第78話 追憶 5
クローディアとサイラスはセフィロト樹を解放するのに、4人の生贄が必要だと理解した。それは魔人だろうが、聖人だろうが、どのみち揃えるべきは膨大な魔素を保有している生物が必要だったということだ。そして彼らにはフリージア・ローゼンクロイツの残した遺産とも言うべき人間が3人いた。
それは、ユリア、シェリー、エイラだった。ユリアはクローディアが生み出された後にバックアップとして生まれた存在。さらにシェリーとエイラはユリアの中に残存する黄昏因子を埋め込まれている。
厳密にいえば、クローディアとユリアはオリジナル個体。クローディアは魔族7割、人間3割という割合。だがそれはまだ完全とも呼ぶべきものではない。そしてフリージアたちは究極の個体であるユリアを生み出した。ユリアはその比率が完全に5対5であり、神の生物とさえ言われた。一方の双子の妹のクレアは、魔族6割、人間4割と不完全だった。双子だというのに構成要素が異なるのは研究者を驚かせたが、それでも彼らは念願を果たす喜びに満たされていた。
そしてフリージアたちはユリアの中にある黄昏因子と呼ぶ特殊な因子を、人間の子どもに埋め込んだ。彼らはこれから先の研究で間違いなく、偉業を成し遂げるはずだった。しかしそれを見越してか、クローディアはその研究を奪い取るようにして、全員を皆殺しに。そして覚醒を促すために、ユリアを黄昏へと放逐したのだ。
「ユリア君はどうなの?」
「今は黄昏危険区域、レベル6だ。覚醒度合いはそこそこ、だな」
「ふーん。それで、シェリーとエイラは?」
「二人は覚醒が近い。何より面白いのは、因子を埋め込まれた個体の方が覚醒が早いということだな」
「そういえば、エイラはもうすぐ特級対魔師になるみたいね」
「あぁ。間違いなく彼女は特級対魔師になれる逸材だ。それにシェリー・エイミスもまたその片鱗を見せつつある」
「なるほどねぇ……あ、クレアはどうなの? 本国で元気にやってるの?」
「統一戦争で獅子奮迅の活躍をしているらしい。やはりあいつは本国に送ってよかったな」
「統一戦争かぁ……サイラスは参加しなくていいの?」
「私はこちらの計画の方が重要だからな。それに個人的に、ユリア・カーティスには興味がある。人間の業が生み出した、ある種の究極個体。どれほど成長するのか楽しみだ」
「そうね。それにもう少し、あと少しで……」
「あぁ。我々の悲願も達成される」
「長かったわね」
「魔人は人間よりも寿命が長い。10年程度、私には短いものだ」
「そんなもの?」
「クローディアは長かったのか?」
「えぇ。とても、とても長い、長い、道のりだったわ……」
二人は箱庭でいつものように話していた。王城の地下にあるここに来るのはもう何度目だろうか。クローディアはそうしてこれまでの道のりを振り返る。長かった。彼女の感想はそれに尽きる。計画を発足してから、4人の覚醒を待つ時間もそうだが、全てを成すための下地を積み重ねるのも時間がかかった。それに、3人はこちらで監視しているも、リアーヌ王女の存在はなかなかに厄介だった。彼女にはずっとベルが付いている。それに聖人として覚醒した時には、その特異能力が厄介になる。もし彼女の聖人としての覚醒が早ければ、計画は大きく修正するしかなくなる。これはいわば、賭け。その要素があることは否定できなかった。
「……成功するのかしら」
「それこそ、神のみぞ知る……だな」
「無神論者のあなたが言うと、皮肉ね」
「別に無神論者になった覚えはない。神がいる可能性もあるし、いない可能性もある。魔人、人間だけでなく、どの種族も神の存在を証明する手段を持っていない。そして存在しない手段も。だが、神という存在がいるのならば……知っているのかもしれない。そう思っただけだ」
「急に変なこと言うのね」
「ま、聞き流してくれ」
「ふふ、サイラスもそんなことを言うのね」
「そうだな……お前との付き合いも長い。それに、お前は俺にとってはあの時の子どもからあまり変わっていないからな」
「体は成長したけど?」
「中身は同じだ。あの目的のために生きている。そうだろ?」
「そうね……さて、と。仕事があるから行きましょうか」
「あぁ……」
二人は立ち上がって箱庭を出ていく。この場でこうして話し合って、今後の未来を話し合うのも……もうあと少しなのかもしれない。クローディアの心は逸る鼓動を抑えることはできなかった。
彼女は、ただただ知りたかった。この世界の仕組みを。この世界を暴き出したい。その好奇心がいつでも彼女を支配している。人間や魔人、それも他の魔族が有している感情というものが彼女には存在していない。いや厳密にいえば、あるにはある。だがそれはあまりにも希薄。他人の感情など理解はできない。理解しているふりはできるも、心の底から同意はできない。学院にいるときも、軍にいる今でさえも彼女には欠落していた。喜怒哀楽など、この目的の前には全てが無意味。それは昔から思っていたことだ。そして彼女はそのことに疑問を抱かない。その異常性は先天的なものか、それとも後天的なものか。フリージア・ローゼンクロイツたちに落ち度があるとすれば、それは生み出す対象の心に目を向けなかったことだ。もちろん、教育と称して洗脳の類は行なってきた。それでもクローディアはその洗脳に呑まれることはなかった。彼女は自我が芽生えた頃から、すでに独立した存在となっていた。
魔人と人間。その複合体は、体だけでなく心もまた異質なのかもしれない。
そんな彼女の宿願はあと少しで届く。それがたとえどんな手段であろうとも、成し遂げてみせる。それこそが、クローディアの全てだった。
「私はたどり着いてみせる……あの場所に」
全てはあの日のために。幼い自分が魔人と出会い、そして誓ったのだ。
いつか、輝かしい青空を見るのだと。