第88話 僕たちの行方
三日後。僕は先輩の病室にやってきていた。この三日間、僕は特に何もしていなかった。ただ呆然と過ごしていた。軍の宿舎で適当に過ごす日々。一応休暇という形で時間をもらっていたが、それでも落ち着くことはなかった。逆に有り余る時間で自分自身について考えることが多かった。
そんな矢先に入ってきた情報。それは先輩とシェリーが目を覚ましたということだ。
僕は先に先輩のもとにやってきていた。特に意味はないが、先輩とは色々と早めに話をする必要があると思っていたからだ。
「あら、ユリアじゃない」
「どうも……先輩」
ノックをして入ると、そこには先輩がいた。ベッドから体を起こして、外から入ってくる風によって絹のような綺麗な髪の毛が靡いている。先輩は基本的にツインテールに髪を結っているが、今は完全に髪が降りている。それが黄昏の光と相まってとても幻想的に見えた。
綺麗だ。
純粋にそう思った。
「ユリア、座りなさいよ」
「はい」
僕は近場にあった椅子を先輩のベッドの側に持っていくと、それに座る。
「先輩その……」
「聞いたわよ。ベルに全部教えてもらったから。あの時の話はやっぱり……正しかったみたいね」
「はい……」
俯く。僕はなんて答えるべきか分かっていなかった。いつかこんな日がくる。先輩と、そしてシェリーと僕たちの存在について話し合う日がくるのだとわかっていたのに。この三日間、僕は自分のことだけでなく彼女たちのことも考えていた。
僕、先輩、シェリー。この3人は完全な人間ではない。僕は体の構成要素が、人間と魔人の二つに綺麗に分かれている。そして先輩とシェリーは黄昏因子なるものが埋め込まれているらしい。その体は魔人と化していないものの、おおよそ普通の人間とは形容し難い。
その処遇はどうなるのか。処分される……ということはないだろうが、要観察、または監禁……という可能性もあるかもしれない。でも今はそんなことよりも、僕は先輩が自分についてどう思っているのか。それが聞きたかった。だからこそ、ここにやってきたのだ。
「ねぇ、ユリア。私は……あなたに初めて会った時にね……懐かしいって思ったの」
「……懐かしいですか?」
「そう。どこかで会ったわけでもない、顔も知らない、声も知らない。でもどこか、既視感があった。でもそれもそうよね。だって私は、ユリアと同じなんだから。本能的にきっとそう思ったのね。あの路地裏で会った時から……きっとこの出会いは必然だったのかもしれない。そして私が特級対魔師になって、ユリアも特級対魔師になった。それはサイラス、クローディアの策略の一環だったんだと思うけど……私たちはこの先天的な能力から、そこにたどり着くように運命付けられていた……そう思えて仕方がないわ」
「……そう、ですね」
そう。僕たちの運命は決められていた。人工的に生み出されたその瞬間から。
どんな経緯であれ特級対魔師に至るようにデザインされていたのだろう。いや、正確に言えば特級対魔師ではない。この人類を守り、そして魔族を滅ぼすための存在。それが僕たちだ。それだけが、生まれた理由なんだ。
「……先輩は、ショックじゃなかったんですか?」
「ショック?」
「はい。僕は色々と思うところがありましたから……」
「そうね……」
手を口元に持っていく。思案しているようだったが、先輩はすぐに答えを出した。
「確かにショックといえばショックね。でも色々と腑に落ちた……というのが正しいかもしれない。家族とは似ても似つかない容姿に、突然覚醒した能力。さらには侵食し続ける黄昏症候群。全部の理由がはっきりと分かって、スッキリしたって感覚の方が大きいのかも」
「はは、先輩は強いですね」
「そう?」
「えぇ。とても、とても強いです」
「……ユリアはどうなの?」
「え?」
「聞いたわ。双子の妹と……殺しあったんでしょう?」
戸惑い。言うべきかどうか、迷った。クレアの件は未だに尾を引いている。彼女は僕で、僕は彼女だった。人間側に立っているか、魔人側に立っているか、違いはそれだけしかない。そんな妹に対して何を想うのか、何を言えばいいのか……そう迷っていたけれど、先輩には話してもいいと考えた。
「……はい。名前はクレア。容姿は僕と瓜二つ。おそらく隣に立てば見分けはつかないでしょう。一卵性双生児みたいでしたから」
「……いいの? これからも戦うということは、妹を殺すことに」
「もう覚悟は決まっています。それに僕たち双子はおそらく、どちらかを殺すまで平行線なのでしょう。彼女は完全に魔人側に染まっており、その思想は殺戮という悦びで満ちていました。おおよそ、アレを人間と定義付けるのは不可能。そして僕もまた……同様です。人間ではないからこそ、僕は……彼女との決着は、自分でつけます」
「殺せるの?」
「殺します。妹だけじゃない、裏切り者である二人、さらには他の魔人、魔族もこれから殺していきます。人類に立ち塞がるのなら、容赦はしません」
「そう……ユリアはまた成長したのね」
「いえ僕なんて……」
僕なんて……まだまだ未熟な存在だ。状況的にそうせざるを得ないから、そうしているだけ。客観的に見ればそう思えるかもしれない。それに僕は完全に覚醒してから、今までにあったような喜怒哀楽の感情が希薄になっている気がした。感情を削ぎ落とされ、それを補うかのように高まる能力。僕は、僕たちは何処へ行くのだろうか。
僕たちの行方は誰にもわからない。分からないからこそ、前に進むしかないのだ。
「……ふふ」
「どうしたんですか?」
「いや、なんだかなーっと思ってね。そういえばシェリーのとこには行ったの?」
「これからいく予定です」
「ふーん。ねぇ、ユリア……ちょっと耳貸してくれない?」
