38.考え直してください
続いて、周囲からも声が上がる。
「そうだ。その部屋に囚われている女性たちが異国に連れて行かれないよう全力で船を止めるよ。石炭まで焼べられちゃあな」
「港町で遊びたかったし、停泊する時間が延びるのも悪くない。合図があるまででいいんだな? マートルの街でのように、数日留まってもいいぞ」
「オマエまだ遊び足りなかったのかよ」
賑やかに交わされる会話に、エイヴリルは目を瞬いた。
(つまり、これは……! 船の出航を遅らせてほしいという頼みを聞き入れてもらえるようです)
「……皆さん、ありがとうございます」
精一杯の礼を込めて深く頭を下げると、状況を理解したらしいリンがぱぁっと笑みを浮かべる。
『エイヴリル、もしかして交渉うまくいったの?』
『ええ。港に着いたら指示があるまで船を泊めてくれるそうです』
『やった。よかったね!』
『これで、あとはディラン様が助けてくれれば問題ありません』
『だれそれ? でもよかった! これでみんな異国に連れて行かれなくて済むね』
手を取り合って喜んでいると、機関士は心底不思議そうな顔で聞いてくる。
「しかし、何だってボイラーの修理をさせたんだ? 一つが壊れていれば、もしかしたら何もしなくても次の港で停泊させられたかもしれないっていうのに。もちろん、それぐらいで半刻で出発するという上の指示は覆らなかったと思うが」
「この船で働く皆さんは乗客の命を預かっていらっしゃいますから。海の上ではなるべく万全の態勢でいられるようにお手伝いするのは当然のこと。つまりそれはそれ、これはこれです」
「それ……これ……なるほど」
エイヴリルの言葉を繰り返した機関士は感心したように続けた。
「ランチェスター公爵家といえば、好きもの――いや失礼、変わり者の公爵閣下が治めていた時代が長かったように感じたが。もしかして今は代替わりをして随分まともになっているんだな」
「……はい。いまのご当主はとても素敵な方です」
エイヴリルが微笑んでそう答えれば、なぜか機関士たちはそれぞれ目配せし「はいはい。わかったぞ」「公爵ご本人はまともになっても女の趣味が変わっていなさそうだな」と笑い合ったのだった。
石炭を焼べ、機関士たちを説得したものの、エイヴリルがリンと一緒にバックヤードで過ごした時間は半刻にも満たなかった。
石炭のせいで黒くなってしまった顔を拭き拭き監禁部屋に戻ると。キャシーが扉の前で待っていた。
「よしよし、ちゃんと戻って来たわね……ってあなたなんか顔が黒くなってない? 子どもの見張りをしに行っただけなのに、いったい何があったのよ⁉︎」
(その気持ちはよくわかります)
そう思いながら、エイヴリルはハンカチで顔を拭き直す。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。機関室の方から煙が流れて来て、こんなことになってしまいました」
「ふーん? よくわかんないけどどこからどう見ても黒すぎるわね。うん、黒いわ」
「黒いと何か問題でも……?」
首を傾げれば、入港を知らせる汽笛の音が鳴り響く。
いよいよ港に到着するのか、間に合ってよかった……とホッとするエイヴリルだったが、キャシーは他の悪女たちに目配せをした後妖艶に微笑んだ。
「よかったわね。あなたのことを高く買ってくれるかもしれない人が次の港で待っているみたい」
「えっ?」
「電信を使って、あなたの買い手を次の港――コイルの街にいる仲間に探してもらっていたの。偶然大富豪のおじさんがコイルの街を訪問していて、あなたにとっても興味を示しているそうよ。悪女としていろんな男を騙して貢がせるのもいいけど、彼に買われるのも悪くないと思うわ。だって私たちの懐が潤うもの」
「キャシーさん? なんてことを……」
ここで出会ったときの会話を踏まえると、この悪女たちから逃れられなければ自分も誰かに売られるのは理解していた。けれど、まさか翌朝に売られるとは、スピード展開がすぎるのではないか。
あまりの展開の速さに遠い目をしようとしたエイヴリルだったが、キャシーはその時間すら与えてくれない。上機嫌で驚愕の名前を告げてくる。
「あなたを買ってくれる男の名前はね――ブランドン・ランチェスターっていうの。かつては好色家の老いぼれ公爵閣下、としても名を馳せた変態オヤジよ」
「……はい?」
普段エイヴリルはあまり驚くことがない。でも今回ばかりは違った。
自分が売られるという事実よりも何よりも、自分を買おうとしている人間の名前に聞き覚えがありすぎたのだ。
(ブランドン・ランチェスターさんって……その……あの……つまり前公爵様ですね?)





