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カフェ★ハニー&ベア

カフェ★ハニー&ベア2

作者: かちゃ

「ふあー、暇ッス」


 思わず、アクビが出た。


 俺は、佐倉満咲(まさき)っていいます。


 22才の男です。


 俺の名前はめちゃくちゃ春っぽいですが、季節は6月で、梅雨のまっただ中です。 


 今は、バイト先のカフェにいます。うちの店は山のハイキングコースの途中にあるんで、今日みたいな雨の日は誰も来なくて、開店休業みたいな感じですね。


 すっげー暇なんで店中の掃除しまくりましたけど、もうやることなくなりました。


 お客さんが来そうにないし、あれもやっちゃおうかな。俺は、粘着シートのコロコロを手に持った。


「マスター。コロコロでマッサージしません?」


「グオッ?」


 俺が声をかけたら、客席のソファに寝そべってた黒い塊が振り向いた。


 マスター、居眠りしてたみたいですね。


 寝起きだから、返事が熊の鳴き声になってますよ。


 じつは、うちの店のマスターは熊でして。


 見た目が熊っぽいとかいうたとえじゃなくて、動物の熊が、カフェのソファにごろんと寝そべってます。


 熊っていうと、ヒグマみたいなでっかくて怖いやつを想像しちゃいますけど、マスターはマレーグマっていう小型の熊なんです。体長は150cmくらい。俺よりずっと小さいです。


 ちなみに、マスターが熊の声で鳴くのは、気を抜いたり何かに夢中になってるときだけで、いつもは人語をしゃべります。


 熊が人語をしゃべってカフェのマスターをやってるなんて、童話かアニメみたいですよね。でも現実ですよ。

 

 店の売り上げから日給6,650円を手渡しでもらってまして、俺はその金で生活してます。

 ただ、ボーナスは現金じゃなくて、マスターが収穫してきたハチミツの現物支給でした。それも、蜜蝋がついたままの塊を手渡しで! ボーナスの半分くらいが俺のシャツの袖に垂れてベトベトになりましたけどね。


 マスターはハチミツが大好物なんで、マスターのつもりとしては最大級のごほうびだったんでしょう。


 そんな風に、行動がちょくちょく熊寄りになるマスターですが、基本いい人……いや、いい熊です。


 でも、お客さんはマスターがいい熊だとは知らないし、姿を見ただけで怖がっちゃうでしょうね。だから、マスターは普段ホールに出ないんです。いつもはキッチンに隠れてますけど、今日は暇すぎるんで、特別に客席のソファでくつろいでます。


「サクラくん、さっきは何て言ったのかな」


 マスターが俺に訊き返す。


「コロコロです。掃除するやつ。これで全身コロコロしませんか?」


 マスター、これで全身マッサージするのが好きらしい。


 粘着シートをベリッと剥がすとき、妙にすっきりするんですって。痛くないらしいですよ。人間で言うと、鼻の角栓を取るパックのような感覚なんでしょうかね。


 マスターは全身にビロードみたいな短い毛が生えてますんで、その抜け毛も取れる。これをやっとけば、マスターの毛が床に落ちたりしないし掃除の手間もはぶけます。


「そりゃいいねえ」


 マスターは、ソファの上で寝返りを打つ。


 腹がポヨンと波打ちました。


「どっからでも、好きにやってくれぃ!」


 短い手足を放り出したマスターは、酔っぱらいのおっさんにしか見えません。


 マスターの歳は47だから、ガチのおっさんですけどね。


「じゃあ、首回りから順番にいきますよ」


 俺は、コロコロを構えた。


 マスターは首の下に薄茶色のぶち模様があって、大きいハートみたいな形をしてます。そのあたりから腹へ向かって、勢いよくコロコロを転がします。


 ベリベリと大きな音がして、粘着シートに毛がむしられてますけど、本当に痛くないんでしょうか?


「そこそこ! ヴーーーーーッ」


 マスター、温泉につかったときのおっさんみたいな声が出てます。


 痛くないようですね。


 それなら、脇の下とかは? くすぐったくないのかな。


「そこ最高! ヴーーーーーッ」


 マスター、身体がびよーんと伸びました。


 いけるみたいです。


 次は、ポヨポヨの腹を攻めるぞ!