「? 分かりました」
わざわざ二人しかいない病室で耳を貸す必要があるのだろうか、と思ったがとりあえず言うことを聞く。別に拒否する理由もないし。
すると僕の耳に言葉は入ってこなかった。代わりに、自身の頰に生温かい感触を覚える。
「……な!?」
「ふふ、じゃあまた会いましょう。ユリア」
頰に交わされたキスの意味がわからないほど、僕は鈍感ではなかった。
◇
「シェリー、僕だけど」
「ユリア? 入っていいわよ」
「失礼しまーす」
僕はシェリーの病室にやってきた。と言っても別に隣なので、移動自体は全く大したことはない。先ほどの余韻は色々と残っているが……。
「誰か来てたの?」
「えぇ。母が、ね」
ベッドの隣には椅子が置いてあった。僕はそれに座ると、まだ温かいと分かった。
「……シェリーも聞いたよね?」
「えぇ。先生からも、そして母からもね。まさか自分が人工的な存在だなんて思いもしなかったけど……まぁ、色々と腑に落ちたというかなんというかね」
「先輩と同じ反応だね」
「エイラ先輩?」
「うん。それに僕も同じことを思ったよ。自分の体に起きている異変。突然覚醒する能力。それは全て、人間を超えるものだったと分かったら少しだけ安心したよ。でもそれと同時に、怖くもなった。僕は……人間でもないし、魔人でもない。誰でもない、存在だと思ったから」
「そういう割には、スッキリした表情してるのね」
「僕には時間があったからね。なんとか整理はできたって、感じ」
「ふーん。でも私も大丈夫。これからも、人類のために刀を振るう。自分が誰であろうとも、その在り方に変わりはない。そうでしょ?」
「強いねシェリーは」
「何、嫌味? 聞いたわよ。私が苦戦したサイラス相手に、一瞬で腕を弾き飛ばしたって」
「あの時は夢中だったから」
「でも以前よりも強くなっているんでしょう?」
「うん……それは間違い無いと思う」
「なら私はユリアよりも強くなるわ。今度は足手まといにはならない」
「……そっか。いやすごいよ……みんなすごいよ」
こんな事実に直面したのに、先輩もシェリーも前を向いている。全てを受け入れている。ならば、僕だけが下を向いていい道理はないだろう。
「あ、そういえば聞いた?」
「あぁ……あのことね」
「了承するの?」
「……本当は辞退したい気持ちもあるけど、今は特級対魔師が3人も減ったでしょう? 補充できるならしたほうがいい。それに先生に頭を下げられちゃったら……ね」
「そっか。シェリーもなるんだね、特級対魔師に」
「えぇ。よろしくね、先輩」
「……やめてよ。ほんの数ヶ月の違いじゃないか」
「ふふ、それもそうね」
ニコリと微笑むシェリー。そう、彼女は今回の一件を通じて特級対魔師になるように要請があったのだ。でもそれもそうだろう。僕、先輩、シェリーはすでに覚醒を終えた。その能力の高さは人類の中でもトップクラスなのは自明。いずれこうなる時はやってきていたのだ。
「改めてよろしくね」
「うん」
握手を交わす。それは今までしたどの握手よりも、熱を帯びていた気がした。
◇
屋上。僕は再び一人で病院の屋上にやってきて、この街を眺めていた。復興はかなり進んでいて、あの襲撃の爪痕があったことも忘れてしまいそうだ。でもここであったことは全て現実だ。
裏切り者がいて、僕たちは人工的に……人の悪意によって生み出された存在だった。それがクローディア、サイラスの手によって自由になっているとは皮肉なものだが……僕はそんなことに感傷的にはなれなかった。
風が吹く。僕の髪ももう、胸に届きそうなほどに伸びていた。黄昏に追放され、生きるために全力を尽くした。その頃からずっと伸びている純白の髪。それはストレスではなく、魔人として覚醒した僕にもともと備わるものだったが……。
「……」
右手の人差し指を起点にして、不可視刀剣を発動。そして風で靡いている髪を左手でまとめると後ろの方に持っていき……そのままバッサリと切断。顔周りの長い髪の毛も切断して、そのままそれを風に乗せて流していく。
真っ白な髪が、黄昏の赤黒い光に飲み込まれていくように流されていく。僕を構成していた全ての要素が流れていくようにも思えた。
これは過去との決別。僕は、人間として、魔人として、その全てを受け入れたうえで進んでいくしかない。そう決意して、僕は天を仰ぐ。
「……さよなら」
過去の自分に別れを告げる。さようなら、過去の自分。僕はもうただの人間ではないと知った。僕の存在にはあまりの大きな人間の意志が関わっている。生まれは確かに悪意からだったのかもしれない。でも、その生き方は悪意ではない。この人類のために黄昏に立ち向かうという意志を持って進むのだ。きっとこれから先も、僕の手のひらから零れ落ちる命はあるのだろう。そしていつか自分も、この世界から零れ落ちるのかもしれない。その時まで僕は、自分を奮い立たせよう。もうこの命は自分一人だけのものではないのだから。
黄昏は世界を照らし続ける。依然として、この世界を嘲笑うかのように、それだけは変わらずに存在している。
瞬間、突風が吹く。以前のように髪が流されないように押さえようとするも……そこにはもう押さえるだけの髪などなかった。そのまま風を受け入れるようにして、靡く髪の毛をそのままにしておく。
「……行こう」
そう独り言を呟くと、僕は歩みを進める。僕の、僕たちの行方はまだ分からない。この歩みはどこにたどり着くのか。僕はどこまでいけるのか。青空にたどり着けるのか。そんなことを考えるも、未来のことなど誰にも分からない。分かるのは、今の自分が未来のために何を成せるか、ということだけだ。
もう、振り返ることはなかった。