11.忠臣
夜に予定されていた晩餐会は、何事もなく終わった。
「疲れましたね……」
ディランを会場に置き、先に客間に戻ったエイヴリルはそっとソファに沈む。夫婦になってから、初めて出る夜会の場にエイヴリルは少しだけ胸をときめかせてしまった。
けれど、何も特別なことは起きなかった。当然である。
(今回、私とディラン様は結婚しているということを伏せています。夜会で私をエスコートしてくださったのはクリスさんでしたし、ディラン様は夜会の最中もお忙しいようでした)
自分から離れた場所で外交をしているディランの背中が見えると、びっくりするほど寂しい気持ちになった。ディランが隣にいてくれることが、こんなにも自分の中であたりまえになっていたことに驚いてしまう。
(それに、私は悪女ですので、ディラン様とお部屋も別です。つまり、今夜はこの後もディラン様にお会いできません……)
しょんぼりと肩を落としながら、夜会のことを思い出す。
颯爽と任務をこなすディランに対し、一方のエイヴリルはといえば『ひさしぶり。君ってこんな顔してたんだね』『僕が贈った宝石はどうしてる?』などといろいろな殿方から声をかけられ、クリスにあしらってもらう、の繰り返しだった。
会話から推測すると、コリンナはこの国でも夜な夜な宿を抜け出してどこぞの仮面舞踏会に遊びに行っていたらしい。そして、誰も悪女エイヴリルにあからさまには敵意を示してこないのが不思議だった。
コリンナの振る舞いには呆れてしまうが、どんなときでも、お金持ちや身分が高い者しか狙わないのが一貫していて、むしろ好感が持てる気がする。
(義妹の悪女っぷりに驚き戸惑うばかりの夜会でしたが、私はきちんと悪女として振る舞えていたでしょうか……)
ディランと離れた寂しさも相まって遠い目をしていたところで、グレイスがエイヴリルの目の前に湯気の上がるカップを置いてくれた。
「エイヴリル様。お休みの前のホットミルクをご用意しました」
「ありがとうございます、グレイス!」
「クリスさんにも。今日はお疲れ様でした」
「私にもですか? ありがとうございます」
グレイスはクリスにもホットミルクを準備したようだ。いつもなら、ディランと同じように蒸留酒を準備するはずなのだが、クリスのカップからは、自分のものと同じ甘い香りが漂ってくる。
クリスが自分のエスコート役を務めていたことから思い至ったエイヴリルはハッとする。
「……もしかして、クリスさん、お酒をたくさん召されましたか……?」
いつもと変わらない笑顔を浮かべて飄々とした様子だが、ほんの少し顔が赤い気がする。
「いやあ、ははは」
ニコニコと笑ってホットミルクを飲んでいるクリスの代わりに、グレイスがため息をついた。
「お側で見ていましたが、エイヴリル様に、と渡されるグラスを片っ端から飲んでいらっしゃいました」
「まあ」
「クリスさんにお酒が回ったところを初めて見ました。つまり、相当お飲みになったのだと思います。それどころか、エイヴリル様と夜会を抜け出そうとする方々の誘いを片っ端からぶった斬っていらっしゃいました。きっと、今日一番の功労者です」
「! クリスさん、申し訳ございません……!」
自分の身代わりになんてことだ。しかも、グレイスに教えてもらうまで気がつかなかったのが申し訳ない。慌てて立ち上がり頭を下げると、クリスはいつも通りに笑みを深めた。
「大丈夫ですよ。ディラン様に頼まれたことですから。もし大変だと感じたときは主人の方にクレームを言いますのでお気になさらず」
滅多に崩れることがない穏やかな笑顔を見ながら、エイヴリルはひたすら謝罪を続ける。そして、ふと思ったのだ。
(クリスさんは、ディラン様のお願いには絶対服従ですよね。それも、どんなお願いにも嫌な顔をすることがありません。普段はディラン様のお仕事に同行し頼り甲斐ある右腕として活躍されていますが、その一方で私のお買い物にも快く付き合ってくださいます)
空になったカップをテーブルにコトリと置いて、首を傾げる。
(クリスさんが、ディラン様の忠臣でいてくださる理由は何なのでしょうか。お二人の間には、特に、特別な絆があるようにお見受けします)
結局、その日、遅くになってもディランはエイヴリルの部屋には来なかった。
エイヴリルは夜会で見たディランの遠い背中を思い浮かべながら、眠りについたのだった。
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