第132話 孤軍奮闘
「はあああああああああッ!!」
一閃。シェリーはその刀を横に振るうと、最後の蠍を屠った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
さすがに疲れて来たのか、肩で呼吸をし始める。そして彼女はその場に刀を突き刺すようにして、少しの時間だけその場に座り込むと決める。
――まだ30分しか経っていないのね。
そう辟易するシェリー。彼女は自身の汗を拭いながら、その場に大量に転がっている蠍の死体に火をつけた。タンパク質が燃えていく特有の匂いがするも、今はそれほど気にならなかった。なぜならば、この戦いはこれで終わりでは決してないからだ。
こうしてシェリーが戦い始めて30分ほどしか経っていないが、彼女はすでに100を超える蠍を屠っていた。この程度の蠍はシェリーの敵ではない。もはやその技量はベルにも匹敵しうる剣士。事実上、人類最強に近い剣士であるシェリーが蠍に遅れを取るわけはない。
だがそれは、相手が単独の話に限る。現在の状況はそれとは明らかに異なっている。
外から差す明かりはあるものの、薄暗いこの場所。そう、シェリーはたった一人この地下に落とされていたのだ。上に登ろうにも、あまりにも深いこの場所は流石のシェリーでも登ることは叶わない。
「来たか……」
腰をあげると、再び刀を構える。
そこにいるのは十数匹の蠍だった。天にそそり立つように伸びる尻尾は、敵対の意志をありありと示していた。
「ふぅ……」
一息つき、そしてシェリーは大量の蠍の相手を再び始める。
なぜシェリーがこのような状況に陥ったのか、それは少し時間を遡る。
◇
「いねぇな」
「はい」
「何か感じねぇか?」
「いえ。特には」
「……そうか」
シェリーの所属している第二小隊。現在先頭を歩いているのは、ロイとシェリーだった。この隊ではこの二人が前線を切り開く役割を担っている。ちなみに後方にはイヴがおり、その間に他の一級対魔師と二級対魔師がいる構成となっている。
今は作戦通り、該当する地下施設の周囲を探索していた。と言ってもそれは地上からなのだが、今の所なにもおかしなところはない。
全員が緊張感を保ちながら、さらに進んでいくと頭上から声がした。バッと上を向くと、そこにいたのは……人に似た何かだった。スーツを着て、髪型はオールバックにしている。上から下まで、まるで先ほど仕立て上げたかのような服装。沁みひとつ、埃ひとつ付いてはいない。
もちろん一見すれば人間。だが、その振りまく魔素を感じ取って人間と勘違いするような者はこの場に一人としていない。
「人間? いや、魔人かあれは……」
「そのようですね。やりますか?」
「あぁ。もちろんだ」
ロイがそう言うと、第二小隊の全員が隊列を組んで先頭態勢に入る。その様子を見て、その場にいた魔人……アウリールは悠然とその場に降り立つ。空中から出現したのは不可解だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
魔人。それもこの魔人はきっと、上位魔人だ。全員共に、その認識をしていた。
上位魔人。それは人間が定義している、魔人の中でも最高峰の戦闘力を持つ者の総称である。今回の作戦に出てくる可能性は考慮されていたが、まさか自分たちが出会うことになるとは……シェリーはそう思いながら、すでにその腰にある刀に手を伸ばしていた。
「礼に始まり、礼に終わる。人間の皆様、お初にお目にかかります。私は聖十二使徒、序列4位。アウリールと申します。以後お見知り置きを……」
恭しくその場で礼をするアウリールを見て、誰も動きはしない。緊張感が保たれているも、まるでそれを全く介していないかのように彼は言葉を続ける。
「さて、人間の皆さん。私は別にここであなたたちと争いたいわけではありません」
「テメェ……なにが目的だ?」
