30.クラウトン王国の憂鬱
「国王陛下。お話がございます」
執務室に入ってくるなり、声をひそめて周囲を気にしながら切り出した側近に、リステアードは心の中で舌打ちをした。
(彼がこういう言い方をしてくるときは、必ず面倒な要望があるときだからな)
その懸念はあたっていた。
いかにも機密事項、という様子で胡散臭さ全開に話しかけてきたアロイス・ヘルツフェルトから告げられたのは、リステアードが今もっとも距離を置きたい話題だった。
「あの、エイヴリルとかいう悪女のことですが」
「お前はあの女のことが好きだな。さすが悪女だ」
鼻でフンと笑い、煙に巻こうとしたが、そんなことで引き下がる男ではない。アロイスは「そのような言い方は心外ですな」と怒りに頬を染めながら続ける。
「あの女、我が国の国家試験を受験すると噂になっています」
「へえ、面白いな。だが、憶測に過ぎないくだらない噂を、わざわざ私に報告しなければいけない理由はなんだ?」
「またお戯れを。陛下も気がついておいででしょう。必要以上に異国と関わりを持つだけでなく、あのような女を王宮に置いては、我が国の風紀が乱れます。王朝が変われど、何百年と継続してきた国家試験の歴史に傷がつきます」
「まるで、その言い方ではエイヴリル・アリンガムが合格するような見通しではないか。アロイスから見て、あの女は悪女ではなく才媛だと? 知らなかったな。だが、国家の主たる私が相手にするような人間ではない」
威圧を返せば、アロイスは納得が行かなそうに唇を歪めた。
悪女エイヴリルの行動に国王は感知しないし制限もしない。そう示したのだから、異国との関わりをこれ以上深めたくないアロイスにとっては最悪の答えなのだろう。
その証拠に、まだ食い下がる。
「いえ、悪女であることは確かです。……もとは王太子ローレンス殿下の愛人という話でしたが、私の調べによると、どうやら使節団の中にも恋人がいるようです。しかも、夜に部屋を行き来しているのを確認しました。外交はただの口実で、実際には遊びに来ているとは信じられない」
「……そんなの放っておけ。それこそ、私が知る必要はない」
「いえ、あの女を陛下が庇っていることこそが問題なのです。あのような悪女に籠絡されてはなりません!」
「……」
いよいよ、どうでもいい話題になってしまった。
呆れて頬杖をつくと、悪女・エイヴリルによる異国からの影響を本気で心配しているらしいアロイスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。しかし、リステアードにとっては、これ以上触れたくない話題である。
――昔なじみであるローレンスの狙いはなんとなくわかった。それを逆に利用してやるつもりでいる以上、その障害になるこの男に悟らせるわけにはいかないのだ。
一方、これ以上話しても無駄と悟ったらしいアロイスは、自分の娘のことに話題を変える。こちらもこちらで、遠慮したい話題だ。
「私の娘は今年の国家試験を受ける予定です。女に学は必要ないと思っておりましたが、あまりにも良くできる娘なもので」
「それはよかった。もし合格したら褒美をやろう、では話はこれで終わりだ」
「その関係で、毎日のように王宮に出入りしておりまして」
「……」
できる限り関わりたくなかったのに、無理に言葉を滑り込ませたアロイスは、たぬきじじいという比喩がぴったりの顔で笑った。
「今度、夕食の話し相手に娘を連れてまいりましょう。陛下を私の次に支持している連中も呼びます。彼らは、娘――ジャンヌを小さい時から知っていますから。陛下とお近づきになることを喜んで、ますます後ろ盾として盤石になりましょうぞ」
「……」
娘との食事も、あらゆることの障害になる力のある貴族も、正直なところ全くいらない。だが、さすがにまだことを起こすわけにはいかない。
仕方がないので、リステアードは口の端だけを上げる笑みを浮かべてみせた。
それを首肯ととったアロイスは、意気揚々と執務室を出ていく。防戦一方だったのを、最後にカウンターを放ってやったとでも思っているのだろうか。どちらにしろ、これ以上踏み込ませたくない男だということに変わりはない。
リステアードはアロイスをうんざりしながら見送った。
――この面倒な男をいつ切るか。
一人になった部屋に、ちっという舌打ちの音が響く。頭の中で適切なタイミングや理由を想像するが、一筋縄では行かないだろう。
自分だけではどうにもならないのはわかっていた。
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