10.国王の困惑
隣国、ブランウィル王国からの使節団の代表との挨拶を終え、執務室に場所を移した国王、リステアード・クンツェンドルフは困惑していた。
「聞いていた話と違うな」
「は」
間の抜けた声で応じたのは、宰相のアロイス・ヘルツフェルトである。この部屋にはアロイスの他に数人の側近が同席しているが、リステアードが最も重用しているのが彼だった。
アロイスは、二年前にクーデターを起こした際、自分の右腕となり積極的に動いてくれた男だ。残念なことに信頼しきれない部分は多々あるが、それでもあからさまに敵意を向けてくる一部の文官たちよりはましだった。
むしろ、若くして玉座に座ったリステアードには、アロイスの力添えがなくてはやっていけない現状がある。
さっきまでの謁見の間での様子を反芻し終えたリステアードは、お手上げとばかりに革張りの執務椅子の背もたれに寄りかかり、天を仰ぐ。
「アロイス。お前がいう通り、予告せずにあの二人を謁見の間に呼んだし、遠回りさせた。だが、何の事件も起きなかったな。むしろ、遠回りをさせられたのにあの連れの女はほんわかした幸せそうな顔で現れたぞ。あれが悪女とは、笑わせてくれる」
先ほどの謁見の間への呼び出しが外交儀礼に則していないのはわかっている。
だが、そうしたのはアロイスの『隣国の使節団は、我が国が交渉をするのに相応しい国か知る必要がある』という助言のもと、罠にかけたようなものだった。
リステアードにとって罠が必要だった理由。
それは、隣国からの使節団を受け入れる準備を進めていたある日、その使節団の中にとある有名人が含まれているらしいという情報が入ったことに始まる。
有名人の名はエイヴリル・アリンガム。ピンクブロンドに青い瞳をした、とんでもない悪女なのだという。
けれど、彼女について詳細はわからない。
なぜなら、深く関わった男たちは皆貢がされて捨てられ、プライドをズタズタにされて固く口を閉ざしているからだ。
一方、このアロイスという男が罠を提案したのは、全く違う理由があると知っている。アロイスは極端な保守派で、他国と関わりを持つことを嫌がっているのだ。
そのあたりについてリステアードとは考えが一致しないが、国に面倒ごとをもたらしたくないという点で利害は一致している。そのために、二人は協力関係にあった。
リステアードの「お前の案を採用したが、何も起きなかったぞ」という苦言に、アロイスは汗を拭き拭き告げてくる。
「事件は十分に起きております。あの連れの女は事前の噂通りの悪女です。遠回りをしてたくさん歩かせられたことこそ怒りませんでしたが、城内に飾ってある絵画に尋常ではない興味を示していました。あの女は、話に聞いていた通りの――”どんな男も手玉に取り、財産や宝石を奪い、物理的にも精神的にも丸裸にする稀代の悪女”です」
「あの女は、その絵画を欲しいと言ったのか? 身の程をわきまえずに」
「欲しいとは言っておりませんが、高いものが好きだと」
「…………」
微妙にずれた答えに、また脱力したリステアードの身体は執務椅子に沈んでいく。だが察しないアロイスは続けた。
「あの女、使節団にはバカンスのために同行していると言っていました。必要なものがあったら準備すると気遣ってやれば、高そうなものを思いついたらお願いするという答えです。つまり、我が国から金銀財宝を奪って行く気です」
「……それは」
「金銀財宝だけで済めばいいですが、恐らく特使の男は愚鈍ではなさそうです。あの悪女を使って我が国からもっと重要なものを盗んでいく可能性があります。我が国で重要な任につくものたちに、しばらくは夜遊びに出かけるなと通達を出しました」
「……想像力が豊かだな、お前は」
こじつけがすぎる、というか、どう考えても解釈がおかしいだろう。しかし、エイヴリルへの印象がリステアードとは違ったことに気がついていないアロイスは、なおも続ける。
「本当に、異国の人間は野蛮でわけがわかりませんな。あのお方のこともです。どうかお考え直しを。いくら療養目的とはいえ、異国の貴族を受け入れ、しかも王族と交流を持たせるなど、我が国のためになりません」
「今その話は関係ない」
アロイスが口にしたのは、数週間ほど前からこの国を訪れて長期滞在している、とある異国の貴族のことだった。
そのときも、アロイスはリステアードに苦言を呈し、かなり揉めた。それを思い出してうんざりしているリステアードだったが、アロイスは全く気に留める様子がない。
「陛下。異国へ興味をお持ちになる暇があるのでしたら、早く身を固めるのはいかがでしょうか」
「またその話か」
「私の娘、ジャンヌは二十歳ですが、まだ結婚をせずにおります。父親として保証します。美しく賢く、陛下のためになる娘です」
わかりやすく不機嫌さを顔に出したはずなのに、アロイスは食い下がってくる。
リステアードは愚王と呼ばれた父王を廃して国王の座に就くため、仕方がなくアロイスの力を借りた。少しずつ地盤が固まり始めたこの頃は、彼と距離を置く方法を考えつつある。
しかし、それはアロイスの方も感じ取っているらしい。最近は、より結びつきを強めるため、自分の娘を王妃にしろとうるさいのだ。
(この男には感謝している部分はあるが、そろそろ距離を置かなくてはいけないな)
言葉を無視し、水が入ったグラスに手を伸ばすと、さすがのアロイスもリステアードの不快感を察したようだった。
「失礼いたしました。……話を戻しますが、あのエイヴリルという悪女は、謁見の最中にもマナーを無視した振る舞いをしていました。けしからん女です」
「……」
それは、挨拶の最中に咳き込んでしまった自分の妹にもかかわる言葉だ。
あのとき、リステアードは妹を助けてやりたかった。
だが、足場固めが終わりきっていない自分の立場では、声をかけることはエミーリアのためにならない。それどころか、正装をしてあの場に臨んだエミーリアのプライドをもへし折りかねない行為だ。
だから、何もできずただ見守るしかできなかったリステアードにとっては、自分のペースに持ち込んで全てをなぎたおしたエイヴリルの振る舞いは渡りに船だった。
彼女にはエミーリアを助けようという意図が明確に見えた。だが、どういうわけなのか何だか変な方向に空回っていた。あの、緊張感につつまれるはずの謁見の間でそれをやってのけたことが面白くて、リステアードはつい笑ってしまったのだ。
思い出しただけでまた笑いそうになるのを、何とか堪える。
「……あれは、違うだろう」
「は」
「いや、何でもない。とにかく、隙を見て妹のエミーリアをエイヴリル・アリンガムに会わせてやらないとな」
「は?」
アロイスは、悪女のエイヴリルにリステアードとは違う解釈をしているようだ。それはそうだろう。極めて保守的な考えを持つこの男は、他国との交流を断ち、この国の収入源となっている観光業すらも廃止させようとしているのだから。
己の先入観のもと、ますます疑問を深めたらしい側近に、リステアードは頬杖をついて兄の顔に戻り、にやりと笑った。
「――兄の憂いとは反対に、我が妹は、悪女エイヴリルの重いファンだからな」





