第97話 人の先へ挑む者
「……ぐッ!」
声を漏らす。ベルは改めて、シェリーに稽古をつけていたが……それはもはや稽古と呼ぶべきものではない。シェリーは魔族の血が組み込まれており、あの時の出来事を経て黄昏症候群も完全に消失。ユリアと同様に、完全に覚醒した形になっている。
そして二人は来たる作戦の日のために、こうして訓練に励んでいる。初めはシェリーの調子を取り戻すための稽古……そうベルは思っていたが、徐々に雲行きが怪しくなっていくのを感じていた。
(強いッ……まさか、ここまでだなんてッ……)
内心でそう声を上げるベル。今までのように手を抜いているわけではない。すでに彼女はシェリーに対して本気で相手をしていた。その実力は完全に伯仲している。まさに互角。ベルは近接戦闘では人類最強とも謳われているのだ。まだ20歳にも満たないシェリーに追いつかれる、ましてや負けるわけなどない……そう心のどこかで思っていたのかもしれない。
だが彼女の剣撃は確実にベルを押し込んでいる。一瞬でも油断すれば、負ける。もちろん、本気で殺しあっているわけではないものの……互いに全力を尽くして剣戟を交わしているのは間違いなかった。
「……先生、ここまでにしましょう」
「うん……そうだね……」
それから10分後。シェリーがそういうのを合図に二人は剣を下げた。純粋な近接戦闘だけで言えば、シェリーはすでにベルと同等になっていた。その事実をはっきりと認識すると、ベルは覚悟を決めてある言葉を紡ぐ。
「シェリーちゃん……もう、あなたの強さは……私に匹敵する……だから……教える。あなたに……私の秘剣の全てを……」
「先生、でもそれは……」
「いいの。技術は誰かに……引き継ぐべきものだから……」
「……分かりました。謹んでお受けいたします」
ベルは決めていたのだ。自分が秘剣を誰かに引き継ぐ時は、自分が最前線を退く時であると。でも今は違う。彼女は最前線を退く気など全くない。彼女が考えていたのは、自分の技を引き継げるほどの技量を持つ者が現れ、そしてその時に自分が衰えていれば……という条件での話だ。
彼女はまだ、衰えを見せてはいない。確かに反応速度は20代の全盛期に劣るかもしれないがまだ十分に戦える。それは誰よりもベル自身が自覚している。さらには、ベルはシェリーに触発されていた。シェリーの存在ははっきり言って、才能の塊。いやそれは才能と呼ぶべきものなのか……そもそも、魔族の血を取り込んでいる時点で肉体のスペックが大幅に違うのだ。
そこに差はあって当然。ベルがただのプライドの高い対魔師であれば、今のシェリーとの攻防で引退を決意していたかもしれない。しかしベルはまだ、まだ自分はやれるのだと考えていた。
そして彼女は誓う。自分は、人間を超えるのだと。それは自分も魔族の血を取り込むという意味ではない。人を超えた、魔人たちの領域へ己が努力のみで辿り着こう。前人未到の地へ。それはこれからも戦い続けるという、ベルの誓いだった。
◇
「はっ……はっ……はっ……」
早朝。吐く息が真っ白に染まるこの季節がやってきた。黄昏に支配されたこの世界は明確な四季は存在しない。暑い時期と寒い時期が交互にやってくるだけ。今はまさに冬に入ろうとしており、気温もだいぶ低い。そんな中、誰よりも早く軍の演習場で鍛錬に励む者がいた。
「ベル、お前がこんなに朝早くからランニングとは珍しいな」
「ギル……あなたこそ……珍しい……」
特級対魔師の中でも年長の二人が、顔を合わせる。そもそも二人ともに朝から訓練をすることなど、ここ数年はなかった。すでに技量は頂点に達し、全盛期は過ぎているのだから。ギルの方といえば、後続の台頭もあり引退しようかと考えていたほどだ。そんな二人が顔を合わせる。その答えは一つだった。
「焦っているのか、お前も」
「……10代の子どもたちに、背負わせるわけには……まだいかない……から……」
