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無能才女は悪女になりたい~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~(WEB版)  作者: 一分咲
四章

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31.ジャンヌ・ヘルツフェルトの困惑

 ジャンヌ・ヘルツフェルトは二十歳の令嬢である。


 一応、周囲は令嬢扱いをしてくれてはいるが、裏ではいろいろ言われているのは知っている。頭でっかちの堅物令嬢とか、嫁ぎ遅れ令嬢とか。


 目の前の父親も、わかりやすくそうだった。父親のくせに、だ。


「試験勉強はどうなっている」

「……お父様は、私が国家試験を受けることに反対だったのではないですか?」


 これまで、口を開けば「早く結婚しろ」「国王陛下とお近づきになるため外見を磨け」ばかりだった父親が、試験勉強の進捗を聞いてきたことに困惑を隠せない。


 珍しいどころではなく、二十年間の人生で初めてのことではないだろうか。


 けれど、王宮から戻るなりジャンヌの部屋を訪れた父が気にしているのは、ジャンヌが期待するところとは全く別のことのようだった。


「ブランヴィル王国から来ている悪女が、今度の国家試験を受けるつもりらしい」

「えっ?」

「あらゆる男を手玉に取り、金銀財宝を求め、知らぬ間に国王陛下まで籠絡しかけている。由々しき事態だ。許せぬ」


 父が持っていた煙管がぱきりと折れた。それほどに強い怒りを感じているようだが、ジャンヌの意識は別のところに飛んでいく。


「……悪女?」

「会場で妙な動きをしているのを見たら、報告するように。いざという時はお前が切り札だ。頼んだぞ」


 なるほど、父親の不可思議な言動の理由がすっと腑に落ちる。


 父は、やはりジャンヌが自力で地位を手にすることに賛成というわけではないようだ。今の父の立場では、娘が国家試験を受けることがプラスに働くのだろう。


 自分が手駒扱いなのは、貴族令嬢として仕方のないことだとわかっている。けれど今日はすんなりとは受け入れられずに抵抗したくなった。


「……悪女って、ブランヴィル王国からの使節団に同行しているという女性のことですか? それにしては、風紀の乱れが伝わってきませんけれど」


「ピンクブロンドに碧い瞳。独特の雰囲気で周囲を籠絡し虜にして従わせる、噂通りの悪女だ。国王陛下もすっかり籠絡されていて私の話は聞いてくれぬ。悪女に夢中なようで、うんざりだ」

「ピンクブロンド……」


 しっかり覚えのある特徴に、昼間の出来事の答え合わせが終わった。やはりそうか、と心の中で頷くと、完全に間違った方向の思い込みをしている父親は意地悪く表情を歪めた。


「あの悪女のことだ。きっと試験の日は不正をするに違いない。当日はいつも以上に試験官の数を増やし、そんなことは出来ないように見張っていてやろう。少しでも怪しい動きをしたらその場で投獄してやる」


「熱心なことですわね。その熱心さ、お父様が三十年前の国家試験で次席で合格した理由がわかりますわ。この試験の勉強は気が遠くなりそうですもの。そのぐらいでないと上位での合格は難しいですわね」


 暗に『悪女エイヴリルへの執着が怖い』と言ったのだが、父はそれを自分への『真面目で勤勉』という褒め言葉に当たると受け取ったらしい。上機嫌で向き直られた。


「お前は女だ。勉強するよりもずっと簡単に上り詰められる方法があるんだ。うらやましいことだ。そうだ、今度国王陛下との食事会を設定しておいたから、そのつもりでいるように」


「お父様が設定するという『国王陛下との食事会』は実現した試しがないですけれどね」

「今度こそ本当だ。あの若造を支えてきた貴族を皆同席させるからな。さすがにすっぽかされることはないだろう」


 ジャンヌの言葉を最後まで聞かずに、アロイスは上機嫌のまま部屋を出ていった。激昂したり、上機嫌で笑ったり、忙しい人だ。


 父の思い込みの激しさと人の話を聞かないところが、自分に遺伝していなくて本当に良かったと思う。


 少し離れた場所から父を見ているジャンヌとしては、自分の方が状況を正確に把握できているという自負がある。父は国王を容易に操れると思っているが、実際には全くそうでないのはわかっていた。


 王位についた当初こそアロイスの力は重視されていたが、地盤が固まりつつある最近では、リステアードの方がアロイスに付き合ってあげている感じが出てきている。


 父はまだまだ出世し、この国の裏の支配者になることを夢見ている。ジャンヌを王妃にと考えるのはそのせいだ。けれど、父の夢はもうこのあたりで潰えるのかもしれない。


 そして、国王には配偶者がいない代わりに、王妹のエミーリアがいる。


 病弱であるものの、彼女がうまく動いているおかげで地盤が固まりつつあるという構造は、離れた場所からでも明白に思えた。


(異国の悪女の噂を覚えていたのは、王妹のエミーリア殿下がその人の絵姿をお部屋に飾っていると聞いていたから)


 今日の予期せぬ出会いを頭の中に呼び起こして、ジャンヌは首を傾げる。


「悪女エイヴリル、って、絶対に今日図書館でお会いした方よね。少し様子がおかしかったようだけれど」


 進んで病人を抱き上げて、とても心配そうにしていたエイヴリル・アリンガム。どう考えても、あれは悪女ではないと思う。


 華奢な身体で自分とほぼ同じ体格の人間を背負い、文句の一つも言わず、それどころか心から心配していた。


 いや、文句はところどころで言っていたが、まったく本気には見えなかったし、たまに文句が文句になっていなかった。それにすら気づかず、背負った女性をひたすら心配していた。


 踵が高い靴を履いたまま他人を支えるのは、自分で歩くことに慣れていない令嬢には困難なはずだ。なのに、とんでもない安定感。一体、自分は何を見せられたのだろうかと困惑が深まっていく。


 また、彼女は病人を心配そうにしたり早く帰りたいと言ったり、言動が極めて意味不明だった。意図を探るため『床に寝かせては』と提案してみたのだが、本気で驚いていた。


 恐らく、自分が苦労したり汚れてでも、そもそも人を床に転がすという思考がないのだろう。


 そして、病人の迎えが来た後は、さっきまでとは違った驚きを見せてくれた。ジャンヌが持っている本から推測したのか、今の図書館内の在庫状況を踏まえて適切なアドバイスをくれたのだ。


 国家試験を受けるのならまぁわからなくはない。が、もし父の話が本当なら、普段は夜通し遊び呆けて風紀を乱しながら、わずか数週間で最難関である国家試験の概要を理解したということではないか。


 どう考えても人間にできることとは思えないし、そもそも父が言うような悪女だと信じることもできない。


「――エイヴリル様には、何かご事情がおありなのかしら」


 聡いジャンヌがそこへ辿り着くまでに、さほど時間はかからなかった。


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