24.会いたい人
昼間、エミーリアの私室に招待されたエイヴリルは、エミーリアの家庭教師だという女性に引き合わされた。理由はシンプルなもの。
エミーリアが、エイヴリルは国家試験を受けるのだと勘違いしているせいである。
もちろん、エイヴリルはこれから国家試験を受けたいとディランに相談するつもりなので事実としては合っているのだが、まだ許可は得ていない。
微妙に事実に先行するエミーリアの振る舞いに困惑しているエイヴリルの前に現れたのは、写真で見たことがある女性だった。
(この方は……!)
美しく柔らかなブロンドヘアに、優しげな菫色の瞳。白く透き通った陶器のような肌と、淡い桃色に染まって見える唇はまるで少女のよう。
到底その人の年齢のものに見えない。何と美しく、特別な空気を纏った人なのだろう。
思わず見惚れてしまったエイヴリルに、何も知らない彼女は穏やかに微笑んでみせた。
「タウンゼンド侯爵が娘、アナスタシアと申します」
「アナスタシア・タウンゼンド様……」
決して忘れることがない、エイヴリルにとって最も大切な人の母の名前だ。
だがその人は、エイヴリルのことはもちろん、大人になったディランのことすらわからないと聞いている。リステアードやエミーリアとのお茶会でその名前を聞いてはいたが、まさか本当にここにいるとは思っていなかった。
思わず名前を復唱してしまうと、ディランの母、アナスタシアはにっこりと微笑んだ。
「ふふふ。かつては結婚していたこともあるし、もう『侯爵が娘』なんて名乗るような歳ではないのでしょうね。驚かせてしまったかしら」
「エイヴリル様。こちらのアナスタシア先生は、私の家庭教師を務めてくださっているの。先生がクラウトン王国に少し長いバカンスのために滞在しているから、その合間に私のところに来てくださっているのよ。先生はいろいろなことを知っているの!」
興奮気味に紹介するエミーリアは、アナスタシアがエイヴリルの義母にあたる人だとは夢にも思っていないらしい。
(つまり、エミーリア様は私とディラン様がランチェスター公爵家には全く関わりないと信じていらっしゃる。今回の旅の目的を考えればありがたいことですが、ディラン様にとっては残念な事態になるかもしれません)
ディランから、アナスタシアはほとんど外に出られないという話を聞いていた。
こうして隣国に旅に出られるほどに回復しているのなら喜ばしいことだが、せっかくこんなに近くにいるのに、ディランと会うことは叶わないだろう。最愛の人の母親に会えたという気持ちと、自分やディランのことを偽らなくてはいけない残念さで心が沈む。
一方のアナスタシアは、言葉が出ないエイヴリルを緊張しているのだと思ったようだ。自分のことを続けて話してくれた。
「あなたもブランヴィル王国から来ているのですって? 私は病気がちで、ここ数年間はずっと療養中なの。お勉強やマナーのことはお教えできるけれど、最近のことはあまり覚えられないのよ。知識に古いところがあったらごめんなさいね」
謝罪をするような言葉に、エイヴリルはあわてて首を振り、淑女の礼をする。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。悪女のエイヴリルと申します」
アナスタシアの自己紹介のとおり、彼女が今のブランヴィル王国のことをどれぐらい理解しているのかわからない。けれど、用心はするに越したことはないだろう。そう思い、今の自分を印象付けるため、「悪女」として自己紹介すると、アナスタシアは不思議そうな顔をした。
「あら?」
「どうかなさいましたか、先生?」
首を傾げてしまったアナスタシアにエミーリアが声をかけると、アナスタシアはしっくりこないという風に眉間に皺を寄せる。
「……どこかでお会いしたような……お名前も……気のせいかしら」
「!」
(いけません。もしかして、結婚写真をお送りしたことから、うっすらと私のことがお分かりになるのかもしれません)
そんな中、エミーリアは何を思ったのか「そうですわ!」と例のベルベット生地の豪奢なカーテンを開けた。
「これですわ! 先生とお話しするとき、何度かこの絵をお披露目していましたもの。先生にこの肖像画の方のお名前をお披露目するのは初めてでしたわね。こちらはエイヴリル・アリンガム様。私の憧れの方ですの」
「……まぁ。そういえば、この絵に似ていなくもないですね。なるほど、そういうことでしたか。ふふふ」
エイヴリルの名前を聞いても、アナスタシアは特にどうという反応は見せない。たおやかな微笑みは揺らぐことがなかった。意味深にすら感じられるゆっくりとした仕草の一つ一つが特別だ。
目が釘付けになって離せない。この人がディランの母親だという事実がびっくりするほどしっくりと腑に落ちる。
(纏っている空気がディラン様のようです……。こんな形でお目にかかることになるとは思いませんでした)
と同時に、ローレンスの余裕そうな笑みが脳裏に浮かんだ。これが、自分たちへの依頼とは関係ないということがありえるのだろうか。いや、あの切れ者の王太子殿下に限って、そんなはずはないだろう。
(ローレンス殿下は、アナスタシア様がクラウトン王国にいらっしゃることをご存じだったのかもしれませんね。普段、ご実家から出られないアナスタシア様が外で療養しているところに引き合わせたいとお考えだったのかもしれません)
そんなことを考えていると、アナスタシアは花が咲いたような笑みを見せた。
「最近ね、体調がいいことが増えたのよ。今日も、娘時代にこの国へバカンスに来たことを思い出していたわ」
「先生にはブランヴィル王国のことやマナーをたくさん学びましたけれど、娘時代のお話は初めてですわ。もっと聞かせてくださいな
おそらく、その『娘時代の話』とは、前公爵と結婚する前のことなのだろう。
その頃の話をするアナスタシアの表情は明るく、療養が必要な女性には思えなかった。
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