第117話 自問自答
「それで、何に気がついたんだ?」
「えっと……」
僕らは他の人間に話を聞かれないように、少し離れたところに来ていた。周りは木々に覆われているが、それがちょうどいい感じに僕らの姿を隠してくれる。それと念には念を入れて、黄昏眼を展開しておく。
――よし、近くに人の気配はしないな。
それを確認すると、すぐノアからの話を伺う。
「エルフの結界の件だけど、やっぱりあれは人間の域を超えていると思うよ」
「まぁそれはそうだろうけど……他には?」
「……こういうのはどうかと思うけど、エルフは何か隠していると思うんだ」
「隠しているか……」
「うん。魔法の技術的なものじゃなくて、もっと根本的な何かを」
「どうしてそれに気がついたんだ?」
「知ってると思うけど、僕はエルフの人たちと結界の修理をしていたんだ。その時に、色々とエルフたちと話したんだけど……その、どうにもやりにくいというか。視られていたんだと思う。まるで僕を探るように……」
「相手も何か魔眼の類を有していたとか」
「その可能性はゼロじゃないと思う。と言っても僕もその時は知覚に努めたけど、よくわからなかったけどね」
「なるほど。実は人間に敵対している可能性もありか……昔から持っている先入観が仇になったかもしれない」
先入観。それはエルフは人間には敵対しないだろという思い込み。でもどこにも証拠などないのだ。彼らが、人類に敵対しないという証拠は。僕らは内部にいた人間にすら騙されていたのだから。あの件を経て、他の種族との交流に敏感になるのは決して悪いことではない。最悪の可能性を常に想定する必要が僕らにはある。
それにノアの件もそうだが、妙に動きが早い気がするのだ。エルフと出会ってから、彼らはまるでそれが分かっているかのようにスムーズに人間との交流を進めている。それは友好の証……そう解釈していたが、やはりリアーヌ王女とノアの証言、それに僕の心のうちにある違和感。
アリエスのあの表情。どこか翳りが差しているような、悩んでいるような、迷っているような、その僅かな葛藤を僕は見逃していなかった。別にリアーヌ王女とノアの件がなければ、無視していただろう話だが……。
でも僕だけでなく、他の人も違和感を持つということは無視していい案件ではないのだろう。エルフの裏切りも踏まえて……先に手を打っておくべきだろう。念には念を。準備しておいて、越したことはない。それに、サイラスとクローディアの時のような失態を晒すわけにはいかないのだ。
「ノア、この件は上に報告しておこう」
「……いいけど、ユリアさんはいざという時やれるの?」
「……やれるさ。そのためにここにいるんだから」
「そっか。僕はまだ魔族とか殺したことないけど、僕もいざという時はやるよ」
「……あまり無茶はするなよ」
「分かった」
コクリと頷くノア。その小さな仕草を見て、まだ幼い子どもなのだと再認識するも、子ども扱いし続けるわけにはいかない。彼女の力が必要な時が、きっと来るのだろうから。
◇
「……以上になります。上に報告していただけると」
「……分かった。言っておくね」
「よろしくお願いします」
その場で頭をさげると、ユリアはその場を去っていく。ベルはユリアから話を聞いていた。内容は俄かには信じ難いものだった。それはエルフが裏切っている可能性があるということだった。しかし、ユリアのことは全面的に信頼しているし彼が言うのだからそれを無視していいわけはない。
ベルはその話を聞くと、すぐに作戦司令部へと向かう。中に入ると、奥の方で投影魔法で壁一面に今の状況がモニター状になって照らされていた。そして彼女はそこにいる見知った顔の人間に話しかける。
「リアーヌ様……」
「ベル。もう就寝時間でしょう」
「緊急の……お話が。総司令官は?」
「今はいないわ。私が話を聞きましょう」
「お願い……します。それで……話ですが、エルフの件です」
