第28話 終焉
「う、うわあああああああああッ!」
「逃げろ、逃げろおおおおおッツ!」
「嫌だ、嫌だ、嫌だッ! 死にたくないッ! 死にたくないッ!!」
すぐに外壁の入り口付近にいる古代蜘蛛の側にやってくると、そこはすでに阿鼻叫喚。死地と化していた。あの化け物に立ち向かう対魔師はいない。すでに逃げているか、それとも死んでいるかそのどちらかだった。流石に対魔軍の人間であっても……確かにこの魔物には怖気付いてしまうのも無理はない。
僕は残っている人をなんとか逃げるように誘導して、そしてあの巨大な魔物に1人で立ち向かう。
「すうううううう、はあああああああああ……」
大きく深呼吸。すでにここに生きている人はいない。残っているのは死体と、僕だけだ。残りの雑魚たちはすでに街の中心部に向かっており、まるで一騎打ちを望んでいるみたいだった。
そして戦闘が始まった。
◇
戦闘は苛烈を極めた。
古代蜘蛛の攻撃は予想以上のものだった。それは……転移魔法を使うことだった。数百年前に使用されたという記録は残っているが、現代魔法に転移は存在しない。だというのに、古代蜘蛛は間違いなく転移を使ってくる。あの長距離を一気に詰めてきたのはこういう絡繰りか……と理解するもどうしようもない。
そしてこいつは、尻の方から糸を吐き出すと、それを宙に浮かぶ魔法陣を通じて転移させている。さらにはその糸もまた、普通ではない。鋼鉄のように鋭く、刺さってしまえばひとたまりもない。さらには、脚もまた転移させ僕の死角を狙うようにして攻撃してくる。
「……くそッ!!」
思わず声を漏らす。あまりの手数の多さに、僕は手こずっていた。不可視刀剣の利点を全く活かせない。僕は完全に防戦一方だった。
だが、古代蜘蛛には弱点がある。それは機動性だ。大きければ強いということではない。強さとは体の大きさで測れるほど単純なものではないが……この古代蜘蛛は巧みだった。戦闘経験が豊富なのか、僕の死角から攻撃を仕掛けてきて確実に難しい対応を押し付けてくる。攻撃をする隙を与えない。ならば……あれを使うしかない。
「……神域」
僕は魔眼から派生させた、特異能力を発動。これは相手の魔素を知覚するもので、未来予知にも匹敵する。詰まるところ、反応速度は今までの倍。黄昏眼とは異なり、全体的に魔素を把握できなくなるが、今はこの限定的な範囲で十分だった。また、発動限界は短いが今はそうも言っていられない。
「キィイイアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「……ぐ、ぐうううううッ!!」
――鮮血。すでに僕の体は自壊を始めていた。神域の使用時間は概ね、10分が限界。だというのに、発動してからすでに15分が経過。すでに眼球から出てくる血液の量は尋常ではなく、腕の皮膚もまた裂け始めている。この出血量ならば普通はとっくに死んでいる。だが、今の僕は活性化しているのかまだ戦えていた。魔族に近い……というのは間違いないようだが、そのおかげで戦えている。
それにここで負けてしまえば、第一結界都市は墜とされる。そうなれば、人類へのダメージは計り知れない。この場所は人類全ての希望そのものなのだ。ここが墜ちれば、他の都市の結界も機能しなくなる。そうなれば、あの地獄が再び繰り返される。
僕は……いや、僕たちは平和ボケしていた。魔族との戦いが落ち着いて、結界都市を築いて、そこに入れば安全だと思った。いつか魔族に対抗する、いつか黄昏を無くして輝かしい光を取り戻す、いつか大地を取り戻す……その未来を漠然と夢見ていた。人類は、150年間そう思い続けてきた。だが魔族は待ってくれることなどなかったのだ。
「うおおおおおおおおおおおおッ!!」
後悔はある。あの時こうしていれば、あの時こうしなければ、そんな想いが錯綜する。でも今は……今だけは、この瞬間に集中しなければならない。古代蜘蛛を倒さなければ、後悔も、反省もできない。ただただ蹂躙されて終わるだけなのだから。
