03/平和の終わり
俺がこのマレッダの世界に来てから今日で5日目。時刻は正午。空はこれ以上ないほど快晴で、海から吹きつける潮風がとても心地いい。
俺はリンドから、守護魔法習得のために指導を受けていた。経過は順調で、魔法を初めて扱う者なら、才能があって習得までに通常2週間~1ヶ月ほどかかる所を、俺は既にほぼ習得し切るところまで来ていた。
ここまで順調なのはかなり珍しいらしく、俺の中でお堅いイメージだったリンドも、俺の成長ぶりに思わず口角が上がるほどだった。
たぶん、ここまで順調なのは俺の中に流れている魔力が大賢者から分け与えられた物だからだろう。リンドや王様達はこの魔力はワープポイントの力の一端だと考えているようだが……。
それと、大気にマナと呼ばれる魔力が満ちているのが大きい。俺の世界とは違い、魔法が非常に発動させやすい。リンド曰く、ユウキの世界のようにマナがほぼ存在しない世界は珍しく、ユウキと戦った時、魔法が発動させづらく、本来の実力が出せなかったらしい。
そのことを話すリンドの顔が、どこか悲しそうな、哀れんでいるような気がしたが、すぐに守護魔法の指導が始まったため、なぜそんな顔をするのか、理由は聞けなかったが。
「盾よ!」
俺は超安易な呪文を口に出しつつ魔力を研ぎ澄まし、イメージを形作る。すると俺の周囲、球状に魔力の障壁が組みあがっていく。
これが守護魔法。魔法使いにとっては基本中の基本の呪文だが、その重要度は言うまでもない。
「よし。無事にコツは掴めたようだな、ユウキ」
リンドが俺に声をかける。
「うん。わかってしまえば簡単だね」
「そのわかってしまえばの領域に達するまでにかなり苦労する奴が多いんだがな」
「ユウキ。お前その感じだと守護魔法以外の魔法も使えるようになっているだろう」
リンドが指摘する。守護魔法発動のための守護のイメージを他の物に置き換えるだけで、様々な魔法が使えると言う。
「そうかな?じゃあやってみる」
両手を構え魔力を研ぎ澄ます。まずは……炎でも出してみるか。
「よし……炎よ!」
頭の中で炎が燃え盛る。近付くだけで肌が焼け付く。息を吸うと肺が焼ける。空気が赤く染まる。そんなイメージを思い浮かべる。
その瞬間、構えた両手の先から凄まじい勢いで赤い炎がほとばしる。目の前に可燃性の物があったなら一瞬で燃え盛っていただろう。
「うおあっ!」
しまった、威力が強すぎた。調整が難しいな……。
「素晴らしいな……ユウキ」
リンドがそう呟く。
「炎魔法は初めてか?初めてでその威力……。これがワープポイントを宿すものの魔法か……」
リンドの目が丸くなってる……。そんなに驚いたのか?
普段あまり見ないリンドの驚き顔をまじまじと見つめながら、ユウキは自分の中にある感情が芽生えたことに気が付いた。
「魔法って、楽しいんだな」
ユウキは無意識に、口に出していた。
「ん?……ああ、楽しいだろう。だがなユウキ。これだけは覚えておけ」
「……?」
「魔法は楽しい。その上とても便利なものだ。だが、扱い方を間違うと簡単に人を傷つける。それを忘れるんじゃないぞ」
無事、守護魔法を習得したユウキは、リンドと別れ、マレッダの街を散策していた。
街の大通りはかなりの賑わいで、そこかしこから笑い声や子供たちが街路を走る音が聞こえてくる。
大通りの中心には水路が通っており、人や荷物を乗せた小舟がせわしなく行き交っている。
俺の世界にもこんな感じの水上都市があったよな……ベネチア、だったっけ。写真とか動画では見たことあるけど、実際には行ったことないなぁ。
まあ、そもそもヒビヤ ユウキという人間はベネチアどころか日本国内から一歩も外に出たことがないのだけど。いつか俺の世界に戻る時が来たなら、一度行ってみようか。
そんなことを考えていると、後ろから何者かに服を引っ張られた。振り向くと、上目遣いでこちらを見つめる女の子が一人。なんだなんだ俺の世界なら事案だとかなんとか言われそうだぞおい。
「えーと……どうしたのかな?」
とりあえず女の子にそう聞く俺。迷子かなにかか……?
