29.図書館と戸惑いと④
数分後。居合わせた令嬢はアナスタシアの付き人と一緒に戻ってきた。
女性が倒れたのでどうか手を貸してほしいと衛兵に頼んでいたところに、ちょうど迎えが到着したらしい。タイミングが良かった。
何とかアナスタシアを医務室に向けて送り出し、ほっとしたエイヴリルは隣の令嬢に向き直る。やはり、アレクサンドラに似た雰囲気を持つ、知的な印象の美女だ。
つまり、エイヴリルがついつい尊敬する友人に対するような振る舞いになってしまうのは、仕方がないことだと思う。
「親切にありがとうございました。王宮の出口までご一緒しましょう。そちらのお荷物もお持ちしますので」
エイヴリルは恭しく礼をすると、使用人時代のように自然に手を差し出す。実家にいたころは、来客時にはこうして客人を出迎えもてなしたものだ。
「えっ?」
けれど、またしても令嬢からは見てはいけないものを見てしまったような目を向けられてしまった。何か粗相があっただろうか――。
(そうでした)
はっと、自分は悪女だったことを思い出す。そして、この令嬢の父親は王宮勤めなのだ。今日の出来事が巡り巡って父親の耳に入るようなことになってはよくない。非常に、よくなかった。
(……悪女は荷物は持たないですよね)
すっと手を引っ込める。そのままぐーぱーと動かして、うっかり差し出してしまったのをごまかす。これで問題ないだろう。
間抜けな動きをしているエイヴリルに、コホンと咳払いをしてなにやら切り替えたらしい令嬢はつんとして告げてくる。
「私の見送りは必要ないですわ。そもそも、他にも必要な資料がありますの。もう一度、図書館の中に戻りますのでご心配なく」
「そうですか。……もしかして、行政法に関係する科目の資料をご入用でしょうか?」
「……ええ?」
エイヴリルの言葉に、令嬢は驚いたようだった。自分が手にしている、行政法の教本の表紙をまじまじと見ている。
この国家試験の教本の表紙にはわかりやすいタイトルがない。いや、一応は書いてあるのだが、とても小さく印字されていて、しかも古語で書かれているのだ。
昔からずっと行われてきた国家試験であることから、初期の教本の表紙をそのまま生かしているためにこんなことになっているらしい。
だから、国家試験を受けるために勉強しているか、もともと古語を読み解く素養がなければ、この本がどういうものなのか気づけないはずだった。
一方のエイヴリルは、さっき書架の間を行き来しながら見たものを思い起こす。
(行政法に関係する科目の資料は、すべて貸し出されていたようです。となると)
「先ほど今日の貸出状況を確認したところ、法律に関する科目はほとんどが貸出中のようでしたが、経済に関する科目はまだ残りがあったようです。行政法とつなげられる資料や教本をお探しなら、今日のところはN列の中でも書架が分かれた所に配置されている、『地方財政』の棚からご覧になるとよさそうですね」
淀みなく一息に告げると、令嬢の落ち着いた切長の目が丸くなった。
「あなたは、国家試験をお受けになるの?」
「はい。つい最近決めたばかりですが、そうするつもりです」
「つい最近……」
困惑や戸惑いばかりを映していた令嬢の瞳に、すっと真剣な表情が戻ってくる。こうしていると、本当にアレクサンドラと一緒にいるようだ。
すっかり油断しているエイヴリルに向け、令嬢は淑女の礼をした。
「申し遅れました。私の名前は、ジャンヌと申しますわ。ジャンヌ・ヘルツフェルト。父は宰相で、国王陛下の側近も兼務しております。試験を受けるのでしたら、今後お会いすることもあるでしょう」
「ジャンヌ・ヘルツフェルト様――」
緩みきった表情の悪女は、復唱しながら青くなった。
(ええっと……この親切なお方は、あの意味深に遠回りをした、どこからどう見ても重鎮にしか見えないのになぜか役職を教えてくださらなかった文官さんのお嬢様――⁉︎)