「ヴーーーーーッたまらん」


 マスター……よだれが。


 気持ちいいんですかね?



「マスター、コロコロかけ終わりました」


 俺はコロコロを片付けました。


 マスターは、茶色の革張りソファに座った状態です。


 背もたれによりかかって、ぼーっとしてます。


 外は、しとしと雨が降り続いてます。


「ヴーッ、極楽だったねえ」 


 マスターは、温泉から出たあとみたいにだらーんと脱力してます。


「サクラくんは、コロコロやらなくていいの?」


 マスターは不思議そうに訊いてきます。


「うーん、俺は粘着シートに腕毛がくっついちゃうとベリベリ剥がすときが拷問並みに痛いんで、無理ッスわ」


「そうか。僕はかゆいのが取れてすっきりするんだけどなあ」


 マスターは残念そうに言います。


「そうだよねえ。人間の皮は薄くて傷つきやすいんだ。僕とは違って」


 それから急に元気がなくなりました。


「僕もお返しにマッサージしてあげたいけど、力加減がむずかしいんだよ」


 マスターは、眉間にしわをよせて悲しそうな顔をしてる。


「赤ちゃん熊だった頃にねえ、僕はよく覚えてないんだけど、うちへ遊びに来た親戚の子とじゃれあってて流血騒ぎになっちゃったみたいなんだ」


「流血!?」


「そう。僕は、ちょっと小突いたつもりだったんだろうけどねえ。爪の先っぽが、親戚の子の手のひらにプスッと刺さっちゃったらしくて」


「うーん……それは痛いッスね」


 それ以上コメントしようがなかった。


 俺は人間なんで、共感するのは難しい。


 そっけなくしたいんじゃないです。けど、どうなぐさめていいのか俺にはわかりません。

 

「親戚の子の怪我は大したことなかったらしいね。でも、物心ついたときからよその子と遊んだことがないねえ。“ 友達 “は欲しいけど、熊は“ 獰猛(どうもう)だし ”無理だよな。ぼっち街道まっしぐらに走ってきたぜぃ! 熊だけに、はぁ熊った、クマった、困った~なんてな。テヘへ」


 マスターは、グワッと口を開けて舌を出す。


 もしかして……テヘペロをやってるつもりでしょうか? こっ、怖いんで……舌をベローンと垂らすのやめてもらえませんか?


 マスターの舌はめちゃくちゃ長いから、口から靴べらをオエーッと吐き出したみたいな状態ですよ。


 ついでに、ダジャレもつまんなくて滑ってます。


 どっ、どうしよう。この空気。


 マスターは無理やり明るく振る舞おうとして、余計に痛々しいことになってます。これって、覚えてないようなフリをして話してるだけで、本当はマスターにとって忘れられない幼少期のトラウマなんじゃないでしょうか。


 親戚の子の怪我はすぐ治ったでしょうけど、マスターの心には鋭い爪が刺さったままみたいです。『そんなの気にするほどのことじゃないッス』なんて流せる空気じゃない。俺はどう慰めたらいいのかな。


「そんなことがあったせいで、僕の両親はカフェを作ったんだよ」


 マスターがしゃべってくれたんで、俺はほっとしました。


 ちなみに、マスターのご両親は熊じゃなくて人間です。


 先月までマスターのご両親が店をやられてましたけど、高齢で腰を痛めちゃったんで毎日カフェに出るのは無理になってしまって。それで、代わりにキッチン補助スタッフ兼ホール係として雇われたのが俺です。

 ご両親はカフェの裏にあるお宅に住んでらっしゃるんで、経理のこととか保健所のチェックが来るときの対応とか難しいことはお任せしてます。


「マスターのために、店をやってたってことですか?」


「まさか、熊の姿で生まれてきちゃった子を、人間の子たちと同じ幼稚園や小学校に行かせるわけにいかないからねえ。僕は毎日カフェのキッチンに隠れて、お客さんをこっそり観察してた。おかげで、友達いないぼっちのひきこもりでも退屈しなかったよ」