「おにいちゃん、神殿のひと?」
「神殿?」
ああ、そういえば今俺ジャージの上にリンドから貰ったローブを羽織ってるんだった。なら確かに市民からは今の俺は神殿の人に見えるだろう。
「ああ、まあ、そうだよ。どうしたんだい?」
「あれ、とって欲しいの」
女の子はそう言うと大通りから少し外れた道、その脇に流れる水路を指差す。
ユウキが水路を覗いてみると、水路の底にペンダントのような物が沈んでいた。
「あれのことかい?」
「うん。落としちゃったの。魔法でとれる?」
なるほど。水底のペンダントを魔法で取る……。マジックハンドのようなイメージを浮かべればいけるか?
「いや……」
そうだ、ここは大賢者の魔法を試してみよう。引き寄せ切ってしまうと壊してしまうが、この世界に来てから、あの魔法の制御もだいぶ出来るようになってきた。具体的にはただ引き寄せるだけでなく、引き寄せながら少し左右に動かすほか、引き寄せる物の加減速。
「よし、じゃあ少し下がっててね」
女の子にそう言うと、俺は魔力を右手のひらに集中させる。透き通った紫の球が出現し、それとペンダントを頭の中で、線でつなぎ合わせる。
するとペンダントはゆっくりと浮上し、水中から空中へと移動する。ユウキは慎重に、さらにゆっくりと空中のペンダントを引き寄せる。完全に引き寄せきってしまうとダメだ。ゆっくり……ゆっくり……。
やがて手で届く距離になったので、ユウキは左手でペンダントを掴み取る。同時に、魔法を解除する。
「ふう……。なんとかなった」
「うわー!すごい!おにいちゃん、ありがとー!」
女の子はユウキからペンダントを受け取ると、飛び跳ねながらユウキにお礼を言う。
「よかったよかった。ペンダント、大事にするんだよ」
「うん!ねえ、みてみて!このペンダントね、中に写真が入ってるんだよ!」
そう言って女の子は俺にペンダントの中の写真を見せてくる。そこには俺と同じローブを着た、30歳くらいの男性が、女の子と一緒に写っていた。
「この人は、お父さん?」
「うん!お父さんね、神殿ではたらいてるんだ!それで、なかなか帰れないからって、私と写真をとったの!お母さんにペンダントに入れてもらったんだ!」
異世界にも写真は存在するのか。カメラ、じゃなくて魔法で写真を撮るのだろうか。
女の子と会話をしていると、そこに女性が一人近づいてきた。
「あっ!お母さん!」
「あんた、ペンダントは取れたのかい……その人は?」
「えっとね、このお兄ちゃんがペンダントとってくれたの!」
「そうだったのかい!お兄さん、ありがとね。神殿の人かい?あんまり見ない顔だね」
「初めまして。最近所属することになったんですよ」
街を散策して感じていたが、どうやらワープポイントである俺のことは市民には公表していないらしい。一応軍事機密ということなのだろうか。まあこちらとしては散策しやすくて助かる。
「そうなのかい。見たところまだ若いのに立派なことだ。ペンダント、魔法で取ってくれたのかい?」
「ええまあ、はい」
「いいねえ。私はちょっとした火しか出せないから、神殿の人たちが少し羨ましいよ」
魔法が普通に使えるこの世界でも、魔法が不得意な人が存在する。この女性と同じような人は結構な数いるらしい。
「お母さん!私も将来、魔法使いになれるかな?」
「あっはっは!きっとなれるさ!あんたならね!」
「お兄ちゃんはどう思う?
