40.とりあえず交渉に向かいます
一方、ヴィクトリア号の隠し部屋にいるエイヴリルは、これ以上ないぐらいに首を傾げていた。
「あの、皆さまは、その……ブランドン・ランチェスターさんに私を売るのでしょうか?」
「ええそうよ。あなたも名前ぐらいは聞いたことがあるかしら?」
「はい、あるといいますかとっても聞いたことありますね!」
本当にランチェスター公爵家の人間に自分を売ってもいいのか確認したが、キャシーは上機嫌のままだ。エイヴリルがランチェスター公爵家の関係者とは夢にも思っていないようだ。
(なるほど。仮面舞踏会で出会ったおかげで、キャシーさんは私をアリンガム伯爵家の悪女『エイヴリル・アリンガム』だとお思いなのですね。ランチェスター公爵夫人だとは気がついていない)
悪女のふりしててよかった。
そう思ったエイヴリルだったが、また新たなピンチに気が付く。
(待ってください。確か私は前公爵様に最後にお会いしたとき、とんでもない啖呵を切ったような? 自分はランチェスター公爵家をのっとろうとしていて、公爵家の全ては自分のものだとか何とか言ったような気がします……?)
いくら遊び人でどうしようもなくて家名に執着がなさそうな前公爵とはいえ、家を乗っ取ろうとする嫁を助けようとするだろうか。
そして、さらにエイヴリルは前公爵に嫌われることに全力を注いでいたことを思い出す。ディランに余計な心配をかけないよう、前公爵を遠ざけるために悪女を演じていたことを。
(悪女がお嫌いな前公爵様に「悪女とは途轍もないものだな」という痺れるお言葉をいただき、うれしかった気はするのですが……現在の状況と照らし合わせると、あまりいい感じではないですね!)
あっさりと考えがまとまったところで、大きな箱が運び込まれてきた。ちょうど人が一人入れる大きさの、蓋つきの木箱だ。
「これは……?」
煤けた顔のエイヴリルは首を傾げ、見守っていた女性たちは青い顔をして震え始めた。そんな中、キャシーは銃を両手で持ち上げるとカチャリと音をさせ、銃口をエイヴリルに向ける。
「この中に入りなさい。外まで運んであげる」
「――!」
どうやら、自分はこの中に入れられて船外まで連れ出されるらしい。外に行けるのはありがたいが、そこで待っているのは前公爵その人である。そこで買ってもらえなければ、自分は船の中に逆戻りするだけだ。
船の出航は止めたし、ディランが助けに来てくれると思えば、別に不利益はない。
(……いいえ、私は買われてはいけないのだわ。ランチェスター公爵家からこのような犯罪組織にお金が流れるのを止めないと。ディラン様が大切にしているランチェスターの名前にかけて)
そう思い至ったエイヴリルは、ハンカチでごしごしと顔をこすりながら箱の中に入る。するとリンの不安そうな声が聞こえてきた。
『エイヴリル……!』
『大丈夫です。皆さんにもきっとすぐに助けが来ますから。いざという時は落ち着いて行動するよう、皆さんにお伝えしてくださいね』
にっこりと微笑めば、リンは泣きそうになりながらうんうんと頷く。リンを抱きしめているクラリッサも青い顔をしているが、頷いてくれた。
(大丈夫、ディラン様がきっとなんとかしてくださいます)





