初心
「次は慈善訪問だから簡素な服に着替えてくるわね。…外で待っててくれる?」
あの時の約束は寝室に入らないという事だけだったから、任務に真面目なニコライはもしかしたら着替えの時もそばで監視と護衛をしたいと考えるかも…と思ったんだけどそれは杞憂だったみたい。紅くなって首をブンブンと勢い良く振ってくれた。
「…そういえば陛下は慈善訪問に行かれていた記憶が無いですね。」
多分独り言たったのだろう。ニコライは扉の前でごく小さな声でポツリと呟いた。
「お兄様はちょっとね…慈善訪問に行っても怖がらせるだけだから。目つきも怖いし、何より王位簒奪の時の話とかは民にも浸透しているからね。」
「聞こえてしまいましたか…ほんの僅かでも情報を漏らすなと陛下に叱られてしまいますね。」
「ふふ…お兄様の言いそうな事ね。…お待たせ、終わったわ。」
「では行きましょうか。」
そう言ってニコライが自然に手を差し出して来たので、軽く目を瞬きながらその手を取った。
相変わらずエスコートが上手で、女性慣れしてそうなのに、キスは下手。何かが引っ掛かってたんだけど、さっきの一件で分かった。彼はお兄様にそっくりなのだ。顔は兎も角行動が。お兄様がしそうな事はする。お兄様がやらない事は出来ない、と。
久しぶりに馬車で王宮から出て、王都を眺めるとやっぱり楽しい。どことなくニコライも嬉しそうだ。
「…そうだ!ねえ、ニコライ様と結婚して王宮を出たら私もお忍びができるかしら?私もお兄様のように民の暮らしを直に感じてみたいの!」
「……どうなのでしょうか?ですが、お望みとあらば陛下にお許しを頂けるように私もご協力致します。」
「あら、良いの?お忍びは護衛するのが大変なんでしょう?誰かが漏らしてるのを聞いた事があるわ。」
「ええ。ですが、私は殿下の願いを叶えて差し上げたいのです。ずっと王宮にばかりいると息が詰まるでしょう?」
――自分を偽って生きていると、寝る時くらいは無防備でいたいと思う――
確かこんな感じだったと思うけど…あの時言った事、気にしてくれてるのかな?しばらくじっと見つめていると、ニコライの優しげな瞳がこてんと傾げられた首の動きと共にブレた。
「…なんでもないの。ニコライ様、気遣ってくれてありがとう。」
訪問先ではニコライが大人気だった。孤児院では子どもたちの良き遊び相手になって、肩車と両手に子どもの合計三人を抱えてかけっこという離れ技も見せてくれた。養老院でも退役軍人施設でも歓迎された。こちらはお兄様から私を嫁に貰った事への感心が主だったけど。
私はというとせっかく公務で子どもと戯れられる機会だったのに!と少し拗ねていた。実は私を傷つけるとお兄様の怒りを買う。という理由で施設の大人からあまり近付かないよう言われているようなので、いつもとそう変わらないんだけどね。
「ニコライ様は子どもは好きかしら?」
「はい!…いえ。私は殿下に、その…子種を差し上げる事は出来ませんので…」
帰りの馬車でなんとなく聞いてみたら思わぬ回答が返って来た。思わず真っ赤になって必死に首を横に振る。
「ち、違うの!そんなつもりじゃ無いから!それも含めた政略結婚なんだから、ニコライ様が気にする必要は全く無いのよ?」
「…そうですか。それは、その、失礼しました。」
お互いに恥ずかしさからさらに紅くなって下を向いてしまった。お兄様が見てたら初心だと笑われるだろうな。