第129話 Liane's perspective 3:誰がために戦うのか
反対方向に歩みを進めるベルを見て、私はぎゅっと両手を握りしめ胸元に寄せる。ベルが別れ際に見せたあの表情。それに闘気ともいうべきか、周囲の魔素が彼女に収束していくのを感じ取った。
その双眸はどこを見据えるのか。
そんな顔つきを見たのは初めてではないが、こうして実際に戦場に向かおうとしているベルを見るとやはり……普段とは別人に見える。一見すれば彼女は、自信のなさそうな、けれども優しそうな大人の女性に思える。だが実際のところ、ベルは人類の中でも最強の剣士と謳われているのだ。
知らなかったわけではないが、やっぱり改めてベルの近くにいると彼女は特級対魔師なのだと自覚する。
「ベル……どうか、どうか……」
思わず声に出てしまう。依然として私はベルのことを想っていた。もうかれこれ10年の付き合いなのだ。いつも戦場に行く彼女を見て、心配だった。それは幼い時の未来視が頭によぎるからだ。でもベルはそのことごとくを打ち破ってきた。
運命とは自分自身で切り開く者だと言わんばかりに、その身でその言葉を体現しているようにも思えた。
確か私は以前聞いたことがある。どうしてそこまでして、あなたは戦うのかと……。
◇
「ねぇ、ベルはどうして戦うの?」
そんな質問をしたのは、確か今から3年前……私が12歳の時だった頃だ。当時は対魔学院を早期に卒業したものの、軍人になるのはまだ早いということで王族としての公務などをこなしていた。
そんなある日、思ったのだ。ベルはどうして戦い続けるのか。互いに親しくなっていたからこそ、私は聞いてみたかったのだ。
もちろん、ベルティーナ・ライトの経歴自体は知っている。幼少期から魔法の才能があり、特に近接戦闘の才能は群を抜いていたそうだ。そんな時、彼女が出会ったのが当時の特級対魔師序列二位である、ローレンス・アクトン少佐だ。
彼は剣技、そして秘剣を扱う剣士であり代々その技を伝えているらしいが、それは決して世襲制ではない。秘剣を扱うにたる才能を持つ者、さらには受け継ぐにふさわしい人格者にしか、伝えないようだった。そこでその才能を見出されたのがベルだった。
二人は師弟関係となり、ベルは才能を開花させて秘剣を習得。そこから先は彼の直属の部下となった。しかし、ある日ベルたちは危険区域に出て言った際に魔人と遭遇。そこでベル以外の対魔師は全て殺され、彼女だけが生還した。もちろん犠牲者は、その少佐も含まれていた。
この事実を知った時、私は思ったのだ。どうしてそこまでして、戦うことができるのかと。こんな仮定は無意味だろうが、もし自分がベルの立場だったら心が折れていてもおかしくはないと思う。ずっと側にいた人間が、誰よりも信頼しているその人が、目の前で死んでいくのだ。それも、魔人に理不尽に命を奪われることによって。
だからこそ、私は知りたかった。未だに最前線で戦い続ける、彼女のその真意を。
「……戦い続ける……理由ですか……そうですね……」
「別にいいたくないのなら、言わなくても構いませんが……」
「……いえ、話すのに抵抗は……ありません。ただ……」
「ただ?」
「明確な理由となると……少し難しいですね……ご存知のように、私は少佐に育てられ、ずっと彼の後を……追いかけていただけ……ですから」
「でも……」
その先を話すのは躊躇われた。本当なら、「でも、少佐が亡くなった後は……」そう続けたかったが、ベルにとってかの少佐は初恋の相手であり、愛し合った人だと昔聞いたことがある。これ以上はセンシティブ過ぎるのかもしれない。
「……リアーヌ様の、いいたいことは……わかります……少佐が亡くなった後の話ですよね……? もう7年です。少佐と別れてから……7年。あっという間でした……むしろ、彼がいない日々の方が……普通になりました。それでもやはり私は……この魔剣を見るたびに……思い出すのです……少佐の最期の言葉を。それがきっと、今の私の……原動力な気がします」
「その言葉とは?」
「世界を、人類を、どうか頼む……そのような言葉でした。その瞬間わかったのです……あぁ、この人も誰かの意志を継いで……戦ってきたのだと。数多くの死に触れて、その屍を乗り越えて……ずっと戦ってきたのだと……そしてその死を背負ってきたからこそ、次は……私に託したのでしょう。少佐だけではありませんが、やはりそれでも……私には少佐のその願いをずっと追い求める……その必要があると思うのです」