僕は不可視を至る所に展開。そして自身の体にもまた、慣性制御の魔法を行使。流れていく運動をピタリと止めて、見えない壁を蹴る。そして……そのまま一閃。その攻撃を続ける。縦横無尽に駆け巡る。加えて、不可視刀剣を両手のナイフ、それに両足からも発動。リーチを自在に変化させつつ、攻撃を確実にいれていく。
さすがの相手も不可視刀剣は知覚できないようで、僕の攻撃は間違いなく効いていた。互いに防御はほぼしない。ただの殴り合いの状態。だがそれこそが最善だと僕は気がついていた。もともと、不可視刀剣に防御という選択肢はない。圧倒的な手数、見えないという利点。それを活かすのが僕の戦闘スタイルだ。
相手もまた、転移魔法による攻撃に自信があるのか、さらに攻撃の量が増していく。そして、迫り来る糸を、脚を避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。避け続けるッ!!
止まってしまえば、すぐそこには死が待っている。すでに自身の体から流れている血は気にならなかった。そして音が消え、ほとんどの色が消える。見えているのは真っ赤に燃え上がる、灼けるような赤色だけ。それさえ知覚できれば僕は戦える。
不可視で作り出した空間を駆け巡る。相手もまた、この空間で僕を追い続ける。さらにこの時、無意識だろうが重力さえも気にならなかった。ただただ脚が軽い、腕が軽い、体が……軽い。もっと速く、速く、速く、速く、速く、速くッ!!
全ての攻撃を躱し、脚を削ぎ、体を削ぐ。再生するも、それを上回る。ただ相手よりも速くなればいい。それだけだ。それだけが僕の全てなのだ。
「キィイ、キイィイイイイイイアアアアアアアッ!!」
再び咆哮。でもそれは威嚇などではない。悲痛な叫びであると僕は直感的に悟っていた。
すでに意識の中に何をこうする……というものはなかった。ただ無意識的に、本能的に、体を動かす。両手に持つナイフを起点にした不可視刀剣、また余った指を使っての不可視刀剣、それに足を起点にした不可視刀剣もまたオンオフを切り替えながら、戦う。さらにポケットには何十本というナイフを持っている。僕はそれも使用し、ナイフを起点にして発動した不可視刀剣を投擲に使用する。それが突き刺さるたびに、相手は苦痛の声を漏らす。
完全に、僕はこの空間を支配し始めていた。
「……フッ」
そして肺から空気を一気に吐き出し、不可視刀剣を振り抜く。肉を裂く感触が確かに伝わってくる。そのまま相手の脚を一瞬で切断すると、そのまま首を薙ぐ。刹那、自身の脳天に振り下ろされる攻撃。だが、それを視界に捉えることなく、神域による空間把握で躱すと相手の脳天に再び一閃。転移は魔法陣を必要とするようだが、それは魔素をかなり振り撒いている。それならば、僕が神域で知覚する方が、攻撃を受けるよりも圧倒的に速い。
そして再び僕は相手の体を切り裂き続ける。
「キィイイイ、キィイイアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
悶える古代蜘蛛。一方の僕にもう、痛みはなかった。自壊によるダメージは確実に在るというのに、僕は痛覚すら手放していた。
何も感じない。ただただ、終わらせる。屠る。殺しきる。それが今やるべき事。
そして僕の剣撃はとうとう古代蜘蛛の全てを凌駕し始める。もうすでに僕の姿を完璧に捉えることができないのだろう。明後日の方向に攻撃している。僕はその隙に脚を刎ね、首を刎ね、体を細切りにしていく。再生はすぐに始まるも、徐々に追いつかなくなる。見つけるべきは赤いクリスタル。あれを破壊すれば終わる。
僕の腕は呼んでいた。あの結晶の在りかは……ここにあると、叫んでいる。刻印からはどくどくと血液が際限なく溢れ、ナイフを持つ手が滑る。その瞬間、僕はナイフを捨てた。
今、武器はいらない――。この己が四肢全てを起点にして、不可視刀剣を発動する。僕は一つの刃だ。そうイメージすると、僕は視界にちらっと輝くものを見つける。
「あれだッ……!!」
間違いない。削っている腹の肉に食い込むようにして存在する結晶。だが今回のものは青いものだったが……それでも、あれなのは間違いない。あのクリスタルを破壊できれば、この戦いは終わるッ!!
