綺麗事
ついて出る言葉はいつも空っぽの重みの無い言葉だけ。その言葉の重さを知らないから。信じていないから。
それでも僕は外枠だけで出来た言葉を放つ。
「夢は叶わないから夢なんだ。届かないからこそ良いというものだと僕は思うな」
彼女は否定する。
「私はそうは思わない」
否定する彼女の唇は瑞々しく、夕日の光が反射して美しい。しかし僕が見とれるのは彼女の言葉のみ。
「夢は叶うからこその夢。願いは叶えるもの、かならず物事には結果が訪れるよ」
重みのある言葉。僕には放つことができない言葉の重みを彼女は口にする。
今日も僕と彼女は討論する。
「時に不破くん。」
僕こと"不破 静久"はまたも問いかけられる。彼女"天津 響子"さんは問いかける。
「君は"恋"をどう考える?」
春一番。揺れるカーテンに吹き込む桜の花弁。彼女の言葉は魔法のようにその景色を変えた。言葉に景色が彩りを与えているかのように。
「また難題なことを聞きますね。響子さん」
小さな部室。そこにあるは一つのテーブルと二つのイス。窓際にすわる響子さんとは対面に座る僕は問いに悩む。
「難しくなんかないさ。だって君はまだ高校生、青春の真っ只中じゃないか。恋の一つや二つはある筈だ」
「そういう決まり事みたいなことを言う時、響子さんって絶対自分を勘定に入れてないですよね」
僕はスマホゲームを片手に響子さんに釘をさす。響子さんは読んでいた本から目を離し、こちらをキョトンと見つめていた。
「私を一般的な高校生として扱ってくれるなんて、不破くん。君は私に好意でもあるのかい?」
「はぁ。あのですね響子さん」
僕はため息を一つつき、スマホから目を離す。響子さんの方を見ると真剣な眼差しでこちらを見つめている。目を逸らさず、ハッキリと述べる。
「僕は貴方が好きですよ。貴方の放つ「言葉」だけがね」
響子さんの容姿はまさに絶世の美女。その立ち振る舞いから気品の高さが伺える。名家の生まれという話もよく聞く。そんな響子さんでも僕は彼女自身は好きではない。しかし、彼女の言葉には魅力を感じている。
「ふふっ、君はやはり面白いな。そんな事をハッキリと言えるのは私の知る限り君だけだよ」
なぜか喜ぶ響子さん。言うまでもなく相当の変人だ。
「やはり君をこの部に入れたのは正解だった。私の人嫌いも君のおかげで幾らか好転しているよ」
「でしたら部室に一日中入り浸っていないで授業に出てください」
保健室登校ならぬ部室登校。学校から一目置かれている存在だが、同時に学校から距離を開けられている。先生たちがどう思っているかは知らないが、少なくとも生徒我々は彼女の存在を良くは思わない。
「我が"語学部"に今年も良い子が入ってくれれば良いのだが」
「無いですよ。こんな二人だけで何をしてるかも分からなく、なおかつ学校一の変人が居る部活なんて」
「君がその台詞を吐くのはおかしい気がするが」
全くその通りであり、なぜ僕はこの部活に入っているのか不思議に思う。きっと、遠くから眺めるだけでは満足できなかった。この人がどんな環境にいて、どんな心情であの美しい言葉の数々を作り出すのか興味が湧いた。と、自分では決めつけているが、実のところ不思議でしょうがない。
「では、話を戻そう。君は"恋"をどう考えるか聞かせてくれ」
時は響子さんを待ってくれることなく、部室の扉が開く。
現れたのは低身長の女性とこの学校の女生徒の二人。片方はよく見知った顔だった。
「天津さん、不破くん。こんにちはー」
「こんにちは。古井先生」
「先生。さっきぶりです」
古井 穂奈美。僕の担任教師で、この語学部の顧問。身長は137cm。小学生に見えるなんて本人には決して言ってはいけない。言った日にはガミガミと人を見た目で判断してはいけないという話を永遠と聞かされる。それはいい、だがその説教を身長137cmから言われる屈辱。過去に僕も経験したが、周りからの目線が気になって何を言われたか覚えていない。
「ところで古井先生。隣の女生徒は入部希望者ですか?」
「響子さん。食いつきすぎですよ」
さっきの話でむきになっているのか、響子さんの目は狩人のそれ。身を乗り出してるあたりかなりマジ。
「お姉ちゃん。なんかすごい期待されちゃって怖いんだけど」
「天津さん。妹が怖がっているので、もう少し感情を鎮めてください」
「妹?」
僕がポツリと呟く。それに呼応するように妹さんが頭を下げる。
「はい。古井穂奈美の妹の夢野春華です。よろしくお願いします」
