お兄様との交渉
難攻不落のお兄様との交渉に意気込んで居間に入ると、待ち構えていたお兄様にひょいと捕まえられて膝の上に乗せられてしまった。
小さくため息を吐いてお兄様を見上げると、そこにはとても愉しそうで嬉しそうな薄笑いが浮かべられていた。
「…お・に・い・さ・まっ!誰にでも限界っていう物はあってね、人にはちゃんとした睡眠と休養が必要なの!お兄様はニコライ様が過労死しても良いのっ!?」
「あぁ…それは困るな〜!また代わりの婿を探さなければいけないよ。でもね、限界は越えてこそだろ?大事なオフィーリアを嫁にやるなら、それくらい簡単に乗り越えて見せるくらいの男じゃないと、安心して任せられないだろ?兄としての親心だ。」
ニコライの命に関わる大切な話をしているというのに、お兄様に至極興味なさげに軽く躱されて、私はすっかり怒り心頭だ。
どこ吹く風といった様子のお兄様の頬をがっしりと掴んでちゃんと目を合わさせる。
「何が親心よ!冗談ばっかり言ってないで真面目に聞いてよね!」
「ちゃんと聞いてるさ。しかし、怒っているそなたも可愛いね。」
なんて言いながら今度はお兄様の方が私の頬を挟んでからかってくるので、睨みつけて心強い助っ人を呼ぶ事にした。
「どこがちゃんと聞いてるんですか!もーっ!ソフィア!何とかして!」
「若様、あんまり姫様をからかい過ぎると本当に嫌われてしまいますよ。それはお嫌でしょう?」
その場に控えていたソフィアは、子どもの時のように窘めるようにお兄様の前にかがんで穏やかな声音で諭してくれた。
お兄様は少しだけ目を細めて、あの頃を懐かしむように表情を緩めた。
「確かにね。でも、オフィーリアは何があっても兄の事を嫌いになったりはしないよね?なにせ、私達は相思相愛なのだから!」
…ただ、お兄様が小さい時からこんな性格だったせいで、一言ですぐにその余韻は消えてしまったけれど。
「兄妹だから嫌いにはならないけれど、お兄様のそういう所好きじゃないわ。」
「好きなんじゃなくて愛してるんだよな、オフィーリア。」
ついお兄様につられて感傷に浸ってしまっていた事もあって、プイとそっぽを向いて拗ねた声を出してしまって、それなのにさらにからかってくるから腹を立てて、言い返そうとした時にソフィアがまた助け舟を出してくれた。
「はいはい。そのくらいにしておきませんと、姫様に口を聞いて貰えなくなりますよ。可愛い妹君のお願いを聞いてさしあげれば良いでは無いですか。」
「そうよ!ソフィアの言う通りなんだから!」
「二人してあまり責めないでおくれよ。へこんでしまうじゃ無いか…それで、婿殿に休む時間をやれば良いのだったかな?」
「ええ。ちゃんとベッドで最低でも五時間は寝られるようにして頂戴。」
「それなら簡単さ。そなたの寝室で一緒に眠れば良い。結婚するのだから何の問題も無いだろう?」
「問題大有りです!結婚前から同衾とかあり得ないでしょ!社交界の笑いものになどなりたくはありません!」
「仕方が無いなぁ。そなたがそこまで言うなら夜はニコライを騎士寮で休ませる事を認めよう。その時だけ代わりの黒騎士を派遣する。それで良いか?」
「はい!ありがとうございます。」
と、ここで、急いでお風呂から上がったのかニコライが髪を湿らせて気まずそうに部屋に入って来た。
「…あの、すみません。お風呂、ありがとうございました。」
「あぁ、ニコライ様!今お兄様を説き伏せてニコライ様がちゃんと寝られるようにしたからね!」
私が達成感でニコニコと嬉しそうにする反面、ニコライは何故かお兄様の方を見て冷や汗をかいている。不思議に思ってニコライの視線の先のお兄様を窺い見ると、お兄様が冷気を放ってニコライを睨んでいた。
「二人ともどうかしたの?」
「どうかしたかと言われると大したことではないんだけれどね。お前達が思ったよりも上手くやっているようで、兄はヤキモチをやいてしまったんだよ。」
「もう、仕方の無いお兄様ですね!夫婦になるんだから当然でしょう?ほら、馬鹿な事ばっかり言ってないで、早くご飯食べに行くよ。私は今日はそんなに予定入ってない筈だけど、お兄様はやらなきゃいけない事がたくさんあるでしょう?」
「そうだったね。代わりにやっといてくれないか?」
お兄様は毎度の如く、私に仕事を放り投げていたずらっぽく笑った。もちろんさっさと断るけれど。
「やりませんよ!自分でやってくださいな。私は今日は可愛い姪っ子甥っ子達と遊ぶんです〜!」
「そうか。子ども達の事はオフィーリアに任せたよ。たっぷり可愛がってやってくれ。なんなら何人か養子にするか?確かそなたが匿っている子達がいたろ?」
「今日はその子達に会いに行くんです!お兄様がちゃんと父親の役目を果たさないから、私が代わりをするしか無いんですよ!いっその事本当に養子にしたいくらいだわ。」
「うむ、では手続きを進めよう。何人だったかな?」
私の嫌味にも堪えた様子も無く、しれっと言うので腹立ちを抑えながら告げる。
「十三人です。それに今日二人加わります。今回の側室達の諍い事で母親を失ったんです。」
「そうか、十五人分の手続きともなると骨が折れるな…やっぱり無しにしよう。」
「そもそも犬猫の子じゃないんですから、そうホイホイと渡されても困りますよ。」
「はは。それもそうだね。まあ冗談はそのくらいにしておいて、そろそろ本当に時間が無いね。急いで朝食をしに行こう。」
あーはいはい。急いでるから抱きかかえて運ぶのね。私もそれなりに筋力も体力もあるから、普通に走った方が速いと思うんだけど。降ろして貰ってる時間も惜しいから良い事にしよう。本当に困ったお兄様だ。