5.悪女と取り巻く者たち
順調に船と鉄道を乗り継いで、エイヴリルたちはクラウトン王国に到着した。
王都に入ると、大通り沿いには、歴史を感じられる石造りの家々が立ち並んでいる。ブランウィル王国の王都には都市的で機能性重視の建築物が多いが、ここは古くからの街並みが守られているようだ。
王城を目指して馬車に揺られながら、エイヴリルは車窓から外を眺める。
「クラウトン王国の王都リスソンは、話に聞いていた通り、自然に囲まれた美しい街なのですね……!」
街の向こうには、王都のすぐ側に連なる山脈が見えている。切り立った山々の上部には岩肌が見え、春だというのにまだ雪に覆われたままだ。書物によると、あれは一年中溶けることがないらしい。
その全景は想像していたよりもずっと荘厳な雰囲気を纏い、畏怖すら覚えた。
さらに、あの広い山脈の麓には湖や草原があり、たくさんの動物が暮らし、観光地になっているらしい。貴族の別荘地にもなっているのだとか。
「……多くの人々が、自然に癒されるために訪れる場所ですね。かつて、お継母様とコリンナがバカンスの地に選んだのも納得できます」
「……普通の家族ならば、その場にエイヴリルもいたのかもしれないが」
「?」
躊躇うような、でも温度を感じさせる声音に、エイヴリルはディランへと視線を移す。
「自分勝手かもしれないが、そうでなくて良かったと思う。君が初めての景色に驚き喜ぶ姿を見られるのは俺の特権になっているからな」
「私もです。私が人生で目にする世界は、どれもディラン様と一緒なのだと思うと、幸せです」
「ああ、その通りだ。この先の世界は、全部一緒だ」
笑みで応じると、ディランはエイヴリルの前髪に口づける。
(わぁぁ……)
さりげない仕草に鼓動が高まったものの、今回は特別な任務のためにここへ来ているのだ。のんびりばかりしてはいられない。ということで、何とか切り替える。
「ローレンス殿下が望んでいる地下資源はあの山脈の中なのでしょう。クラウトン王国の国王陛下が、地下資源の開発に積極的ではないのは仕方がないことのような気がします」
あらためて現実を知ると、自分たちに課せられている任務が相当難しいものなのだとわかってくる。エイヴリルの突然の切り替えに苦笑していたディランは、ローレンスから渡された分厚い資料を取り出した。
「その糸口を探す切り札がエイヴリルなのだろう。……物覚えがいい君には必要ないとは思うが、俺のために、資料の内容と今回の作戦についての確認に付き合ってくれるか?」
「はい! まず、ディラン様は『使節団の代表、ディラン・シェラード侯爵』として訪問されるのですよね。ランチェスターを名乗ると、調べられたときに悪女エイヴリルに辿り着く可能性があるからと」
「ああ。シェラード侯爵というのは、俺の成人前の爵位で、現在も保持しているものだ。嘘ではないから問題ない」
(ブランウィル王国の上位貴族では、子供の頃から爵位を受け継ぐことが多いです。もし突っ込まれたとしても問題はありませんね)
ローレンスの事前調査によると、悪女エイヴリルは素性の知れない存在として一部で有名だ。
しかし、エイヴリルの名を騙って夜遊びをしていたコリンナがあらゆる面で嘘をついていたため、エイヴリル・アリンガムにはなかなか辿り着けず、それも手伝って伝説的な存在になっている状態らしい。
一方のディラン・ランチェスターだが、運悪く前公爵が遊び人で有名だった。そのため、ディランが本当の家名を名乗った場合、芋蔓式に悪女エイヴリルに辿り着く可能性もなくはなく、このような設定にすることにしたのだった。
「使節団のことを調べられて、代表を務めるディラン様の妻が噂の悪女だなんてことがバレたら、この作戦は台無しですものね」
「あまり考えたくないな」
ため息をついたディランに気が引き締まるが、ディランは表情を変えることなく作戦の続きへと進む。
「我が家から同行させているクリスは悪女エイヴリルの護衛、グレイスは悪女エイヴリルの侍女として動いてもらう」
