25.特別な報告
今日のエミーリアの私室での出来事を話し終えたエイヴリルは、伏し目がちに言葉を選んだ。
「ただ、ディラン様のお母様にお会いしたという報告をしたかったのではないのです」
「ああ」
「アナスタシア様とお話をしていたら、ディラン様のお母様だなと思いました」
「……」
「とっても穏やかに、私の話を最後まできちんと聞いてくださるのです。エミーリア様は私をきちんとした悪女だとお思いで、その話をしてくださるのですが……アナスタシア様は私を直接見ていらっしゃる感じで、少しだけ不安になってしまいました。もしかして、本当のことを見透かされているのでは、と」
アナスタシアの、穏やかながら人の本質を見抜くような視線は、悪女としてこの国を訪問しているエイヴリルにとっては緊張感があるものだった。
けれど、それは嫌なものではない。どこかで既視感があると思ったら、出会った頃のディランが同じような感じで自分を見ていたことに気がついたからだ。
ちなみに、そのことに気がついた瞬間、ディランが自分のことをいつまで悪女だと信じてくれていたのか、という疑問にも行き着いた。
エイヴリル的には、コリンナに乗っ取られた結婚式の辺りまでだと思っていたのだが、もしかして違うのだろうか。考え始めるときりがないので、その疑問は棚上げにする。
(契約結婚の期間中、ディラン様は悪女の私にとても良くしてくださいましたから。その事実だけで十分です)
そんなことを考えていると、ディランがぽつりとこぼす。
「母はそういう人だった。だからこそ、前公爵も遠ざけたんだろうな」
「私も同じことを。何ごとにもアナスタシア様だったからこそ、前公爵様も近づくのを躊躇ったのでしょう。……素敵だと思うところが全部、ディラン様とよく似ていて、何だかうれしくなりました」
顔を上げてディランの瞳を覗き込む。いつも冷静な印象を崩さない碧い瞳に、動揺が見て取れた。
実家の屋敷から出られないと聞いていた母親が、まさか国外に療養に出かけられるほどに回復していたという事実をふいに知った困惑と、喜びと。
もしかして、自分には連絡がなかったという失望もあるのかもしれない。けれど、動揺を感じさせない声音が響く。
「今日、クリスが大事な報告があると言っていたんだ。後でエイヴリルが伝えると。てっきり明日の朝になるのかと思っていた。まさか、こういう話だったとは」
「私にお話をする機会をくださったのかもしれませんね。夫が動揺しそうなときにそばで支えるのは、妻の役目ですから」
そう伝えると、ディランはふっと微笑んだ。目を逸らして遠くを見るような仕草だったので、思わずエイヴリルは首を傾げる。
すると、躊躇うようにしてディランが教えてくれた。
「――クリスは、早くから行儀見習いの形でランチェスター公爵家に出入りしていた。だから、母もまだ子どもだったクリスを自分の子のようによくかわいがっていた」
それは、初めて聞くディランとクリスとの出会いの話だった。じっと聞き入ってしまう。
「クリスは、俺が父親の悪行で傷ついていたことも、母が心を病んで行ったことも、全部見ていた。年下の側近だが、クリスには頭が上がらないな」
そんなふうに話すディランだったが、表情にはクリスへの全幅の信頼が滲んでいる。
一緒に前公爵への憤りを覚えてきたに違いない二人の絆の強さは、ディランを気にかけるローレンスとのそれとは似て非なるものなのだろう。
(クリスさんが、ディラン様からのお願いを絶対に断らない理由がわかった気がします)
きっと、それは自分をかわいがってくれたディランの母親への忠誠でもあるのかもしれない。そして、自分の大切な人を大切にしてくれる人の存在はとんでもなくありがたく、想像以上にうれしいものだ。
ずっとディランを側で支えてきたクリスの気持ちがわかって、胸がいっぱいになる。
「クリスさんがディラン様のお側にいてくださって、本当によかったです」
「きっと、クリスもそう思っているよ」
