26.図書館と戸惑いと①
それから数日後。
国家試験の受験に向けて本格的な準備を進めているエイヴリルは、グレイスとともに王宮内の図書館を訪れた。
クラウトン王国の国立図書館は、他の棟から完全に独立した造りになっている。そのうえ、立地は裏の森に近く静かだ。
落ち着いて学ぶことができる環境にあることから、エイヴリルのほかにも国家試験を受験すると思われる人々が大勢訪れていた。
(国家試験の内容は、一問一問は基礎がわかっていれば解ける問題が多いそうです。ただ、問題数がとにかく多く、かつ全てに満点で解答しつつ応用もできるような勉強が必要だそうです。皆さん、一体どれだけの準備をして臨まれるのか……)
周囲の様子を窺いながら、足音を立てないよう、書架の間を静かに歩く。
国家試験に関する資料の棚で調べ物をしている人々は皆真剣だった。今さらながら、大それた宣言をしてしまったのではという後悔で叫びたくなってくる。
(完全に場違いな気がしてきました……。私には覚えることしかできませんから。ですがとにかく、できる限りのことをしましょう。もし頑張ってもローレンス殿下の望みを叶えられなかったら、その時はその時です)
エイヴリルには、見たものを一度で覚えられるという特技がある。興味の範囲によって精度に違いは出るものの、大体のものは記憶できる。
そのせいで、子どもの頃からずっと気持ちが悪いといわれ、継母に疎まれるきっかけとなってしまった。それがまさかここで役に立つとは。人生はわからないものである。
しかし、いざ国家試験を受けるとなると、勉学や政治に積極的な悪女とはどんなものなのか、という疑問が浮上してしまう。
(うーん。タイミングを見計らって、国がほしいから試験を受けますとでも宣言すれば良いのでしょうか)
ただこの辺は、自分が悪女として下手に動くよりは、全部ディランに任せた方が間違いがない気がする。ディランも、細かいことは自分に任せてくれと言っていた。
とにかく、勉強のほかにも問題が山積みである。
特に、悪女方面については訳がわからなくなってきたので、問題は棚上げすることにした。棚上げしたままに、視線を書架の上の方に向けると、国家試験の過去問題集がずらっと並んでいた。
クリスに調べてもらったところによると、問題のほとんどが複数の分野が重なる形式での出題になるらしい。近しい分野についてはまとめて学ぶ方が効率的なのだとか。
(試験まではあと二ヶ月しかありません。集中して学んでいかないといけませんね)
決意したところで、背後から優しく声をかけられた。
「――エイヴリル様?」
涼やかながら、落ち着いて心地よく響く声だった。
即座に、自分の名前を呼んだのが誰なのかを理解したエイヴリルは、すっと振り返って淑女の礼をする。
「アナスタシア・タウンゼンド様。ご機嫌麗しく存じます」
「まぁ。そんなに畏まらなくてもよろしいのに」
エイヴリルに話しかけてきたのは、ディランの母、アナスタシアだった。侍女は連れておらず、一人きりだ。
ふわふわとして視点が定まらないようにも見えるが、表情からは気分が良さそうに思えた。もしかして、今日は調子がいいため一人で図書館にやってきたのかもしれない。
エイヴリルの推測を裏づけるように、アナスタシアは上品に微笑んでいる。控えめながら華やかなその姿は、佇まいだけでこの図書館の空気を爽やかに変えてしまいそうだ。
「あなたの髪は、春に咲く花の色ね。とても美しいですわ」
「お褒めいただき光栄です」
「素直ね。エミーリア殿下によると、あなたはこの国家試験を受けるのでしょう? 今年の試験にはさすがに間に合わないでしょうけれど、まっすぐな子は伸びると思いますわ」
午前中の明るい中、エイヴリルの髪の色に惹かれたらしいアナスタシアは目を細めた。一方のエイヴリルは、アナスタシアの優しい眼差しにディランのことを思い出していた。
(やはり、ディラン様と良く似ておいでです)
こうして、自分と普通に会話をしている母を見てディランはどう思うのだろう。ディランから聞いているアナスタシアは、ディランが大人になったことすら理解できていないという話だった。
つまり、今ここでエイヴリルと視線を合わせて微笑んでいる彼女の姿は、ディランが知らない、かつ、こういう姿を見たいと願うものだったりはしないだろうか。そんなところに、自分が同席してもいいものなのか。
あれこれと考えるエイヴリルに、アナスタシアは唐突に言った。
「ねえ、あなた。もう少し私に付き合ってくれない?」
「⁉︎ えっ……?」
全く予想していなかった誘いに、エイヴリルは目を瞬いたのだった。
次回の更新は明日の20時です。




