30.警戒されているようでしたが
エイヴリルが閉じ込められている隠し部屋。
ここに連れてこられてまだ数十分ほどのはずだが、エイヴリルはなぜか周囲がざわつき始めたのを感じていた。
「随分遅い時間になったけれど、テレーザが戻らないわね」
「営業役のウォーレスと一緒に遊んでるんじゃない。見張り役も放棄して本当にいいご身分ね?」
「あーあ。私だってベッドで寝たいわ」
監視役を務める悪女たちのそんな声を聞きながら、エイヴリルは床に座り込んでリンの髪を梳かしている。
(テレーザさんがそろそろ戻る時間のはずなのですね。テレーザさんが戻ってきたら、ちょっと面倒なことになるので外でディラン様が捕まえてくださるとありがたいのですが……。ですが、戻らないのならうまくいっているのかもしれません)
しっかりメモは残してきた。ディランならば二等船室のパーティーでテレーザを捕まえた後、あの非常階段の先にあるこの扉を見つけ、エイヴリルたちを助けてくれるだろうとは思う。
(まぁ、二枚のメモをちゃんと読んでくださっていればですけれどね!)
我ながら若干不安になる言葉で思考を閉じ、エイヴリルは櫛を置いてリボンを結んだ。
『はい、できましたよ』
『わー! 悪女エイヴリルってすごいのね。こんな髪型までできちゃうんだ』
『ええ、悪女ですから』
エイヴリルを騙してここまで連れてきたリンだったが、意外と素直らしい。『悪女ってすごいんだねえ』と感心しながら部屋の隅においてあった半分がひび割れた鏡に自分の姿を映して感動している。
もしゃもしゃが気になっていたリンの髪だったが、丁寧にサイドを編み込んで、元々ついていたリボンを結び直してやれば、たちまちかわいくなったのだった。
『でもこんなことしてくれるなんて。やっぱりいい人だね』
『リンさんこそ、さっき外に出られたときに一人で逃げることもできたでしょう。あなたこそ、とっても優しくて強いですね』
そう伝えると、リンは恥ずかしそうに目を逸らして黙ってしまった。
(ふふふ。リンさんはいい子ですね)
すると、エイヴリルを有名な悪女だと勘違いし、警戒している周囲の女性たちも戸惑いながら視線を送ってくるのに気がつく。
異国語でかわされているエイヴリルとリンの会話の内容がわからなくても、雰囲気はなんとなく伝わるのだろう。彼女たちに向けてエイヴリルはにっこりと微笑んだ。
「悪女が子どもをいじめていいはずがありませんから」
「「「……???」」」
念押しのはずだったが、女性たちは目を泳がせて顔を見合わせた。その中の一人、リンより少し年上に見えるぐらいの少女と目が合った。
彼女も髪がもしゃもしゃだ。リンの新しい髪型とエイヴリルの手を目を輝かせて交互に見ている。
「仕方ないですね。あなたもこちらに来てください」
ふふん、と悪女らしく手招きをすれば、少女は戸惑いながらもそろそろとやってきてエイヴリルの前に座った。
「どんな髪型がいいですか?」
「……お嬢様っぽいのが……」
「なるほど、少し苦手ですががんばりますね。以前はこれでも『お嬢様』の身支度のお手伝いをしていましたから」
「えっ?」
「まぁ、コリンナは普通ではないお嬢様でしたけれどね……」
「ええ?」
「あっ、いえ何でもありませんわ」
リンがうれしそうにしているのを見て気が緩んだせいか、考えていることが口からそのまま出てしまった。これはいけない、と気を引き締める。
無心になってする作業というのは、エイヴリルにとっては頭の中の思考をびっくりするほど単純にしてくれるものだ。髪を梳かすのもそのひとつ。
(運行スケジュールによると、明日には次の港に寄港する予定です。その先は異国に向けた長い航路になります。ディラン様が次の港に辿り着くまえに助けに来られなかった場合の想定もしておかないといけませんね。つまり、船を足止めする必要があります)
ではどうやって船を港に留めればいいのか。わかりやすく確実な手段としては、船が故障すればいいのではないだろうか。
(昨夜読んだ豪華客船の本には、一般的な船の構造が書いてありました。この船は、煙突の数から考えてエンジンが3基あるようです。ですが、港に到着するとともに3基のエンジンを全て壊すのはどう考えても不可能です)
エイヴリルはボイラーの修理ぐらいはしたことがあるが、船のエンジンを壊すのは未経験だ。本を読めばなんだってできるわけではないのはわかっている。
(そうなると……やはり、誰かにお願いするしかないですね)
今度は、頭の中で豪華客船の船員の給与についての知識を広げてみる。こんなにあからさまに隠し部屋が造られている船の構造を考えれば、この船を所有する会社も当然グルということになる。
(例えば、機関士の方にお願いして合図があるまで船を動かさないようにするという方法もありますが、見ず知らずの私に頼まれても誰も信用しませんね。対価を支払うと伝えても、いまここに現金がなければ難しいことでしょう)
そんなことを考えながら手を動かす。ここにはコテはないので髪を巻くことはできないが、この少女の髪はふわふわの癖毛だった。希望通りのお嬢様っぽい髪型にできそうである。
エイヴリルは器用に少しずつ髪の束を編み込んでアップにしていく。ポケットに入れてあったピンで全体を留めると、まるで夜会に出席するときのような華やかなアップヘアになった。
「できましたよ」
「!? えっ……本当に!? わぁ! ありがとうございます」
エイヴリルは自分の身支度をするときこそ適当だが、コリンナの髪を結うのは何度もやっていた。失敗すると火で熱々に熱したばかりのコテや花瓶が飛んでくる。
エイヴリルは避けるのは得意だったが、キーラなど使用人仲間はたまに当たってしまうこともあった。だから、真剣に覚えたのだ。
リンと同様に、ひび割れた鏡に自分の姿を映して喜ぶ少女の姿にうれしくなる。
(アリンガム伯爵家で学んだことが役に立って、とてもうれしいです)
「次は私のもやってくれない?」
「わ、私もお願いしたいわ」
「その次は私も……」
にこにこしていると次々に声をかけられた。すっかり遅い時間のはずだったが、まだ誰も眠る気配はない。それどころか、皆エイヴリルが編む珍しい髪型に興味津々な様子である。
エイヴリルがここにきたときは、ものすごく警戒されていた感じがしたが、それもなくなりつつある感じがする。おしゃれが共通の楽しい話題になるのは、女性ならではなのだろう。
(確かに、こういう髪型は自分ではできないですものね。侍女を雇う余裕がある貴族に限られたものです)
「わかりました」
そう答えながら、エイヴリルはこっそり部屋の隅に視線を送る。キャシーは座ったまま眠っていて、老婆もどこかへ消えていた。他の見張り役たちもあくびをしていた。