「二人とも、私に手を焼いている設定ですね。腕がなります」
自信を持って微笑むと、お仕事モードでクールだったはずのディランの目線がわずかに泳いだ。なぜか。しかし首を傾げる間もなく、話は続く。
「ローレンスは全面的にエイヴリルへ任せるようにと言っていたが、従わなくていい。もし少しでも不安があれば、どんなことでもいいから相談してほしい。そのために俺がいる」
「承知いたしました! 不安になったら相談しますね」
「……」
今度は、ディランから返答がない。それどころか、なんだか不審そうな眼差しを送られていた。
(わかりました。これは、私が自分の判断で無茶をしてしまうことを心配されているのですね。確かに、心当たりしかありません……)
先日の領地やヴィクトリア号での振る舞いには反省しかない。ディランを安心させようと、エイヴリルはしっかりした口調で告げた。
「私は『ブランウィル王国の王太子ローレンス・ギーソン殿下の愛人、悪女エイヴリル・アリンガム』として訪問すればいいのですよね。切れ者の王太子をも手玉に取る悪女という設定です。クラウトン王国にもっと便宜を図っていただき、バカンスに向かう我が国の国民をもっと受け入れてほしいと要請するため、この使節団に同行しています」
「資料を読んだときも酷いと思ったが、声に出して説明されると破壊力がすごいな」
「ふふっ。バカンスを楽しむために使節団に無理やり同行する悪女です!」
「ああ……でも無理をすることはない」
「しっかり設定は覚えましたから。あとはその通りに振る舞うだけです」
「……」
元気いっぱいに答えたのに、ディランはやはり心配そうだ。
だが、今回の設定はアレクサンドラが考えたのだ。悪女を演じがいがあって、エイヴリルとしてもやぶさかではなかった。もちろん、口には出さないけれど。
設定を詳しく説明すると、悪女エイヴリルは王太子とその婚約者の仲を引き裂く存在で、ローレンスは普段は私室にエイヴリルばかりを呼んでいるというものが軸になる。
エイヴリルは金銀財宝に目がなく、帳簿を好み、高価な宝石を貢がせ、確かな審美眼で見極める。
なんだか違和感がある設定だが、アレクサンドラ曰く『嘘の中に真実をいくつか混ぜたほうがそれっぽさが出るのですわ』ということだった。ちなみに、エイヴリルにはどれが嘘でどれが真実なのかいまいちわからない。
なお、設定ではローレンスはエイヴリルに貢ぎすぎて国王陛下に叱られたこともあるという。もちろん嘘だが、この設定を聞いたとき、ローレンスは満足げに上機嫌で笑っていた。
あの二人のカップルは、国を担うのに本当に相応しいと思う。そして、設定上のエイヴリルは素晴らしい悪女である。
「しかし、なぜ悪女エイヴリル――つまり君の妹のコリンナ・アリンガムはクラウトン王国で有名なのか。心当たりは?」
「……数年前、お継母様とコリンナが二人でクラウトン王国にバカンスに出かけたことを覚えています。私には詳しいことは何も知らされなかったので、詳細は分かりませんが、もしかしてそこで何かあったのかもしれませんね」
「なるほど。旅先で羽目を外したのか。理解した」
ディランは、自分の父親である前公爵が旅先で好みの令嬢を見つけては囲っていたことを思い出したらしく、遠い目をしている。
「コリンナはクラウトン王国での夜遊びで何か伝説を作り、それが、膠着状態にある外交に風穴を空けるきっかけになりうる、とローレンス殿下は判断されたということですよね」
「ローレンスはクラウトン王国の新しい国王と幼い頃に交流があったらしい。あれで人を見る目は確かだ。命の危険はないと確信したうえでの派遣だと思うが、くれぐれも無理はしないように。もし何かあったら、別人だと知られる前にごまかして逃げるぞ」
「はい。しかと承りました」
にっこりと微笑んでみたものの、ディランの表情に透ける心配の色は消えない。
けれど、いまのところ、エイヴリルはやる気いっぱいなのだった。