「はっ……考えることは同じってか」
「ふふ……そうだね。あ……そういえば、娘のソフィアちゃんが……一級対魔師になって……今回の作戦に参加するらしいね……優秀だね……あなたの子どもたちは……」
「……この世界は強い奴から死んでいく。俺の息子は強かった。だから……黄昏で死んでいった……そして、ソフィアのやつも強い。だからこそ俺たちが導いてやらないといけない。子どもたちに未来を与えるのが大人の役目だからな……思えば、俺もお前ももう長い付き合いだな……」
「私が……学生の時からギルはもう……特級対魔師だったからね……」
「あぁ。でも近接戦闘はお前の方が完全に上になっちまったな。恥ずかしい限りだ」
「それは……仕方ない……私の方が強いのは……事実だから」
「抜かせ、小娘」
「痛い……」
ギルそう言って軽くベルの頭を叩く。年は離れているも、昔から付き合いが長いのでベルはギル相手だと割とよく話す。
「で、まだやるつもりなのか?」
「もちろん……むしろ、私の全盛期はこれから……」
「お前まさか……まだ上にいこうってのか?」
「おそらくユリアくん、それにシェリーちゃんには敵わなくなると思う……いや、ユリアくんにはもう手が届かないだろうね……でも私はやるよ……」
「……そうか。変わったなベル」
「……そう?」
「あぁ。背負うものがお前にもできたか」
「言っている意味が……よくわからない」
「わかるさ。お前もいつか」
「ふーん……なんだか……おじさんくさいね」
「ま、年上の意見はテキトーに聞いとけ」
「そうする……」
ギルは気がついていた。すでにベルは人類の頂点に君臨する対魔師の一人だ。そんな対魔師が上に行くと敢えて宣言する意味を。それは彼女もまた、後天的に人を超えた先にたどり着くと言っているのだ。茨の道なんてものではない。その先に待っているのは地獄そのものだ。二人は知っていた。黄昏症候群にはまだ先がある。エリーが残した研究論文。それは人は黄昏症候群には至ることはできないと示している物だったが……それと同時にある一つの可能性が示唆されていた。
特級対魔師たちは黄昏症候群の先にたどり着くかもしれない……と。サイラスとクローディアも研究の末に人間は黄昏症候群の先にたどり着くことはないと結論付けていた。その一方で何十年もその身に黄昏を浴び続ける人間はどうなるのかは、まだ完全には不確かだった。
ベルはその可能性にかけているのだ。自分は人間の先にたどり着ける。この体を縛り付ける刻印が、彼女をさらなる高みへと連れていってくれるのだと。今までは、ベルだけでなくギルもまたどこかでその能力を抑えていたところがある。それはエリーに忠告されていたからだ。このままいけば、黄昏症候群に体を侵食され尽くして……死に至る可能性があると。
その可能性を知っても、ベルは先に進むと決めたのだ。そんな彼女を見て、ギルもまた何も思わないわけではなかった。
「ベル……いいのか? おそらくその先は、死しか待っていないかもしれない」
「構わない……私は……もう十分に生きた……」
「……」
「仲間は……20代には……ほとんど死んでいった。私はその中で……生き残って……まだ最前線で戦っている……だからこそ、私もまた先に進まないといけない……停滞していい時は……終わったの……」
「そうか、いや……そうだな。俺たちは現状維持に目がいき過ぎていたな」
「でもこの価値観を……ギルには押し付けようとは……思わない……」
「……お前が戦うのに、俺もやらないわけにはいかないだろう。ベル、共に行こうじゃないか。その先とやらに」
二人は互いの目をじっと見つめる。老けたな……と思いつつも、そこにはまだ燃え上がるような意志が宿っていた。
そして二人は、その後も訓練に励むのだった。彼らもまた、確かな覚悟を持って進むことを決めたのだ。