とある未来の動物の生死問題
食事としてブタ、ウシ、ニワトリ、魚は生き物だ。
じゃあ、イノシシ、ウマ、キジ、クジラは生き物。
食用としていた時代を考えれば、自然の中、弱肉強食で頑張ってきた生き物。
殺していいのと殺しちゃダメなのはどんな違いがあるのだろう?
死んでしまえばどんな動物も同じく土にかえる。
ここの疑問点だけが永遠の謎だった。
「つまるところ、人間のエゴが勝手に生み出した幻想ってことだよ」
「そうだね。生きていきためにはって考えるとみんな動物を殺して肉を食べてるし!」
「ここで大事なのは“感謝”しかないとボクは思うよ」
「だね。ワタシもそれが大事だと思うよ!」
そう。利害のために動いているのは人間だけ。
自然界の厳しさを外から見ているのも人間だけ。
傲慢で最低といわれる所以。
だけど小説は、その傲慢さの上に立って楽しく、世界が広がっているというモノばかり。
「食の問題はいっぱいあるけど、どうにかして書くことができないかな?」
「難しいし、シビアだし、ぎりっぎりーなラインだよね~」
子供たちもみるし、どんなして工夫していくかが問題だ。
文句を言う感じは無いし。
世界のことは自分の妄想でも、規律があるし。
やりにくいとはこのことですね。
「でも新しい小説はこの食事のことをどこまでリヤルにするかによるんじゃない?」
「そうなんだよね」
「国民性だったり、自然環境だったり、はたまた害獣だったりって問題はいっぱいあるし」
「うーん」
狩猟も良し悪しあるし。
現代と過去のものでは全然その方法も違ってくる。
「もうちょっと考えてみるよ」
「ワタシはもう疲れた~。再現VRも大変だよ」
今はすべての動物は囲われて人間の手にすべてを委ねられた世界になってしまった。
虐待ではないような感じだが、どこか違和感を覚えられずにはいられない。
昔の概念の狩猟、食に関することでレポートを小説化しよう。
西暦三二五八年五月三〇日 ミニッター・ニオル