「苗字が違うという事は何か事情がおありなのですね。ようこそ夢野さん、我が語学部へ。部長の天津響子です」
響子さんは立ち上がり丁寧にお辞儀を返す。
「こっちは二年生の不破くん」
「不破です。先生よりも大人びててどっちが姉なのかわかんなくなりますね」
僕も立ち上がり軽く頭を下げる。古井先生が「不破くん!」とプンスコしてるけどいつもの事。
「して、入部希望では無いのでしたら、何のご用で?」
響子さんはまだ諦めていないようで目をギラギラさせてる。夢野さんもそれが気になってかチラチラと響子さんの方を目を向ける。
僕の先ほどの悪態を古井先生は咳払いをして払い、僕の質問に答える。
「今日は校内の案内みたいなものです。私が顧問している部活を、ひいては貴方達二人を見てみたいと妹が言うので連れて来たのです」
響子さんは校内では有名人だ。もはや伝説の存在といっても良いかもしれない。反対に僕は特に目立つような事はしていない。だからか二人というのが少し引っかかる。
「ということで今日の放課後の部活動は妹の見学の元、行ってもらいます」
特に活動をしていない我が部を見学させるなんて。しかし、響子さんの目は輝く。新入部員獲得のチャンスですもんね。
「いえ、古井先生。夢野さんにも是非参加していただきたい。今回の議題はきっと夢野さんにこそ相応しい議題なのです」
茶髪で軽く化粧もしている女子高生。春真っ只中の恋多き乙女の参加により、今回の討論は加速しそうだ。何てったって今日の議題は"恋"について。変わらず桜は部室に舞い込む。
「では改めて今日の議題、"恋"とは何だ」
予備の椅子を引っ張り出して、テーブルには対局に4人が座る。
ホワイトボードの前に僕。窓側に響子さん。廊下側に古井先生。そしてロッカー側に夢野さん。
僕はホワイトボードに「本日の議題、恋とはなんだ」と書き出す。
「ずいぶん抽象的な議題ですね。貴方達らしいですけど」
古井先生は席に座っては居るものの、いつも裁定者の位置に居る。参加というよりは見学に近い。
「まあいつもこんな感じに身近な言葉の真意を突き詰めてくのが僕たちの活動。緊張せずに言いたいこと言ってね」
「は、はい!」
無理な話。夢野さんの対局には響子さんが座して居る。噂の人物を前に緊張するに決まってる。ましてや上級生二人。僕がフォローしなくては。
「よし、では不破くん。先陣を切ってくれ」
「いつも僕からですね。まあ良いですけど」
僕個人としては恋の経験は無い。しかし友人やネットで話にはよく聞いていた。そんな僕が思う恋とは。
「"気付き"ですかね。気づいてから意識するとそれはもう恋ではないと思います。だから気付いたその瞬間だけが恋で、そこから先は別の物だと思ってます」
恋をするとよく言うが、僕は恋をするものではなく、しているもの。過去形でしか成り立たない言葉だ。
「ふむ。では、不破くんは恋を一瞬で終わると言うのだね」
「終わるとは言ってないです。恋ではなくなるだけでその価値は続くものです。単純に気付くことが恋だって話です」
響子さんの問いに僕が答える。そう。なくなるのと終わるのとは違うのだ。
「では、私の思う恋とは。」
途端に柔らかな風が吹く。響子さんの言葉に世界は今造り替えようとしている。
「花だ。この季節で言うならば桜が良いかな」
途端に世界は桜に包まれる。始まった。
「恋は実るとよく言うだろ。あれは花や植物に例えている。そして実ると言う表現が咲くと言う表現ではないあたり、まだ蕾の段階にあることを言うのだろう。蕾、未熟というよりは成熟していない花のことだな。それは発展途上である気持ちを指す。それはこと恋愛に関しての発展途上。処女の気持ちこそ恋に近しい物だ」
語る。そしてその言葉一つ一つに世界は色を変え、彩りを与えていく。重み。いや、思いの深さが違う。僕の言葉は友達の話やネットで見た話をまとめ上げただけの作り物。対して響子さんの言葉は自分で始まり、自分で終わる。全てが創造された言葉。だからこそ世界は彼女に彩りを与える。格が違い過ぎる。だからこそ彼女の言葉に愛しさを感じる。
「と、私は考えるが。どうかな?」
口を出せる雰囲気では無くなっていた。だってまだ僕らは桜に包まれている。まだ彼女の世界に囚われているのだから。
しかし、突然の突風が吹いた。
「恋って、そんなに難しいことですか?」
春一番を吹かしたのは夢野さん。
