28.婚約者は不在①(ディラン視点)
一足早くエイヴリルを船室に帰したディランは、クリスとともにウェルカムパーティーが行われているメインダイニングへと戻っていた。
壁際で世間話をする紳士を装いながら、会場をくまなく観察する。
「さっきのトマス・エッガーだが、動きは?」
「別の者が張り付いていますが、いろんな貴族や大富豪に声をかけて商談に持ち込もうとしているようです。まぁ、商人を名乗っていたのですから違和感はありませんね」
「ああ。だが、その商談自体がきな臭いものなのだろうな」
「ついさっき、見ているこちらが恥ずかしくなるほどの新婚カップルを演じられた『ブロウ子爵夫妻』のところには、絶対に持ってこないような商談なのでしょうね」
「…………」
クリスの言葉に、ディランはつい顔を引き攣らせた。多くの人の目に触れている場面なのに、不満を隠せないほどにこの年下の側近の言葉が憎たらしい。ついでに動揺している自分もだ。
「……さっきのは」
「ご本人には全くその気はないようでしたが、主人を翻弄するいい悪女でしたね」
「…………」
クリスの言葉は本当にその通りだとは思う。今日ここでどんな振る舞いをするかは大体決めていたのに、うっかりエイヴリルのペースに巻き込まれてしまったのだから。
「彼女と一緒にいると本当に飽きないな……」
「こちらも見ていて楽しいですね。だいたい眉間に皺が寄っている貴方様にぴったりの、とってもかわいい悪女な奥様です」
「……」
クリスの言葉を無視したディランは会場に視線を彷徨わせる。さっきからどんなに見ても、テレーザと思しき女性はいなかった。
このパーティー会場に入ってからそろそろ二時間が経つ。パーティーを楽しむ客たちは酒が回り、さらに賑やかになっていた。
終了時刻のことを考えると、テレーザはこのパーティに参加していないのかもしれない。他の場所を探す必要があるだろう。
「後は、捜すとしたら二等船室区画のパーティーか」
「はい。報告によると、下の階の食堂でカジュアルな会が催されているようです。お召し替えをされた方が目立たなくて良さそうですね」
「そうだな。一旦部屋に戻ろう」
そうして、クリスを伴いメインダイニングを後にした。
――そうして戻ったディランを待っていたのは、船室で狼狽えるグレイスの姿だった。
「だ、旦那様、申し訳ございません。レストランに夜食を取りに行った隙に、エイヴリル様を見失いました」
「まさかエイヴリルを見失うとはな……」
必死に謝るグレイスを前に、ディランは思わず遠い目をしてしまった。エイヴリルがじっとしていないのはいつものことなのだが、行動パターンが読めなさすぎる。
放っておくとどこかへ行ったり突拍子もないことをしていたりするのが常なのはわかっている。しかし、大体がディランの想像の範囲を越えてくるのだ。
「こんな書き置きがございました」
グレイスから手渡されたのは一枚の簡単な手紙だった。『二等船室区画に行ってきます』とだけ書いてある。
とんでもなく抜けていて天然だが賢いエイヴリルのことだ。必要ならばもっと詳しい情報を書きそうなものだったが、そうではないということを踏まえると、もしかして誰かを待たせていたのかもしれない。
「誰かに誘われたのだろうか?」
「あの、エイヴリル様ではないかもしれないのですが……実は、廊下のサンルームに続く扉が開けっぱなしになっていたんです。ちょうどウェルカムパーティーが行われている時間で、ほとんど人はいなかったはずなのに」
「……そうか。何か部屋からなくなっているものは?」
「常備薬が入ったカバンが出しっぱなしになっていました。それと、ドレッサー前にあるはずの櫛も見当たらないかと」
「主人同様、グレイスも優秀だな」
そう応じると、グレイスは沈んだ表情を変えずに頭を下げた。ディランに報告するためここで待っていたものの、相当心配しているらしい。
「いなくなってからまだ数十分というところか? もしテレーザと遭遇していたらまずいな。テレーザはエイヴリルに恨みを持っているようだ」
「そうですね。手分けして探しましょう」





