REcreate
俺の記憶。
電車に轢かれた。
……それだけ。
何度念じても何も思い出せない。
俺は何なのか、何があったのか。何をしていたのか。
ここは一体どこなんだろう。
真っ白で、冷たくて、何も無い。
俺という存在もない?
「ん、んっ……んー。」
咳払いの声。
……今のは俺の声じゃない。
つまり、俺以外に人がいるということか?
「正解だよ。」
……なぜだ。
どこにも姿が見えない。この声はどこから聞こえてくるんだろう。
そう思った途端、この空間の白い床が溶けてドロドロの粘液が現れた。その粘液は少しずつ人の形を形成する。
しばらくすると、その粘液は白い布を纏った癖毛の青年の姿となった。
これは夢なのか?
粘液が人になるなんてありえない。俺は目の前の不可解な現象に身震いする。
……否、身震いする身体がない。
自分に身体がないことに気がついた。
言うなれば思念体。俺の意識はここにあるのに身体がないのだ。……いよいよ頭がおかしくなったらしい。この気持ち悪い夢が早々に覚めることを願う。
「夢じゃないよ。」
男は造形の良い顔面を惜しげも無く微笑ませる。
しかしその微笑みは仮面を貼り付けたようで、俺は気色悪いと感じた。
「これは夢じゃない。現実だよ。」
男はゆっくりと俺に近づく。もちろん、俺という概念に近づいたに過ぎないが。
それにしても、ここまで意識がハッキリしている夢も珍しい。明晰夢というやつなのだろう。
「君も諦めが悪いね。これは現実。」
……夢に諦めが悪いと咎められてしまった。
これは一体どういうことなんだろう。
「はぁ……。これじゃオウム返しになっちゃうね。話が進まないよ。いいかい、とりあえずこれは夢じゃない。それだけは言っておく。」
話が進まないのは俺としても気分が悪い。
ここは大人しく「夢」の話を聞いておくことにしよう。
「まあいいよ。君がボクを夢というのならそれで良い。どうせ君もボクの夢に過ぎないんだし、広義の意味ならこれは夢だもの。」
男が訳のわからないことを言う。ただ、俺は男には反応しない。話が進まないからだ。
「そうだね。話が進まない。……君がボクを認識するのは初めてだね。はじめまして、トオル。」
男が能面のような微笑みをさらに近づけた。そして「ボクはノル。偉大なる創造神のノル。」と名乗った。
なんて馬鹿げた夢なんだろう。創造神?神?こんなのは絵空事だ。ふざけている。
きっと俺は電車に轢かれて頭がおかしくなってしまったんだ。
「そう!君は電車に轢かれたのさ!電車に轢かれて死んだのさ!」
……死んだ?
死んだって?なぜ?
「それは秘密。」
なら、死んだのならば、なぜ俺は生きているんだ!?この世界は何だ?
いや、違う。生きているとは言えない。
俺には身体が無い。
そもそも初めから不可解だったのだ。真っ白な世界に思念体だけの自分。全く合点はいかないが、ただ一つ俺が死んだことは……納得できた。
だが、そもそもなぜ俺は存在している?
死んだのなら消えてなくなるんじゃないか?
俺は存在している。存在していて良いのか?
「あー、自問自答している所悪いんだけど、話を進めたいんだ。君の疑問は無視してもいいよね?で、申し訳ないんだけど、ごめんね。君が死んだのはボクのせいだ。」
「夢」の世迷言は放っておこう。
俺が死んだのはボクのせい?戯言だ。全くもってナンセンス。なんて趣味の悪い夢なんだ。
「だから、ボクはノルだって。創造神ノル。大丈夫?記憶してるよね?」
どうも自己主張が激しい「夢」だ。自分のことを創造神とのたまう卑しい「夢」。俺は呆れのあまり肩をすくめた。
「もうー、すくめる肩もないのに。強情な子だね。」
なんでも良いけど話が進まないな。
死んだとかどうとか本当に不可解だが、これからどうすれば良いんだ。一生このままか?
「まあいいや。君の魂が混乱してるってことにしておく。いいかい、とっても大事なことを話すよ。これから君には別の世界に行ってもらう。君が元いた世界とは全く別の世界さ。」
男がそう言うと、俺の意識は下方に引っ張られた。
そして意識が戻った瞬間、俺の眼前には驚くべき光景が広がっていた。
「どうだい、これが見えるかい?」
広大な土地と海。行き交う人々、剣と……あれは魔法?砦に戦火。血と硝煙。禍々しい魔物。
精巧なCGのようだった。
今までいた世界と何もかもが違う。
しかし、今まで見たどの映像よりもリアルで、まるで本物のようだった。
「この世界に行ってもらうよ。それからは好きに生きて良い。何をしても良い。良い人になっても、王になっても、恋をしても、悪い人になっても、泥棒になっても、人を殺しても。
何でも君の自由さ。自由に生きたまえ。」
そして目の前の光景が消えて元の白の空間にも戻る。男は腕を組んでニコニコと笑っていた。
何が面白いのだろうか。いや、果たしてこの男は本当に「面白い」と思って微笑んでいるのだろうか。
「さて、ただこの世界に行くだけじゃつまらないね。面白い力をあげよう。」
男はそう言うと右手を拳の形に握った。
そして手を開く。
彼の掌の上には輝く光が浮いていた。
「これはボクの力の模倣品。これを君に託してあげる。上手く使いなよ。」
輝く光は俺の中に入っていく。
じんわりと融合していき、そして一つになった。
ようやく心の底から現状を理解した。
これは夢や嘘じゃない。
紛れもない現実。目の前の男は神に等しい存在。
これは全て現実なんだ。
「ふふふ。やっとわかってくれたんだね。
じゃあ行っておいで、ボクの可愛いお人形。」
は……?お人形って。
疑問に思う間もなく、俺の意識は闇に閉ざされた。安寧を漂う中、俺は一つだけ思い出す。
俺の名前は影沢透だった。
そして目の前が真っ赤に染まる。
これは血の記憶。
手のひらが赤く染まり、血の匂いが俺を包み込む。振り払っても、振り払っても匂いが俺の穴という穴から入り込んでくる。
赤黒い血の記憶。