第82話 追憶 9
第一結界都市。
サイラスは最後の準備に入っていた。結界都市を襲撃する目的はその魔素だ。セフィロト樹を解放するには膨大な魔素が必要となる。それには多くの人間の犠牲が必要だ。これは計画の最終段階。特級対魔師、またはそれに匹敵するほどの力を持つ一級対魔師を閉じ込める必要があるも、それはクローディアの役割。結界の生成は彼女の領分だ。
ならば、サイラスは何を成すのか。
それはこの結界都市の要である結界を解除することだ。結界とは人間が数百年前にこの都市を築いてからずっと存在するものであり、そして絶対の防御である。この中に入れるのは人間だけ。厳密に言えば、人間の魔素形態と固有領域を少しでも保有していなければ結界に阻まれる。多くの人間は知らないが、この結界は真の意味で魔族から人間を守っているのだ。
サイラスがその事実に気がついた時、驚愕した。ここまで精巧な結界がこの世界に存在するのかと。魔人側でもこの規模の、それにこれだけの上質な結界を生み出すことは不可能。それに七つも展開して、それを維持し続ける。並大抵のことではない。
彼は現在、その存在を人間へと変質させている。魔素と固有領域を自由自在に操れるからこそ、サイラスはこの結界都市に潜り込めているのだが、今は全く別の人間に扮していた。それは警備の対魔師。一見すれば、なんの変哲も無い。そして彼は周りの人間がいないのを確認すると、聖域の前にたどり着く。
「……ここか」
サイラスがやってきたのは聖域の扉の前。この先に結界を維持するための機能が存在するのは知っていた。そもそも聖域には特級対魔師序列一位になった今でも、ほとんど入ったことはない。一度だけ、女王陛下と共に聖域の中に入ったことがある程度。特級対魔師序列一位になったとはいえ、彼は人間の全てを知り尽くしているわけではなかった。
そして彼はこの結界をどうするのか、という問いに答えを出した。外部からの破壊はそもそも不可能。簡単に破壊できるのなら、人間はとっくに滅んでいる。ならば……内側から破壊、または解除するしかない。そう、結論付けた。そしてこの答えは彼だからこそできるもの。それは……女王陛下にその姿を変えることだった。いや厳密に言えば、姿そのものを変える必要はない。聖域が認識しているのは、魔素形態と固有領域である。王族特有の、さらには女王しか持ち得ないそれらはサイラスでさえコピーするのに手間取った。
それこそ、十年近くかかるほどに……。彼は女王陛下に謁見する僅かな時間を使って、その構成要素をかき集めた。少しずつ、少しずつ、かき集め続けた。もちろん、王城にやってきて謁見する時はそれほど多くない。そのためサイラスは彼女を視界に入れるたびにその本質を見通すように見つめ続けた。彼の能力は変質であり、コピーでもある。しかしその本質は構成要素の書き換えである。そのため、相手のそれらを理解しなければ変質はできない。
彼は長年の時を経て、女王陛下の魔素形態と固有領域を完全に理解し……それを制御下に置いた。
「……開いたな」
彼がスッと手をかざすと、聖域はその扉を開いた。不確定要素はあった。完全に成功する確信など彼にはなかった。罠や、扉が開かない可能性だってあった。それでもサイラスは賭けに勝った。
「……」
中に入るとそこは真っ白な空間があった。一見何もないように思える。だが彼の視線は中央にある真っ赤な球体に向いていた。
(これが制御しているのか……)
すぐに制御しているものを理解する。それは聖遺物の一種。魔人側にも聖遺物は存在するが、これほど精巧なものは見たことがない。
(さて破壊するか……)
そう思うも、この聖遺物を破壊することは不可能だとすぐに理解する。そもそも聖遺物とは人間だけではない。あらゆる生物が理解できない代物。この可能性を考慮して、彼はその球体に触れた。
(解除は……いけるか……)
触れると同時に、聖遺物と外につながっている魔素の流れを断ち切る。そして彼は結界が解除されたのを感じ取るも、これは時間の問題だと悟る。
「なるほど……解除されても、数時間後には自動で戻る仕様か……いったいどういう構造なのか……」
サイラスはすぐにその聖遺物から魔素が流れているのを感じ取った。このままいけば、この魔素は再び結界を生成する。もちろんここでずっと妨害していれば結界の再生は防げるが、彼はこれから特級対魔師序列一位として会議に集まる必要がある。さらにはそこでクローディアの魔法によって特級対魔師を全員閉じ込める計画もある。
こんなところで足踏みをしているわけにはいかない。
幸い、数時間は結界を解除することができる。それだけあれば、十分。結界の解除と同時にすでに魔物は呼び寄せてある。おそらくすでに内部に侵入している個体もいるかもしれない。
「はははは……いや、まだ成功したわけではない」
思わず笑みが漏れる。ここまでうまくいくとさすがに笑えてくる。まるで何者かがそうしろと言わんばかりに、計画は順調に進む。
そしてサイラスは聖域を後にする。
結界都市襲撃まで、猶予はもうなかった。