「うん。お母さんの言うように、なれるよ。きっと」
思わず笑みが溢れるような微笑ましい光景。
この街には、こんな光景がそこかしこで溢れていた。
俺はいずれ、この世界から離れるつもりだ。その気持ちは変わらない。でも俺はこの数日で、こんな平和な光景で溢れるこの街が、少し好きになってしまったようだ。
──が。どの世界でも、平和が崩れ去るのはいつも一瞬だ。
「ん?なんだ?」
「神殿の方が少し騒がしいみたいだねぇ」
……胸騒ぎがする。神殿に戻ってみよう。何かがあったのかもしれない。
「俺、神殿に戻ってみます。二人共、それじゃ」
「うん!お兄ちゃん!またね!」
「気をつけてね、お兄さん」
二人と別れ街路を走るユウキ。神殿に近づくにつれ胸騒ぎはどんどん大きくなっていく。
神殿の守衛が中の様子を伺っているようだったので、ユウキは何があったのか確認する。
「中で何か!?」
「ああいや、わからない。ただ中が異常に騒がしい。悲鳴のような声も度々聞こえてくるんだ」
「わかりました!俺、行きます!」
そう言うのと同時に走り出すユウキ。とりあえず、マレッダの王様の元へ行ってみよう。……いや、騒ぎの中心は、もしかして王様がいる部屋か?
神殿の中庭を走りつつ、そんな考えが脳裏をよぎった瞬間。とてつもない爆発音が神殿を包み込んだ。同時に、神殿の壁や天井が広範囲に渡って崩壊、放射状に拡散する。
「あぶねえ!」
咄嗟に伏せて飛来する神殿だった物を回避するユウキ。間一髪、潰されることは避けることができた。
爆発音が完全に鳴り止み、神殿の崩壊が収まったので顔を上げ、周囲を見渡す。
目に映った光景は酷いものだった。街の景観と調和した美しい神殿は見る影もなく、その大部分が吹き飛んでいた。散乱する複数の瓦礫の下からは真っ赤な血が溢れ、ちょっとした水たまりの様だった。
そんな大量の血を見るのは初めてだったユウキは、いくつかの命がハエや蚊のように簡単に散ったことを理解できず、理解できぬまま這うように王様の元へと向かう。
「なんだ……なんなんだよ……」
理解できない。爆発音と崩落の衝撃で頭が機能していない。口の中を切ったのか、血の味がする。
なんでこんなことに。戦争か?どこかの異世界からこの世界に敵が攻めてきたのか?王様は、リンドは、女の子は、無事なのか。もしかして、俺のせいか?そうだ、俺が、ワープポイントだから。でも。
でも、俺の元に魔法使いはワープしてきていない。守護魔法は四六時中展開している。なら。
……なら、可能性が高いのはマレッダの神木だ。この神殿のどこかにある神木に、何者かがワープしてきたのだろう。
「神木……!どこだ……!」
敵がワープポイントである神木にワープしたのなら、神木は恐らく、この爆発の中心部だ……!
「急げ……!」
だんだんと頭が回るようになってきた。体制も立て直し、走れるようになった。なにが起こっているのか確認するために、急がねば。
道中でたくさん人が死んでいた。瓦礫に潰されたもの。壁に叩きつけられたもの。飛んできた何かの破片に体を貫かれたもの。今まで平凡に、平和に生きてきた俺の脳みそに、夥しい死の情報が叩きつけられる。
死の光景。死の匂い。死の音色。死の感触。死の味覚。
死体が、血の匂いが、辛うじて生きている者の呻き声が、血の水たまりを駆け抜ける足が、口の中に満ちる血の味が、俺の平和ボケしきった脳みそを揺さぶる。
吐きそうだ。でも、こうなった大元の原因はたぶん俺だから、走らなければ──…
──やがて、ユウキはマレッダの神木と思われる、神聖な雰囲気を醸す樹木の元へたどり着く。
「これ……は……」
ユウキの視界には、死体がいくつかと、生きている人間が三人。
一人はマレッダの王様。ほぼ無傷。一人はリンド。左腕から血を流している。
そして、竜の紋章があしらわれた、暗い青色のマントを身につける、途轍もない魔力を放つ男。
「おお、ユウキ、無事じゃったか!」
「王様、これは……」
「この魔力、貴様がワープポイントか。まさかこんな弱国に先を越されていたとはな」
男が口を開く。同時に、男が纏う魔力が少し強くなる。
「誰だ!お前は!」
構えるユウキ。状況からして、こいつがこの惨状を引き起こした張本人だろう。
「誰だ、だと?ハッ、なぜ私がお前らなんぞに名乗らなければならない?お前らのようなロクな魔法も扱えない弱者に!」
「なに……?」
男の態度はひどく傲慢で、こちらを見据えるその目からは強い殺意が感じ取れた。
「お主……その紋章、ドラコマズの者じゃな」
王様が男のマントにあしらわれた紋章を指しそう言った。
「ドラコマズ……?」
初めて耳にする単語だ。恐らく、あの男の異世界の名か……?