「やはりそれですか……」
「やはり、とは……気がついていたのですか?」
「えぇ。すでに総司令官には話を通してあるけど、ベルはその話をどこで?」
「先ほど……ユリアくんに伺いました。曰く、ノアとの話を総合しても、違和感があると……」
「違和感、ですか」
ベルは話した。ユリアに伝えられた内容の全てを。するとリアーヌは顎に手を当てて、思案をする素振りを見せる。
「……ノアの件に、ユリアさんの件、個人的な体験だけど無視していい話ではないでしょうね。こちらとしてもおかしいと思っていたのよ」
「やはりあの会議でしょうか?」
「ベルも参加していたからわかると思うけど、向こうの対応が早すぎるのです。こちらはもっと腹の読み合いになると思っていたのに、全てこちらの条件に従うし……それにこちらに戦力として一部のエルフを譲渡する……逆の立場で考えれば、ありえません。それだけ向こうの生活を維持するのに、困っていると言うことならばわかりますが……報告ではあの村は正常に機能している……ならば、どうしてそこまでの対応をするのか。私はそれがずっと気がかりだったのです」
「もしかして……誘い込まれている?」
「その可能性もすでに視野に入れています。それと、こちらの軍にいるエルフにはすでに監視もつけているけど、ベル……いざという時は分かっていますね?」
「もちろん。斬り捨てる覚悟は……あります」
「よろしい。今日はここまでで結構です。明日には対魔師全員に通達するので」
「……分かりました。失礼します」
ベルはそのまま作戦司令部を出ていく。今のリアーヌの姿を見て、やはりあの人は変わらないな……と思うと同時に、頼りになる人間になったと心から感心した。初めはこの作戦に参加するのは時期尚早ではないかと言う声もあったが、完全に杞憂だったようだ。
――それにしても、エルフの裏切りか……。
ベルは先ほど、仮に裏切っているのならば、人類に敵対するのならば、斬って捨てる覚悟はあると言っていた。でもそれは厳密に言えば覚悟があるのではない。殺すことにすでに躊躇いを覚えていないだけだ。そのことを覚悟といえば、それだけだが……覚悟とは、何か葛藤がある上で成り立つものだと思っている。しかしベルにはそんなものはない。
そっと腰に差している刀に手を当てる。今までこの魔剣、朧月夜でどれほどの敵を屠ってきたのだろう。魔族を討伐してきた数ならば、すでに人類の中でも最高峰だろう。いやベルだけではない。この朧月夜だけに限れば、きっと現存する武器の中では最も敵を殺しているのかもしれない。担い手はずっとこれを引き継いで来た。ベルもまた、これを師匠から受け取ったのだ。
朧月夜。真っ黒な刀身に、刃の部分は灼けるような緋色をしているそれはベルに完全に馴染んでいる。彼女は改めてそれを見つめ、抜刀する。
「……」
黙ってそれを空に掲げる。月明かり、それに星々の明かりに照らされて、その刀身が明らかになる。朧月夜は研ぐ必要がない。たとえどれほどの敵を斬り伏せても、その刃が刃毀れすることはない。今は亡き少佐の話によると、これは人魔大戦時に生み出された魔剣の一種なのだそうだ。
魔剣。それは現代の技術では再現できない、ロストテクノロジーの一つ。この世界にはロストテクノロジーと呼ばれている産物がいくつかある。ベルの持つ朧月夜もその一つだと少佐に教えられたものだ。
そして彼曰く、この剣にはまだ隠された能力があると言う。それは本能的にわかるのだと言っていたが、ベルも最近になって感じるようになっていた。この刀には何かが眠っている。間違いなく……。自分も彼と同じ領域にたどり着いたのか、そう思いながら彼女は思い出していた。
「……少佐、私はしっかりとやれているのでしょうか」
十年。もう十年も経ってしまった。しかし、ベルの中にはまだ彼の紡いだ意志が眠っていた。
ベルは想起する。あの時の、過去の自分を。そして少佐と過ごした輝かしい日々を。