問いを投げかけるのは隊長であるロイだった。そしてアウリールにはニコリと妖艶に微笑み、言葉を返す。
「目的? そうですね。単刀直入に言うならば、少しばかり遅らせたいのです」
「遅らせてぇ、だと?」
「はい。これ以上は言えませんが、今回の戦いの行方は私たちにとってどうでもいいのです。あなたたちがこの大地をどれだけ進行しようが、好きになさってください。ただ……まだ、早いのです」
「なにを、なにを言っているテメェ……」
「さてそれではお別れです」
アウリールがバッと手を掲げると、全員が武器を構えるも……その次にやって来たのは全く予想外にしていない現象だった。
「……な!?」
「崩落!?」
「……まずいッ!!」
そう。彼が手を掲げ、そしてパチンと指を鳴らした瞬間、全員がその場から落ちていく。そのまま闇の中に引き込まれるようにして、全員共に落下していく。だが一人だけ、たった一人だけその瓦礫を踏み台にして上に登ろうとしていた対魔師がいた。
「……殺すッ!!」
「ほぅ……シェリー・エイミスですか」
それはシェリーだった。すでに彼女以外の全員は崩落にのまれてしまったが、シェリーだけは懸命に上に、上にとその体を動かしていた。だが……。
「残念。少し、遅かったですね」
刹那、さらに崩落が始まったのか上から追加分の瓦礫が降り注ぐ。
「また会える時は来ますよ」
その言葉を最期に、シェリーはそのまま奈落の底へと飲み込まれていくのだった。
◇
「ふぅ……こんなものか」
そうしてさらに30分。シェリーが落下してから、1時間が経過した。彼女はたった一人、ある小部屋のような場所へとたどり着いていた。他の隊員がそうなっているのかは分からない。彼女にはユリアやリアーヌのように、広範囲を知覚する特異能力は備わっていない。
今回ばかりは仕方ないが、流石にこのまま一人でいるのもまずい。
ちょうどシェリーは蠍の大群を全て殺し終わったところだ。その全てが例外なく、脳天から綺麗に切り裂かれており、ドクドクとその体液を地面に垂れ流している。
――行くしかない、か。
この場に止まるのも一つの選択肢だが、助けを待っているほど彼女は悠長にしていられないと思った。それに広範囲の知覚には乏しいシェリーだが、ある一箇所から尋常ではない魔素が振りまかれているのは感じ取っていた。
おそらく、戦闘をしているのだとシェリーは予測していた。
「……行こう」
ぼそりと呟くと、腰に差している鞘に刀を収める。キン、という音がなると同時に彼女はそのまま歩みを進める。ここから先は全くの未知の領域。この世界にダンジョンというものが存在しているのは知っている。知識として、対魔学院では教えられているからだ。それにユリアもあの追放された二年間で、立ち寄ったことがあると言っていた。
ダンジョン、言い換えれば迷宮ともいうが、そこは謎の地下施設。誰が何のために、どうしてこのようなものを作り出したか知らないが、黄昏に支配された後に生まれたと諸説はある。
「……」
暗闇を進む。全く灯りはなく、ひたすらに闇。シェリーは常時、絶対領域を発動して、周囲の状況を確認していた。それは半径五メートル以内の全てを支配下に置く特異能力。いつもは戦闘に使うのだが、今回は周囲を探るのにも応用できていた。流石にこのようなケースは想定していないが、それでも自分の半径五メートル以内を把握できるのはかなりの強みになる。
無駄に壁にぶつかったりもしないし、万が一の奇襲にも反応することができる。
ちなみにこの使い方は、ベルに教わったものである。ベルは自身の経験したことの全てをシェリーに教え込んでいる。今回の件も、ベルは経験があった。暗闇を進む際には、絶対領域が有用だと。
「……扉?」
進んでいると、シェリーは目の前に扉があるのを感じ取った。大きい。三メートルくらいはあるだろうか。
開けるか。それとも別の道を探すか。
「……開けるしか、ないわよね」
そう決めると、シェリーはさらに深部へと進んで行くのだった。