「人の死を背負うことですか」
「……はい。人類は戦い続けてきました……人魔大戦に敗北し、黄昏に……この世界が支配されても……人は立ち上がって、抗ってきました……そしてそれはずっと引き継がれているのです……確かな意志と共に、私たちの心に刻み込まれている……そんなことを最近は思うようになりました……まぁ、若い時はそんなこと、欠けらも気にして……いませんでしたが……。私も……若かったですね」
「そう。そうですか。ベルは凄いわね。本当に、本当に尊敬します」
「そんな……私は当然のことをしているまでです」
「それを当然と思えることが、私は凄いと思うのです」
「や、やめてください……そんなに褒められると、照れてしまいます……」
下を向いて、顔を真っ赤にするベル。こうして見るとただの可愛らしい女性だ。本人に言うと、ちょっと不機嫌になるけれども私はベルはとても可愛らしいと思う。それにしっかりとした意志と、強さを兼ね備えている。
私は知っている。ベルは異性には魅力的で、軍の中でも男性に人気があるのだと。でも男性たちは気後れしてしまうのだ。彼女のその立ち振る舞いに。誰よりも強く、誰よりも気高い彼女に恋愛を意図して声をかける者はいない。こう言う時は、高嶺の花と形容するのが正しいのかもしれない。
ともかく、ベルはあらゆる面において魅力的だった。
きっと彼女の心にはまだ、敬愛する少佐がいるのだろう。彼を想いながら、彼の意志を継いで、ベルは戦い続ける。
でも私は知っていた。ベルにはもう、あまり時間が残っていないことを。
◇
「ベル、定期検診どうだったの?」
「今回も……大丈夫でした……問題は、ないそうです……」
「そう。それならよかった」
私はにこりと微笑んで、その話題はそこで終わる。
対魔師には定期検診が義務付けられている。その理由はもちろん黄昏症候群だ。対魔師は例外なく、その病に侵されている。程度の差はあれど、間違いなくその病は進行している。その中でも特級対魔師は最も酷い部類に入る。
人類の中でも最強格の彼、彼女らは結界都市を守るために黄昏危険区域での戦闘が多くなる。その時間はおそらく並みの対魔師の倍以上のものになるだろう。それ故に、特級対魔師は魔族に殺されることは滅多にないが、多くの者が黄昏症候群により死んでしまう。
黄昏症候群はゆったりと息を引き取るのが特徴だが、それはレベルが低いものに限られる。高レベルの場合は、その刻印が発光し、文字通り体を内側から灼き尽くす。その痛みに耐えれる者はそういないため、大抵は最期の発作が始まった瞬間に安楽死を選ぶ。
「……ベル、やっぱり」
それはちょうど、黄昏を攻略すると言う大規模な作戦の前の出来事。私は今回ばかりは職権乱用だが、王族という立場を使ってベルのデータを極秘裏に受け取っていた。病院の人もかなり渋々という形だったが、私の有無を言わさない態度に驚いたのか顔を反らしながらベルのデータが書かれた紙をくれた。
そうして私は目を通すと、それは予想通りだった。
「黄昏症候群レベル5、しかもかなり末期の部類……ですか……」
レベル5にもある程度の幅はあるが、ベルはその中でも最も酷い部類だった。今すぐ入院して、治療すべきだと。もう黄昏の濃い場所には居てはいけない。その警告がしっかりと書かれていた。でもベルはそれを無視したらしい。医者の言うことも聞かずに、今回の作戦に参加する。
曰く、『自分の死に様は自分で決める』……とのことらしい。
医者たちもその言葉を聞いて強く出ることはできなかった。それに人類の中でも最強格の彼女が居なければ、作戦に支障が出るかもしれない。そうしてベルの処遇は見送られたが……もう命の灯はわずかしかない。
「ベル……どうして、あなたは……」
紙を持つ手が震える。どうして、どうして私に言ってくれないのか。でもその理由などとうに分かっている。それを知ってしまえば、私が悲しむと知っているからだ。もはや家族以上に親しい私たち。その離別は決して、許容できるものではないだろう。
かの少佐との別れを経験しているからこそ、ベルは黙っているのだ。
それに、自分の死に場所は自分で決める……そうベルが言ったのなら、私はそれを尊重しないといけない。たとえこの戦いの中で、ベルが黄昏症候群によって身体を灼き尽くされようとも……私は……。
「……」
その紙を炎の魔法で燃やして、存在をかき消す。私は泣かないように上を向きながら、自室から出ていくのだった。
もう二人の間に残された時間は、短いのかもしれない――。