3.隣国への旅
クラウトン王国へは陸路だけでも行けるが、時間短縮のために鉄道と航路を使っての旅になる。エイヴリルはディランと共に豪華客船に乗っていた。
このヴィクトリア号は一晩だけの新婚旅行でも潜入した船。記憶に新しい豪華客船との再会は、エイヴリルにとって喜ばしいものだった。
「まさか、またヴィクトリア号に乗船できるとは思いませんでした! ローレンス殿下に感謝しないといけませんね」
「それ、本気で言っているのか」
「はい。ディラン様と一緒の旅ですし、とても楽しいです!」
あたりまえです、と胸を張ると、隣のディランが脱力したのがわかった。極秘任務なのに楽しくて申し訳ないとは思うが、やはりわくわくする気持ちは隠せない。
(いけません。ディラン様は私のことを心配してくださっているのに……!)
船にわくわくしているのも、ディランとのお出かけが楽しいのも、どちらも極秘任務には相応しくないので黙っていなければいけなかった。
両頬をぱちんと叩いたエイヴリルは、何とか気持ちを抑えることに成功した。無事に頭の中も切り替わったので、部屋の中の机に置いてある分厚い資料へと視線を移す。
「クラウトン王国の内政事情がかなり複雑ということは知っていましたが、事情を踏まえると、国王陛下に信頼してもらうには一筋縄では行かなさそうですね」
「ああ。ローレンスはどうしてこんなに面倒なことをエイヴリルに依頼したのか」
「王太子殿下のことです。ほかの方法では埒が明かなかったのでしょう。ディラン様もその辺はよくおわかりですよね」
「……それはそうなのだが。立場上、キッパリと拒絶できない自分にも腹が立つ」
「まあ」
ディランがあまりにも憎しみがこもった表情をしているので、思わず笑ってしまった。
「ふふっ。ディラン様との旅行はあれきりだと思っていましたが、こんなにすぐにお出かけができて、とてもうれしいです。ほら見てください、絶景です!」
そう言いながら、エイヴリルは眼前に広がる海を手で指した。
出航してすぐ部屋のデッキに出たのたが、穏やかな波が夕日を反射して、きらきらと揺らめいている。この後に見られるサンセットもきっと素晴らしいものになることだろう。
(この前のヴィクトリア号への乗船は嵐の後で風が強かったですが、今日はとても気持ちいいです)
思考の流れから、とあることを思い出したエイヴリルは聞いてみる。
「そういえば、クラウトン王国はリンさんの故郷でもありますね。元気にしていらっしゃるでしょうか?」
「たしか、修道院に併設されている孤児院に引き取られたんだったか」
「はい。できれば、ご挨拶に伺う機会があればいいなと思っています」
「わかった。滞在中に会えるよう手配しよう」
「ありがとうございます!」
エイヴリルに応じてくれるディランの優しい微笑みの端っこに、やれやれ、という諦めが含まれているのは気のせいだろう。
(そういえば、リンさんはなぜか悪女エイヴリルのことにお詳しくていらっしゃったのですよね。国で有名だとおっしゃっていましたが、今回のローレンス殿下からのお願いが何か関係があるのでしょうか?)
そんなことを考えていると、「失礼します」という声が聞こえて、部屋の中からクリスが現れた。いつも通りニコニコと穏やかに微笑んで、この後の殺人的スケジュールをさらりと告げてくる。
「今日この後の予定ですが、ウェルカムパーティーを終えたら、ディラン様には使節団の代表として幹部の方々への挨拶の場を設けていただいています。その後、クラウトン王国の商人と面会し現地の情報を仕入れ、日付が変わった後は、現地の情報をふまえた上で各部との打ち合わせを。特別に明け方に電信室を押さえられましたので、ローレンス殿下への電信はその時間に。それから……」
「あの、まだ続くのでしょうか?」
「はい。クラウトン王国に到着するまで、ディラン様にお休みになる時間はないかと」
「まあ」
あまりにも詰め込まれすぎたスケジュールにうっかり口を挟んでしまった。クリスも申し訳なさそうにしているが、当のディランは涼しい顔をしている。
(ディラン様は大変ですね)
このバルコニーから見える空は少しずつ赤く染まり始めている。にもかかわらず、一日が永遠に終わらなさそうなディランの一日に同情するしかない。




