15.夕食会の後で
残念なことに、その日の夕食はディランとは別々だった。
ディランは、クラウトン王国の人たちと夕食会があるらしい。使節団のメンバー半分以上が招待されている夕食会だったが、悪女のエイヴリルは招待されなかった。
(まぁ、当然ですね)
バカンスで訪れているうえに、過去の訪問時に国内の貴族からあらゆる高価なものを巻き上げた前科がある悪女など、危険すぎて夕食会には呼べないだろう。むしろ、初日によく謁見の間に呼んだものだ。
「エイヴリル様、デザートはお口に合いませんでしたか? クラウトン王国の食べ物は乳製品が多く濃厚です。もし重すぎるようでしたら、明日からは別メニューに変更を」
「!」
夕食の給仕をしてくれていたグレイスからの声掛けで、我に返った。
目の前にはバタークリームがたっぷり挟まれたシンプルなケーキがある。焼きメレンゲでコーティングされた表面にはアーモンドクリームも使われているようで、甘くて香ばしい香りが漂ってきていた。
そのケーキを、自分は手をつけることなく見つめていたらしい。
「……こっそり厨房をお借りして、表面を焦がしてきましょうか?」
エイヴリルの好みをよく知るグレイスが気遣ってくれたが、今必要なのは黒焦げのケーキでないことはわかっている。
「いいえ。ありがとう、グレイス。でもメニューの変更も、黒焦げのケーキも必要ありません。ただ、旦那様……ディラン様と一緒に食べたいなと思っていただけで」
しょんぼりと肩を落とせば、なぜかグレイスはスッと後ろに下がった。
「――それはうれしいな。これで食が進むか?」
そんな言葉とともに、手から落ちかけていたフォークが握り直される。フォークを握る手を上から優しく包むのは、よく知っている人の手だった。
「ディラン様……! 夕食会はもういいのですか?」
「ああ。長旅で疲れていると言ったら、早めに切り上げてくれた。もちろん必要な話はしたから問題ない」
ディランはそう言いながら、丸テーブルで食事をしているエイヴリルの隣に座る。ウエストコートにクラヴァットを付けたほぼ正装に近い姿だ。夕食会を終えてから自室に戻ることなく、直接ここに駆けつけたに違いなかった。
たった一日会っていないだけなのに、うれしさで頬が緩む。エイヴリルの隣に座り、グレイスに紅茶だけを頼んだディランは、顔を覗き込んでくる。
「何だか久しぶりだな」
「同じことを思っていました」
ふふっ、と笑えば、ディランもまたうれしそうに微笑んだ。
「エイヴリルに一人で食事をさせておきながら、まだ国王陛下とゆっくり話す時間が持てていない。君の出番は少し先になりそうだ」
「今回は長期戦になると聞いています。私がお役に立てる日まで頑張ります……!」
両手の拳を握ると、ディランはエイヴリルの片方の手を取る。優しく愛おしむような、穏やかな仕草だ。それから、ふっと微笑んだ。
「そんなことよりも、エイヴリルは今日一日何をして過ごしていたのかが聞きたいな」
「……!」
甘い声音に、どきりと心臓が跳ねた。今日はもうディランに会えないと思っていたのに。こんな時間が持てたことに、感謝したくなる。
しかし、ドキドキしながら口を開こうとしたところで、エイヴリルは今日エミーリアに受けた招待のあれこれを思い出して青くなった。
(あっ……私のきょうの出来事ですが。エミーリア様はコリンナが好きで、そのうえ、私の謁見の間での振る舞いやヴィクトリア号での暴走などから、悪女への認識が歪んでしまっている、という報告になりますね)
こんなこと、言えるはずがない。しかも、最後にはローレンスとディランとクリスの三人全員が恋人だと豪語してしまった。自分には確実に手に負えない三人である。
あまりにも悪女度を盛りすぎてしまったことが恥ずかしくて、消えてなくなりたい。
「と、特に何も……」
苦し紛れに目を逸らすと、ディランは意味深な笑みを浮かべた。もしかしてこれは、エミーリアの誤解を知っているのではないだろうか。
考えてみれば、こんな重要な出来事を忠臣すぎるクリスが報告していないはずがないのだ。もし何か聞いたのなら、我慢して口にしないでほしい。世界には、言わなければなかったことにできる事実もある。
エイヴリルの祈りが通じたのか、ディランはさらりと話題を変えた。
「そういえば、俺も今日は妙な話を聞いた。クラウトン王国は、異国の文化や情報が入ることを嫌うため、正式な形での貴族の滞在は受け入れないはずなんだが」
「ええ、存じております。だからこそ、謁見もあんな雰囲気でしたものね」
「ああ。だが、今、ブランウィル王国からとある貴族女性が長期でクラウトン王国を訪問し、滞在中らしい。名前までは聞き出せなかったが……珍しいこともあるものだ」
「まぁ」
この国の異国嫌いは、エミーリアとの面会でも感じていたし、そもそもこの使節団自体、随分前から交渉を続けてきてやっと実現したものと聞いている。
にも拘らず、使節団に先んじて滞在を受け入れられる人間がいるとは。不思議で、エイヴリルは首を傾げた。
「それをローレンス殿下はご存じでないはずがありませんよね」
「ああ。気になるし、もしその女性がこの国に特別な繋がりを持っているのなら、手札になりうる。そのことも視野に入れ調べてみたいとは思う」
「ぜひ。悪女の私もサポートいたします!」
意気込むと、ディランは少し間を置いて、堪えきれないというように笑う。
「――悪女のエイヴリルには、恋人が三人もいるらしいな?」
「⁉︎」
やっぱりクリスからきちんと聞いていたらしい。穴があったら入りたくなっているエイヴリルをよそに、ディランは余裕そうに続ける。
「クリスが、夕食会前に来て報告してくれた」
絶望しかない。
やはり、エイヴリルの悪女な振る舞いは、クリスを通じて全部ディランに筒抜けのようだった。
(いえ、いいのです。そうなのです。だって、これはお仕事なんですもの……! でも……うっ)
心の中で弁解してみたものの、残念さはしっかり表情に出ていたらしい。まるでエイヴリルに言い聞かせるように、ディランの穏やかで低い声がゆっくりと響く。
「もし本当なら、自分を抑えるのが難しいかもしれないな。君が本当の悪女でなくてよかった」
「本当はディラン様が一番です! ……ではなく、私にはディラン様ただお一人です」
まっすぐにディランを見上げると、碧い瞳の中に、必死な自分の顔が映っていることに気がつく。こんな自分の顔、見たことがないと思えば、ディランの手のひらが優しくエイヴリルの頬に触れ、親指が唇をなぞっていく。
「……エイヴリル」
掠れた声が、息のかかる距離で響く。ディランの分の紅茶を持って部屋に戻ってきたグレイスが、そのまま出ていく気配がする。
その夜、エイヴリルはひさしぶりにディランとゆっくり過ごすことができたのだった。




