閑話・ブランドン・ランチェスター
ディランとエイヴリルが母屋へ戻ったあと、離れには夕食の準備が整えられた。
広いダイニングルームにはルーシーをはじめとした愛人が4人。
今日のディナーに招待するメンバーは前公爵でありこの離れの実質的な主人でもあるブランドン・ランチェスター――前公爵、が決めた。毎日、愛人たちの中から数人を選んで夕食に招待するのが決まりだ。
しかし今日のダイニングの一席は空席になっている。そこがテレーザの席だった。
席について執事から今日の報告を聞いた前公爵は、驚愕して目を見開いた。
「テレーザ・パンネッラが屋敷から逃げただと……!?」
「はい。今日の日中にディラン様と面会をしている最中に窓から飛び降りて逃走を」
「何かの間違いだろう? あの可憐でかわいいテレーザがそんなことをするはずが」
「そ、それが……」
前公爵に睨まれてそれ以上報告ができなくなってしまった執事を見かねて、この愛人たちの中ではリーダー的存在のルーシーが助け舟を出す。
「ブランドン様。そんなふうに怒っては本当のことを報告できなくなってしまいますわ」
「だが、コイツは私の大切な恋人を侮辱したんだ。侮辱されたのがテレーザでなくルーシーでも私は同じように怒るぞ」
前公爵にとって、愛人たちはひとりひとりが大切な恋人だった。たまに逆らうことがあっても、それは子猫の甘噛み程度にしか思えないかわいいもの。
清楚でおっとりした彼女たちがブランドンに本気で反抗することはないし、これまでに離れから逃げ出した愛人はいなかった。
十分に贅沢な暮らしをさせていたからでもあるが、そもそもそういう女はここにはいないからである。主に、ブランドンの好みと危機管理上の問題で。
(ここからいなくなったのは、無駄にプライドが高かったディランの母親だけだ)
爪を噛み、信じられない報告への動揺を隠せない前公爵に対し、執事はおずおずと報告を続ける。
「ディ……ディラン様がテレーザ様のお部屋を調べたところ、クローゼットの奥の棚に仕掛けがしてあり、隠し棚が見つかったそうです。そこには微量の麻薬と仲介役と思われる人間への連絡方法を書いたメモが」
「なんっ……だと!? あいつが勝手にそんなことを!? しかも麻薬が出てきただと!?」
「は、はい。ディラン様は元々テレーザ様を疑っていたそうで……このタイミングで領地にお戻りになられたのも、テレーザ様のお話を聞くためだったようです」
「そんな……テレーザ……」
がっくりと肩を落とした前公爵に、ルーシーがそっと寄り添った。
「ブランドン様には私たちがおりますわ。ですから、新しいものに目を向けるのはそろそろもうお止めくださいませ。愛人だって、皆が仲良く暮らせる今ぐらいがちょうど良いですわ」
「ルーシー……君は本当に穏やかで優しいな。今夜は君のところへ行くとするか」
「あら。うれしいですけれど、ディラン様から詳しいご報告を受けた方がよろしいのではと」
上品に微笑んだルーシーに軽くあしらわれてしまった前公爵は、ふんと鼻を鳴らした。
「それにしても、あの若造は母親の性質を継いだのか真面目すぎる。連れてきた女も最悪だった。早く揃って王都へ帰ればいいものを」
前公爵の言葉に、4人の愛人たちは微妙な間をとりつつ静かに顔を見合わせる。
実は皆、今日の『クラリッサはエイヴリルだった』が明かされたサロンにいた。だから洗濯メイドに見えて本当は次期公爵夫人だったエイヴリルのこともよく知っている。
洗濯物の回収でエイヴリルにはいい印象をもっていたし、さっきサロンで見たディランとの初々しく仲睦まじい様子を思い出せば、この場にいる愛人たちは言葉はなくとも自然と一致団結した。
ということで、順番に進言する。
「確かに……ディラン様が連れてきたあの子は、清楚で大人しいとは言い難いですわね」
「やっぱりそうなんだな!?」
「今日はご挨拶をしただけでしたけれど、テレーザ様を追いかけようとするディラン様を身体を使って止めていらしたような(本当は逆ですが)」
「何だと!? 身体で!」
「公爵家のお金に関しても……ずいぶん興味がおありの様子でしたわ(帳簿関係に)」
「!?!?」
「ですが、ディラン様は彼女にすっかりご執心で手玉に取られているご様子でしたわ。婚約者に夢中だから、周りにどう思われてもいいと(彼女の方は完全に子どもだけれど)」
「…………!」
前公爵の両手からカトラリーがぽとりと落ちた。顔面は蒼白、手はガタガタと震えている。
「噂には聞いていたが、あいつはなんて悪女を引き入れたんだ! しかも完全に手綱を握られているとは……! 清楚でかわいくて従順な令嬢を選べばいいものを! 女を見る目がないとは最悪だな!!!」
唾を飛ばして怒鳴り散らした前公爵に、ルーシーは穏やかにたおやかに声をかける。
「ええ。私たちのように手綱を握りやすい、大人しい女の方がいいですわ。ですから、エイヴリル・アリンガム様のことはもう忘れましょう? ね?」
「そ……そうだな……」
ぱちぱちと瞬く前公爵の口に、ルーシーはちぎったパンをひとかけらいれた。そうして、優しく微笑めば、皆も同意する。
「本当に、あの子はひどい悪女ですわ」
「ディ、ディラン様の好みはどうかしていますわ。ね?」
「え、ええ。ひど……ひどひどい悪女」
そうして、うまく丸め込まれた前公爵の夜は更けていった。




