8.謁見の間にて
それから、謁見の間にたどり着くまでのルートはなかなか困難だった。
階段を上り、下り、また上って下りた。右に曲がり、また右に曲がり、右に曲がって、右に曲がった。元の場所に戻った。
そんなことを繰り返してやっとのことで謁見の間に着いたが、どうやら同じ場所をぐるぐる遠回りして案内されたらしい。
(これは……もしかして嫌がらせというものでしょうか!)
アリンガム伯爵家を出て以来、こんなわかりやすい意地悪に遭遇したのは久しぶりだ。
だが、嫌がらせに無縁な生活をできているのはディランと出会えたからこそだし、そもそもこの嫌がらせに気付けるようになったのは、ディランがエイヴリルを大切にしてくれるからだ。
あらためて、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
(ディラン様と一緒にいると、あらゆる種類の幸せを感じられる気がします。つまり、嫌がらせ、ありがたいことです)
エイヴリルが幸せな人生に感謝していると、険しい顔をしたディランが文官に向けて苦言を口にした。
「なぜ遠回りを?」
「いや、何のことか」
「初めての場所であることに加えて、同じような景色が続いているから気づかないと思ったのかもしれないが、わざと遠回りしたのは理解した。それで、この遠回りの目的は何だ?」
「いいえまさか。使節様は、何か勘違いをされているようだ。確かに、この王宮内の景色は似たようなものが続いております。ですが、遠回りなどしておりません。そう思わせてしまったのなら謝罪します。紛らわしい造りの城で、申し訳ございません」
のほほんと幸せを感じている場合ではなかったようだ。急にふてぶてしい態度になった文官は、表情を歪めたまま頭を下げる。
けれど、外交という場面でディランが確証なく摩擦になるようなことを言うはずがない。この文官が遠回りしたのは事実に違いなかった。
(この方は何のためにこのようなことをなさるのでしょうか?)
意味がわからないでいるうちに、ディランがしぶしぶ謝罪を受け入れる。この追求は、これ以上エスカレートさせないための牽制のようなものだったのだろう。
「そちらの言い分はわかった。これ以上は追及しない」
「……。では、国王陛下の御前に案内いたしましょう」
文官の意味深な笑みとともに、両開きの大きな扉がギイと音を立てて開いた。この先には、一筋縄ではいかないと評判の国王陛下がいる。
大理石の床の上に、赤い絨毯が敷かれているのが見えた。
絨毯が続くその先は階段のようになっていて、数段上がった先に豪奢な椅子が置かれていた。エイヴリルが人生で初めて目にする、玉座である。
そこに座っているのは、想像していたよりも若い青年だった。
(王位交代の経緯や、ローレンス殿下のお話から、お若い方が国王の座についたことは想像していましたが、まさかここまでとは)
ローレンスの昔馴染みという言葉そのままに、歳の頃は二十五歳ほどに見える。
黒曜石のように深く艶やかな黒髪と、物語の世界で見たことがある吸血鬼のような赤い瞳。短く整えられた髪は、一国の君主というよりはまるで騎士のようだ。
蠱惑的な瞳と無骨な印象のアンバランスさに、思わず見入ってしまいそうになる。
「クラウトン王国、リステアード・クンツェンドルフ国王陛下。ブランウィル王国、ローレンス・ギーソン王太子殿下の命を受けて参りました。シェラード侯、ディラン・シェラードと申します。陛下にお目にかかれて恐悦至極に存じます」
国王に対してディランが恭しく挨拶をする光景が、美しい。二人の邂逅をじっと見つめていると、国王はにやり、とこの緊張感に満ちた場にふさわしくない笑いを浮かべた。
「遠路はるばるよく参った」
そうして、周囲に視線を送る。それを合図に、この謁見の間に立ち会っている者たちが一斉にエイヴリルたちの方へと向き直った。ずらりと並んだ光景は圧巻である。
(話に聞いていた通りです。これは、正式なご挨拶……!)
学んだところによると、外交シーンでは上位の者から順番に挨拶をし、全員が挨拶を終えて主催の許可を得たところで着席するのがマナーらしい。
これはブランウィル王国とクラウトン王国ではほぼ共通の決まりごとで、このルールに著しく反した振る舞いをすると主催の機嫌を損ねることになりかねないという。
何の役職にもなく、ただの悪女でバカンスのお願いにきた自分の順番は間違いなく最後の方である。というか、発言の機会はないかもしれない。そう思えば、緊張はすぅっと消えていく。
皆の挨拶を聞いて覚えるだけで良いのなら、随分と気が楽だ。
(悪女として何かしないといけないのかと思っていましたが、必要がなさそうです!)
しかし、ほっとしたのは束の間である。国王の指示で、次に話そうと立ち上がったのは、十代の少女だった。
黒髪に赤い瞳と、国王とよく似た外見をしている。髪は美しく巻かれ、きらめく波のような艶に惹かれずにはいられない。アイボリー色のドレスを纏い、頭にはティアラを付けて正装している様は、圧巻だ。
間違いなく、一目で、この人が王女なのだとわかった。
しかしいくら異国の使節団を迎える場とはいえ、正装がすぎるのではないか。
同席している他の人間たちの服装から察するに、このドレスはどう考えても頑張りすぎているのだ。ちなみに、ここまで遠回りをしながら案内をしてくれた文官は、しっかり王女の隣の隣に立っていた。
(やはり、あの文官さんは重鎮だったようですね)
そんなことを考えていると、王女からの挨拶が始まった。





