39.巻き込まれた男
ブランドン・ランチェスター(ディラン父)視点の回です。
その日、ブランドン・ランチェスターは鉄道を使って公爵領から少し離れた海辺の街・コイルを訪れていた。
「この街はいいな。あいつに毒されていない」
街の景色を眺めて唇を歪め不機嫌に笑えば、付き添いでやってきていた別棟の家令は愛想よく微笑む。
「ディラン様のことでございますね。確かに、ディラン様に代替わりをしたランチェスター公爵家は雰囲気が変わりましたし、ディラン様が戻ってからはマートルの街に活気が出たように思います」
「あいつの名前を出すな。そして褒めるな。不愉快だ」
ブランドンは葉巻を投げ捨てて歩き出す。それを家令があわてて拾って追いかけてこようとしているが、気にせずに歩く速さを上げた。
(国王陛下に勧告されてディランに爵位を譲ったが、すぐに立ち行かなくなって私のところに戻ってくるはずだった。それがどうだ、実際には全てがうまくいっている。まるで、私がしてきたことが間違いだったかとでもいうように)
息子のディラン同様、ブランドンも若いときはそれなりに優秀でもてはやされた。家柄やルックスにも恵まれ、周囲には女性たちが群がった。
しかしディランとブランドンの能力は似ているが、人間性がまるで違った。ブランドンは群がる女性たちを冷たくあしらうのはもったいないと考えたのだ。
ということで、言い寄ってきた女たちの中で家柄のいい女性を選んで適当に遊んでやった。すると、しばらくして遊んだ女たちの実家から抗議がくるようになった。
なるほど家柄のいい女と遊んではいけない。ブランドンは学んだ。学んだので、次は下位貴族の令嬢と遊ぶことにした。彼女たちはそれなりに弁えているし、連れて歩くのにも悪くない。
そう思っていたのだがまた問題が起きた。
弁えていて現実を知っているぶん、逆に大金持ちの次期公爵を捕まえようと本気になる令嬢が出てきてしまったのだ。それも複数である。
これはいかんと手切れ金を積んで切ったはいいが、その頃のブランドンは女遊びなしではいられなくなっていた。
ということで、反抗も本妻になることも期待しない大人しくて聞き分けのいい清楚な女だけを選んで遊ぶようにした。一人にのめり込みすぎると情が湧いてよくないので、両手の指の数以上の女と遊ぶようにした。
そして本妻になれることはないと示すため、彼女たちには別棟で暮らさせた。たまに、別棟を円満に出て行った女から手紙が来て隠し子騒動などが持ち上がることもあったが、多額の現金で簡単に解決できた。
別棟を設けてからの数十年間、ブランドンの毎日は楽しくて平和だったのだ。目に入れないようにしてきた、前妻とその前妻が産んだ一人の息子との軋轢をのぞけば。
「――自分を振り回すような女に夢中になるなんて。あいつはどうかしている」
ぶつぶつと毒づきながら、石畳の道を歩くブランドンの脳裏に前妻の顔が思い浮かんだ。
滑らかで美しいブロンドヘアにやさしげな菫色の瞳。まともに会話ができた試しがなかったが、唯一思い通りにならない女だった。
いつも自分のことを軽蔑したような目で睨み、美しい顔にただの一度も微笑みを浮かべたことがない、つまらない女だ。
若い頃のブランドンは自分の要領の良さが自慢だった。公爵家が潰れない程度にのらりくらり領地を経営しつつ、自分の好みの女たちを周囲に置いて楽しく暮らす。何事にも本気にならない、いい男の暮らしだ。
――と思っていたのだ。
「なのに、なんだあのエイヴリルとかいう女は。偉そうに振る舞い、完全にランチェスター公爵家を馬鹿にしている。……が、なぜかこう頓珍漢な行動も多くて憎めない。手に入れたいとはまた違うが……見ていると、自分の人生が間違いだったような気がするんだ」
ディランの婚約者はひどい悪女だと聞いていたし、実際に接した愛人たちも口を揃えて『ひどい悪女ですわ』と言っていた。
けれど、ディランを椅子にしてお菓子を食べさせられて目をぱちぱち瞬く姿はまるでウサギかハムスターか未知の生き物のようだった。
つまりどう考えてもあの女は変なのだ。
そしてそんな二人を見ていて、ブランドンは自分にあり得たかもしれない未来に気がついてしまったのだ。快楽に心を奪われることなく、公爵家の主人として幸せに過ごす人生に。
そう思ったら、気がつくと書斎の書類に手を出していた。かつては面倒にしか思えなかった書類だったが、今はなぜか懐かしさと苛立ちにも似た感情に襲われて困惑した。
書類に一度手を出したら、戻せなくなった。母屋勤めのメイドに言いつけてまで書類を集めようとしてしまった。
一度踏み入れたら引き返せない。こういうところが自分が別棟に妾が暮らすハーレムを作ってしまった理由なのだろう。
失われた時間を取り戻すように公爵様ごっこを始めてみたら、秘書も探したくなった。かつて自分の側近を務めていた男はもう引退して音信不通だ。
思えば、彼は公爵家への忠義に厚い男だった。離れに入り浸る自分には何も言わなかったが、とうに愛想を尽かされていたのかもしれない。
ということで、ブランドンはコイルの街へ来たついでに秘書として適任の人間はいないかあちこちで問い合わせておいたのだ。
「マートルの街や付き合いのある貴族の子息からでは探せない。その辺での私の動きは全てディランの耳に入るようになっているからな」
「ブランドン様が秘書を探していることについてはディラン様もご存じのようですが」
「うるさい。お前たちが話すからだろう」
定宿として宿泊しているホテルのスイートルームでブランドンと家令が話していると、寝室を整えていたメイドのシエンナが出てきて礼をする。
「大旦那様、寝室の準備が整いました」
「……下がれ」
今回の外出は別棟の家令に加えて、母屋のメイドのシエンナを同行させている。身の回りの世話をさせるメイドが一人ほしかっただけだ。
いつもならルーシーあたりを同行させて楽しい旅行にするのだが、今はなぜかそういう気にならない。
(シエンナを選んだのはあの女――エイヴリルが褒めていたからではない。決してな)
深夜、そんなブランドンのところに電報が届けられた。
この街に来てからあちこちで『秘書を募集している。良い人間がいたら紹介してくれ』と言っていたはずが、届けられたのは『新しい愛人としておすすめの女性』に関する情報だった。
身から出た錆とはいえ、腹立たしい。
しかしちょっと興味はある。息子のディランは別棟を解体しようとしているし、テレーザに逃げられたことで実は自分でも潮時だと思っているが、長年の癖は抜けないのだ。
どんな女が売られるのか、と興味を持ち電報を覗いたブランドンの目に飛び込んできたのは、覚えのある文字面だ。
「“ヴィクトリア号に乗船していて、明日の朝入港し次第引き渡す”……?」
もちろん船の名前は知っているし、何度か乗船して遊んだこともある。船長とも挨拶したことがあって知り合いだ。
あの頃、自分は公爵だった。失われた未来へ続いたかもしれない、懐かしい過去。そんなことを思うと会わずにはいられない気がした。
「――朝に港へ行くと伝えろ」
公爵家の主だったころの思い出に夢中なブランドンは、電報の最後の文字に気がつかなかった。
――最高の悪女をお売りします、という一文に。