「先輩方って恋をしたことないんですか?聞いてるとどうも固いというか、よくわかんないですけど」
「ふむ。すまない私はまだ経験が無くてな。不破くんは?」
「無いですよ。聞いた話からの転換です」
未経験同士からの言葉にきっと経験者である夢野さんは違和感を感じたのだろう。
世界はまたも色を変えようとしてる。今度は夢野春華の世界。
「恋って単純に好きってことですよね?その感情はいつまでも消えないし、どんどん更新されていきますよ。この人のこういう所が好きっていうのもドンドン増えていくわけじゃないですか。結婚したって、子供ができたって、その人の好きな所を見つけたら気付いたらそれはいつだって恋ですよ」
酷く稚拙で、固まった概念では無いが、納得できてしまう。それは彼女がそれほどまでに全力で恋をしたからなのだろうかと、思ってしまう。
「しかし、それでは恋とは何だという結論に至らないが?」
正解を求める。知識の化け物は世界を取り戻そうと切り返すが、どうやら恋の世界は夢野春華によって完全に支配された。
「いや、天津さん。結論は出てますよ。結論が出ないという結論が」
裁定者が定める。
「待ってください古井先生、それでは私は納得できない」
僕も理解は出来なかった。しかし納得はできてしまっていた。理解できないのは当たり前だ。
「響子さん。貴方が納得出来ないのは当たり前ですよ。だって恋をまだしていないんですから」
「そうですね。先生もこればっかりは経験して見なきゃ分からないことだと思います」
古井先生の言葉が降る。響子さんは悔しそうだ。でも、どこか嬉しそうな感じもする。
「そうか、私にはまだ理解も納得も出来ない。出来ないのは私が恋の経験がないからなのか。だからこそ聞きたい。夢野くん君は恋をしたのだね」
純粋な興味の眼差し。夢野さんは臆することなく告げる。
「はい!今も恋をしてます!」
純粋な返し。この世界の桜はまだ当分散ることは無さそうだ。
これにて終結。
白熱した部室はすでに熱を冷まし、それでも暖かい春の陽気が漂う。漂う空気に香る紅茶の匂いと甘い香り。討論後のティータイム。
「やはり、夢野くんに参加してもらって正解だったな。これで私も一つ目標が出来てしまった」
優雅にティーカップを置き、天津響子は達成感に浸っていた。何一つ達成などしてはいないが。
「目標とは?」
「恋をすることさ」
不破は桜餅を頬張りながら問うがさすが知識の化け物。しかし、恋とは落ちるもの。望んでいても得られるものではない。
「天津先輩がんばって」
夢野春華は小さく応援する。もうすでに彼女はこの部活に染まっている。
「先生も応援します」
古井穂奈美もまた小さく応援する。教師として天津が人と関わる事に喜びを感じていた。恋をするとは必然的に人と関わる。
「でも響子さん、恋は相手が居ないと出来ないですよ」
当たり前のことであり、天津にとっては最大の障害だろう。
「そうだね。では不破くん。私と恋をしよう」
「お断りします」
玉砕。とは言えるほど真剣味もない。しかし、不破の心情に一切の揺らぎはなかった。
それに対し、夢野は驚きを隠せないでいた。
「え、不破先輩断るんですか!?」
「当たり前だよ。こんな面倒な人と恋なんてしたくない」
不破の辛辣な言葉にやはり天津は微笑む。
「ふふっ、不破くん。やはり君は面白い男だ。興味が尽きないよ」
やはり変人だと不破は思う。
「さあ、今日の部活はここまでにしましょう。これじゃオヤツ部と勘違いされてしまいます」
古井の言葉で食器を片付け始める。そして、ホワイトボードの本日の議題を消す。消す直前の不破に夢野は話しかける。
「不破先輩って下の名前は何ていうんですか?」
不破はホワイトボードの文字を消す前に答える。
「静久。不破静久」
「そうですか。静久先輩ですね。これからよろしくお願いします」
これからということは入部するという事なのかと思った。そしてふとホワイトボードの恋の文字に目が止まる。
一瞬、そういう意味でのこれからなのかと思ったが、気にしすぎだと思い恋の文字を消す。
恋を消しても不破の心には決して消えない物が残っていた。
「では帰ろうか。また楽しい討論をしよう」
みんな揃って部室を後にする。
天津響子は目標を志し。
古井穂奈美は生徒の成長を願い。
不破静久は胸のモヤモヤに悩み。
夢野春華は恋の実りを信じ。
それぞれの思いを持ちながら。物語はここで終結する。
なぜならこの先は彼らのそれぞれの物語になるからである。