「キィイイイイ、キィイイイイイイイイイ、キィィィィアアアアアアッ!!」
相手も弱点が発見されたと察したのか、今までよりも尋常ではない速さで攻撃を仕掛けてくる。すでに僕は、360度全て転移の魔法陣に囲まれていた。そしてそれは僕を確実に追尾してくる。
僕があの青い結晶を破壊するのが先か、それとも相手の攻撃が僕に届くのが先か。
すでに互いに死は眼前。片足を突っ込んでいる。だが、怯むな、臆すな、怖気付くな、躊躇うな。死を意識するな……死は今ない。僕はまだ生きている。この体を懸命に動かしている。まだ、まだ僕は……生きているんだッ――!!
「……」
「……」
静寂。今までの喧騒が嘘のように、静まり返る。
そして、永遠とも思われた戦いは終わりを告げた。
僕の不可視刀剣は結晶を打ち砕いていた。古代蜘蛛の攻撃はあとわずかのところで届かなかった。おそらく時間差は1秒以下の世界だ。僕はゼロの世界で、勝ちを捥ぎ取ったのだ。
死は迫っていた。だが、死神が選んだのは僕ではなかった。勝利の女神は僕に微笑んだ。
「キ、キィイイイイ……キ……ィイイ……イイイ……」
古代蜘蛛の体が崩壊していく。パラパラと空に舞っていく。粒子となって、世界に還っていく。
「……勝った、勝った、僕は勝った……」
疲労感でその場に倒れこむ。一気にどっと疲れがやってくる。もう体は動かない。流れ出る血は暖かいな……そう思った。
人類のために、僕はやるべきことをできたのだろうか?
あの非力で、無能で、無力だった僕は……誰かのために役に立てたのだろうか?
最後のあの一瞬。死の世界にいた僕は、微かにみんなの顔が思い浮かんでいた。あの人たちのためなら……この人類のためになら、僕は成すべきことを成せる。そう思った瞬間、僕は青い結晶を貫いていたのだ。
「あ……あぁ……ぁ……あああ……」
すでに声は枯れていた。体全体から存在が消えていくのを感じる。無茶をし過ぎた。きっと限界を超えたのだろう。右腕は灼けるように熱い。その感覚だけが今の僕を支配していた。
思えばここまで長いようであっという間だった。黄昏に追放され、懸命に生きることに執着し、生きるために技能を身につけ、結界都市に帰ってきた。そして色々な人と出会って、特級対魔師になった。何もない、何もできない無力な人生だと思っていたのに、僕は思いがけない機会を手に入れたのだ。
そう思考に耽っても……今は疲れた。ただただ眠りたい。眠ってしまいたい。この先に死が待っているとしても、すでに理性ではどうしようもなかった。
それにこれが僕の最期の時だとしても、後悔はなかった。何もできない自分がここまで来られたのだ。もう十分だろう。人類のために、無力な僕が何かを成すことができた。もう、思い残すことはない。
この黄昏を切り裂く、一筋の光になれたのなら……それで十分だった。
「……アアッ!! ユリアーッ!」
「……ユリアーッ!!!」
最期にそんな声が、聞こえた気がした――。