第68話 六花
解放するのは、六花。それはシェリーが生み出した秘剣に相当する能力。それは剣技ではなく、魔法だ。彼女の剣技を限りなく使いやすくするための、魔法。それは一種の極地でもある。広域干渉系には及ばないものの、その限定的な能力は間違いなくシェリーにはぴったりのものだった。
「一ノ花、白百合――」
シェリーがそう告げると、周囲にふわふわとした白百合の花々がどこからともなく出現。もちろん、サイラスはそれを不用意に攻撃などはしない。どのような能力か分からないのなら、自ら飛び込む必要はない。
「……ぐっ、目眩しかッ!!」
そして、その大量に出現した花々が炸裂。それと同時に大量の閃光が生み出される。サイラスは僅かにだが、反応が遅れる。現在は視覚を捨て、直感のみで相手の攻撃を予測している。それは特異能力ではないが、長年の経験からシェリーの攻撃は予測できていた。
「……いやはや、危ないところだった」
「……ぐうううッ!!」
目が慣れてきた頃、ちょうど眼前には刀を振りかざすシェリーの姿があった。だが彼女の剣撃はサイラスのワイヤーによって受け止められていた。魔素を最大限込めているそれは、簡単には切れたりはしない。その強度は自由自在に操ることができるからだ。そしてサイラスはその込めている魔素を一気に拡散すると、ワイヤーの強度を一気に緩める。
「……く、そッ!!」
シェリーは咄嗟のことでその勢いのまま、刀を馬鹿正直に真正面から振りきってしまう。もちろんサイラスはその単調な攻撃を読んでいる。シェリーのがら空きの横っ腹に手刀を差し込もうとするが、彼女の腹には真っ赤な花が仕込まれていたのだ。
「――四ノ花、柘榴」
そして、ボンッと鈍い音が鳴るとそのままサイラスとシェリーは互いに吹き飛ばされて転がっていく。シェリーはサイラスの攻撃を防ぐために、自爆をした。それは肉を切らせて骨を断つ、というものだった。あのままでは間違いなく致命傷を受けていた。そのため、自身の腹に四ノ花である柘榴を仕込んでいた。柘榴は、爆破を誘発するものであり、その威力はかなりのものである。しかしシェリーはその威力を抑え込んだりはしなかった。自分の腹に魔素で防御壁を固めるだけにして、そのまま炸裂させたのだ。
「う、うう……」
ポタ、ポタ、ポタ、と血が滴る。今の衝撃で頭を打ったのか、額からは血が流れ出てくる。頭部の負傷は軽傷であっても、血が多く流れ出てくる。一見すれば派手な負傷にも思えるが、実際には軽傷。それよりも腹部の方が深刻だった。シェリーの腹部は完全に焼け爛れており、内出血もしているのか真っ青になっていた。彼女は自力で治癒魔法を軽くかけると、すぐに立ち上がってサイラスの飛んでいった方を見つめる。すると、サイラスの方も立ち上がりシェリーをじっと見つめてくる。
「……危ない。危ない。ギリギリだったな」
パンパンと軍服を叩いて埃を飛ばす彼を見て、シェリーは化け物めと心の中で悪態をつく。それもそのはず。サイラスには全く傷がなかった。今の爆発で吹っ飛んだだけで、彼にはなんの傷もない。シェリーはそれほど期待はしていなかったが、ここまで完璧に対応されると逆に笑ってしまう。
人類最強の男の片鱗は全く見えていない。だというのに、サイラスは依然としてニヤリと笑いながらシェリーを見つめていた。
「いやはや、本当に残念だが……ちょうどいい機会だ。少し試したいことがある」
「……?」
試す……とはなんだ? シェリーがそう疑問に思った瞬間、目の前に広がるのは氷の世界だった。一気に凍りつく地面。彼女はそれを知覚すると上空に逃げる。
「いい反応だ。でも……」
「ぐっ……ッ!!」