「えっ?」
「エイヴリルがどんな悪女なのか、いつも一番楽しそうに報告してくれたのは――クリスだからな」
その言葉で、自分がどれだけ歓迎されていたのかがわかってしまう。
同時に、評判最悪の悪女を妻に迎えるという選択をするほどに、ひどい人間不信だったディランを誰かが救ってくれることを皆が願っていたことも。
(私も、アリンガム伯爵家では使用人の皆様に恵まれました。だからこそ、今の私がいるのです。ディラン様もきっとそうだったのだと願うばかりです)
ディランのこれまでの境遇は、話を聞いてよく知っている。けれど、こんな風に鮮明な様子を思い浮かべられたのは初めてのことだ。ディランが優しさを失わなかったことに、アナスタシアの血と周囲の支えを感じずにはいられない。
感動を噛み締めるエイヴリルに、ディランが告げてくる。
「正直、母に会いたい気持ちは強いが、そうも言ってはいられない」
「……はい。残念ですが、任務に差し支える可能性は否めないですから」
母に会いたいとはっきり口に出したディランを気遣いながらも、エイヴリルは頷くしかなかった。残念さが伝わったのか、ディランがふっと微笑んだ。
「大丈夫だ。この任務が問題なく終われば、いくらでも会う時間はある。それに、外に出られるようになったとはいえ、母の中の俺は子供時代のまま止まっているのはわかっている。会うまでに心の準備をする時間ができたと思えば、それでいい」
「はい。アナスタシア様は今年中には国に戻るということでしたから」
「クリスのことも覚えているかもしれないな。俺たちが子供だった頃の姿が垣間見えるかもしれないな?」
珍しく饒舌なディランの言葉に、エイヴリルも笑みを浮かべる。決して強がっているわけではないけれど、全てを認めた穏やかな口調に、ディランが母と向き合ってきた年月を感じるのだ。
そして、流れに任せて続けた。
「ディラン様。私、クラウトン王国の国家試験を受けることに決めました」
「……⁉︎」
ディランの声にならない声が、客間に響き渡る。
「今日、エミーリア殿下にお会いして決意しました。国家試験を首席で合格するとどのようなことがあるかもリンさんに伺いました。正直なところ、ローレンス殿下の依頼を叶えるには、これしかないのではと思っています」
「今、この流れでする話か……?」
「この前のお茶会で、正攻法では無理だとわかりましたもの。何としても、早くこの依頼を達成して国に帰り、それからアナスタシア様に会いに行きましょう」
遠い目をしかけたディランに念を押せば、意思が固いものであることはわかってもらえたようだった。渋々認めるように頷いてくれる。
「……わかった。細かいところは俺が何とかするから、エイヴリルは試験に集中してくれ」
「ディラン様、ありがとうございます」
なんて包容力があって、物分かりが良すぎる旦那様なのだろうか。目を輝かせてお礼を伝えると、ディランは少しの不満を口にした。
「……やはり、ローレンスにはこうなることはわかっていた、か」
「本当に、何でもお見通しなのですね。ディラン様のことをよくわかっていて、うらやましいです」
自分が知らない二人の絆に微笑むと、ディランの口元が歪む。わずかに頬が染まっているせいか、まるで少年のような表情に見えた。
そのまままた顔を寄せられて、どきりとする。低く、とろけるような声音が耳奥に染み込んでいく。
「じきに、エイヴリルの方がよくわかるようになる。現に、こんな顔はローレンスには見せない」
「ひええ……」
あまりにも不意打ちすぎて、変な心の声が漏れた。
そんな情けない姿ですら、ディランは楽しそうに見つめてくる。その視線から逃れられないエイヴリルは、ただ真っ赤になるしかないのだった。
(幸せすぎて……何か落とし穴があってもおかしくない気がします……!)
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