を変え、慌てて否定する。
「……違う。そういう意味で言ったわけではない。ゴホン、あの手紙のほとんどは、きっと……君が噂通りの悪女だと信じて渡されているのだと思う。だから、手紙が渡されたこと自体は問題ないんだ」
「まぁ」
顔を上げると、ディランはさっきまでの厳しい表情を消し、こちらを覗き込んでいる。そして続けた。
「これは、悪女への手紙や招待状だと思って君は受け取ったのだろう?」
「はい、もちろんです」
「あまりにも皆を夢中にさせる悪女を演じていて、驚いてしまった。試験もあったと言うのに、さ、さすがだな」
「はい、頑張りました……!」
クリスが震えながら笑いを堪え、グレイスが呆れたように部屋の端へと移動してお茶を入れ始めたのが見える。とりあえず、自分は悪女として問題なかったらしい。
ほっとして息を吐くと、なぜかディランも「はー、」と大きく息を吐く。そして続けた。
「だが、心配なところもある。皆が……あ、悪女に本気にならないかということだ」
微妙にたどたどしくて、ディランらしくない。けれど、本気で心配しているためにこうなっているのだろうと納得した。こんなに心配させて、本当に申し訳ない。
「確かに、コリンナは殿方を本気にさせていろいろなものを貢がせていましたね。金銭や宝石はもちろん、家宝に当たる武具や装飾品まで。どの殿方も、きっとコリンナを振り向かせたかったのだと思います」
関わった男性がつい貢ぎたくなってしまう悪女、コリンナ。義妹には、常識では説明できない何かがあるのかもしれない。そんなことを考えていると、真正面に座っているディランが真剣な瞳で告げてくる。
「エイヴリル。君は、俺の妻だ。才媛であるがゆえに王太子から能力を買われてこんなところまで来てしまっているが、本当はこんなことはさせたくない」
「は……はい」
ふいに向けられた甘い言葉と視線は、三日ぶりに接するものだ。わずかな間離れていただけなのに、これまでどうしていたのかわからなくて、ドキドキしてしまう。
そんなエイヴリルの手を軽く握ったディランは、そのまま指先に口付けた。それを見つめながら、エイヴリルはぱちぱちと瞬く。
試験中、ふとディランに会いたい気持ちになったことは何度もあった。そのことが思い出されて、三日間の試験がやっと終わったことを実感する。
「少し前に話しただろう? エイヴリルが悪女であっても、俺は君の中の一番の男でいられるように努力すると」
「ディラン様にそんなこと必要ありません」
「君がそう思っていても、この通りなんだ」
ディランの視線は手紙と招待状の山に向く。これは悪女のエイヴリルに対するものなので、いわばコリンナに贈られたのとほぼ同じ意味なのだが、ディランにとってはそうではないらしい。
「きっと、俺が知っている手段で皆を籠絡してしまったのだろう? だがもうこれ以上、この手紙の送り主の前で悪女を演じる必要はない。この滞在も終わりに近づいている。あとは、俺の側を離れないでくれ」
「はい……!」
(ディラン様は、きちんとした悪女の私を心配してくださっているようです。ですよね。私は、ディラン様の妻なんですもの)
ディランは、エイヴリルが悪女の振る舞いで国王陛下ではない人間を籠絡してしまったことを、心から心配してくれているようだ。
(私ったら、なんてことをしてしまったのでしょうか)
反省し、これからは自分がディランの妻だということを踏まえた上で悪女の振る舞いをしなければと決意した。本当に、申し訳ないと思う。
少しの蟠りが解け、微笑みあったところで、そういえば、と思い出したようにディランが聞いてくる。
「あの、ジャンヌという宰相の娘とは親しくなったか?」
「いいえ。ジャンヌ様とは宿泊施設や受験番号が離れていたので、ご挨拶するぐらいしか機会がありませんでしたから」
よかったと言えばよかったのかもしれないが、ほんの少し残念である。そして、ディランはすぐにエイヴリルの心情を察してくれたようだ。
「きっとまたいつか機会はある。また違った立場のときに仲良くなればいい」
「はい……!」
(確かにその通りです。ジャンヌ様とは、悪女でないときにお近づきになる機会があることを願うばかりです)
宰相の娘という時点で無理なのかもしれないが、その希望は残しておきたい。悪女として注目を集めてしまい失敗に沈むエイヴリルだったが、それでもディランは褒めてくれる。
「国王陛下も悪女エイヴリルの名前は覚えてくれたようだし、王妹のエミーリア殿下とも親しくなった。これで十分だ」
しかし、どこかディランの声がうわずっている感じがするのは気のせいだろうか。
(ディラン様がこのようにおっしゃるのなら、そういうものなのでしょうか)
素直に頷きつつ、なんとなくしっくりこないエイヴリルなのだった。