上空に飛んだ瞬間、彼女は先回りしていたサイラスに叩き落とされる。彼の足蹴りが見事に背中にヒットしてそのまま地面に叩きつけられる。
「四ノ花、柘榴ッ!!」
シェリーは自分のいる場所以外の範囲を全て柘榴で埋め尽くす。そして炸裂させる。自分の周囲には防御壁を張る。それは咄嗟の判断だった。おそらく今の氷のは……凍結領域だ。まさか特級対魔師序列一位レベルになれば、広域干渉系も使えるとは考えても見なかった。あれは魔法に特化している対魔師が使用するものだという思い込みがあったからだ。情報として、エイラが得意としているのは知っていた。だが、近接戦闘型のサイラスがまさか凍結領域を使ってくるなど夢にも思わない。
近接戦闘、それに魔法。その両方ともに人類最高峰。その恐ろしさを感じ取って、シェリーは絨毯爆撃を仕掛けた。そして炸裂し続ける柘榴の花々が全て散ると……氷も砕け散っているのかパラパラとした欠片が宙を待っているのが見えた。
「……な、に……これは……」
目の前に広がるのは依然として氷の世界。そう、シェリーの攻撃はなんの意味もなしていなかったのだ。そして、シェリーは展開している完全領域内に侵入する異物を感じ取った。
「ふむ……これはなかなかに扱いづらいな……」
剣撃。それは確かに剣による攻撃だった。だというのにサイラスがそれを握っている様子はない。持っているのは小さなナイフだ。ナイフだがその射程は間違いなく、剣に匹敵するほどの長さ。この魔法は知っている。何故ならばこれは……ユリアが得意としているものだからだ。
「不可視刀剣、使い手が他にもいるんなんて……」
「他にもいる? あぁ……それは少し違うな。厳密には」
そしてさらに、信じられないことが起きる。そう、周囲に白百合の花が浮かんでいたのだ。唐突の出来事。シェリーは白百合を発動していない。だというのに、目の前にあるのは間違いなくシェリーの有する六花そのものであった。
「……こうかな?」
炸裂。白百合の花々が炸裂すると同時に眩い光がこの空間を満たす。シェリーは呆気にとられてしまい諸にその光を直視してしまった。そしてそれと同時に、彼女は腹部を蹴られたようでそのまま後方へと転がっていく。
「がはっ……!!」
先ほどの負傷も相まって、彼女は激痛を感じた。それに内臓をやられたのか、吐血。それでも彼女の心は折れていなかった。ユリアのために、この人類のために、自分も戦えるのだと。今までの努力は決して無駄ではなかったのだと、そう証明するのだ。その想いが彼女の心を支えていた。勝てる勝てないではない。立ち向かうか、立ち向かわないのか、それだけだった。
「……その胆力、見事……だが、そろそろ時間切れだな……」
サイラスは虚空を見つめていた。そこには何もない。だというのにじっと見つめている。シェリーは視力を徐々に取り戻してきて、やっと立ち上がることができた。だが依然としてサイラスは攻撃してこない。これはチャンスだ……そう考え、シェリーは六花のさらなる解放を試みる。
「六花、裏ノ花……」
刹那、シェリーは妙な違和感に囚われる。確かに自分はここにいる。だというのに、自分がここにいないという感覚。それと同時に黄昏症候群の刻印が灼けるように痛む。そのあまりの激痛に、彼女は手にしている刀を落としてしまう。
「世界縮小が発動したか。頃合いだな」
「……何を、何を言っているの?」
「シェリー・エイミス。来てもらおう。君たちには行くべき場所がある。大丈夫、案内は私がしよう」
「何を……いったい何を……」
意識が朦朧としてきた。今自分がどこにいて、何をしているのか、それすらも分からなくなっていた。
「さぁ、始まりの時だ」
シェリーが最後に聞いた声は、そんな言葉だった気がした。