「フン、マレッダの王よ、弱者の分際で、我が偉大なる世界の名を口にするな。死ぬ事になるぞ」
「こんなふうにな!」
「!!!」
男の胸の前に魔力が集まる。圧縮された魔力は瞬時に、ウォーターカッターのように王に向けて発射される。
「王よ!」
瞬間、リンドが王の前に立ち、守護魔法を展開する。
が、男が放った魔力の弾丸は、リンドの守護魔法を容易に砕き、彼の右肩を貫いた。……いや、消し飛ばした。それにより分断された彼の右腕が宙を舞う。
更に、魔力の弾丸の勢いは衰えることなく、リンドの後ろにいたマレッダの王の首にも着弾。首の半分以上が吹き飛び、鮮血がほとばしる。
「リンド!王様!!」
ああ、目の前で、人が、何をしている俺は。二人を助けなければ。
「おまええええええ!!!」
「炎よ!!」
ユウキは男に向かって炎魔法を放つ。遠慮はいらない。全力で、燃えカスになるまで放ち続ける!
ユウキが放った炎は、初めて放った時よりも強大で、まさに会心の手応えだった。
「ワープポイントよ。この炎、貴様は見所があるな。素晴らしい!」
そう言うと男は魔法陣を展開し、ユウキの会心の一撃を軽々と防いでみせる。
「そんな、馬鹿な」
「さて、では作戦を最終段階に移すとしよう」
「な、に?」
「ワープポイント、貴様を利用して、この世界を終わらせる。さあ、来い」
そう言うと男は魔力によって暴風を生み出し、俺と男を包み込ませた。
俺と男は暴風によってどんどん上空へと上昇していく。崩落した神殿を超え、マレッダの街の全貌が見渡せるようになり、下にいる人々が蟻のように小さく見えるところまで上昇すると、そこで停止する。
「さて、ワープポイントよ。まずは貴様の守護魔法、剥がせてもらうぞ」
「させるか!」
俺は守護魔法を強化するのと同士に、炎の槍を作り出し男に向けてそれを突き立てる。しかし男はそれを軽々と躱すと、俺の守護魔法に直接触れ、大量の魔力を流し込んでくる!
「なんだ、これ!?」
「なかなかの硬さだが……相手が悪かったようだなぁ!」
脳内にガラスが割れるような音が鳴り響き、魔力の供給がストップし、守護魔法が解除されてしまう。
……それを見計らったように、俺の体の近くに、巨大な緑色の光を放つ魔法陣が出現。
「これは……ワープの……!?」
この魔法陣は、あの時大賢者が俺の部屋にワープしてきたときの魔法陣と同じものだ!
つまり、何かが、来る!
──魔法陣から出現したモノは、見た者に地獄の業火や巨人の拳を連想させるような、燃え盛る超巨大な大岩だった。
大岩は魔法陣から出現仕切ると、マレッダの街へ向けて落下を開始する。
──その光景はまさに、この世界の終わりを象徴するかのようなものだった。