 ご両親はマスターに外の世界を見せたくて、カフェを作ったんですね。


 それはそうと、マスター素直じゃないッスよ! 何やかんや言っても、結局は友達が欲しいんじゃないんですか。


「マスター。今日はお客さんいなくて暇だし、コーヒー淹れてしゃべりませんか?」


 俺は、マスターを誘ってみた。


「えっ? ああ……いいねえ」


 マスターの眉間のしわが消えました。


 空気を変えたいときは、コーヒー飲むのがいいですよね。


「粗挽きの豆で淹れたいし、マスターの手挽きでお願いします」


 マスターが手挽きした豆で淹れるコーヒーは、旨いッス。


 いつもまかないで飲ませてもらってます。


 お客さんに出すコーヒーの豆は、手挽きじゃなくて電動のミルで細かくするんです。


「キッチンへ行こうかねえ」


 マスターはのっそりと立ち上がります。


 手挽きといっても、レバーをくるくる回すタイプの手挽きミルは使わないんですよね。


 じゃあ、硬いコーヒー豆をどうやって砕くのかというと……マスターの熊パンチなんです。


 カフェのキッチンで、俺は丈夫な麻のきんちゃく袋にコーヒー豆を入れて、頑丈な台の上へセットしました。


「マスター、お願いします」


「ガルルル……グオーッ!」


 マスターが、電光石火の一撃を麻袋へおみまいします。


 麻袋の中でコーヒー豆が粉々になって、ちょうどザラメぐらいのサイズになりました。


 力任せでぐしゃぐしゃに砕くんじゃなくて、粉のサイズをだいたいそろえるには、絶妙な力加減がいるんですって。爪でぐりっと押しつぶすらしいんですが。


 熊の吠え声とグワッと開けた口が怖いけど、緊張感がみなぎる一瞬は居合(いあ)いの達人みたいで意外にカッコいい。職人の仕事って感じですね。


「でも、マスター。手挽きの力加減はどうやって編み出したんですか?」


 俺は訊いてみた。


「それはねえ。子熊だった頃に、キッチンに閉じこもってるのが嫌で、いたずらしたんだよ。コーヒー豆がちょっとだけ残ってた麻袋をボコボコ殴ってやつあたりして」


 コーヒー豆に暴行……。病んでますね。


 幼少期のマスター、じつはけっこうストレス溜まってたんでしょうか。


「砕けた豆がもったいないからって、父さんがコーヒーを淹れて飲んでみたんだ。それが意外と悪くなかったんで、頼まれるたびにやってたよ。僕が成長して力が強くなり過ぎちゃったらそのたびに叩く強さを加減して、今の感じに落ち着いたんだよねえ」


 マスターの病みとそのあとの試行錯誤が、おいしいコーヒーを生んだんですね。


 粗挽きのコーヒー豆は、じっくり水出しにするのがおいしいんだそうです。


 淹れるのに2時間かかりますけど、今日は暇だからいいッスよね。



 ぽつん


 ぽつん


 コーヒー液が、ガラス製のサーバーへ落ちていきます。


 水出し用のコーヒーメーカーは縦に3段階になってまして、いちばん上に透明な水の入ったタンク、まん中にコーヒー豆の入ったロート。いちばん下でコーヒー液を受けるのがサーバーです。


 小型の器具なんで、客席のテーブルに置いてコーヒーを淹れてます。


 サーバーに、9割ぐらいの液が溜まってきました。


 カフェの外では、雨が小降りになってます。


 もう夕方近いんで、山を歩くお客さんは来ないでしょう。


 もしお客さんが来ても、このソファ席は奥まっててカフェの入り口からは見えないんで大丈夫ッス。


 マスターはソファに寝そべってて、俺はその向かいに座ってます。


「マスター。俺、思ったんですけど」


 コーヒー液の粒を眺めてるうちに、俺はいいこと考えつきました。 


「……ガオッ?」


 マスター、また居眠りしてたんですね。


 返事が熊の鳴き声ですよ。


「マスターの粗挽きコーヒー、お客さんにも出してみませんか?」


「ガアッ! ええっ?」


 マスターが飛び起きました。


 びっくりしすぎて舌が出ちゃってます。


 あっけにとられた顔で、長い舌をベローンと垂らしてるマスター。


 そんなに驚くようなことですか?


「これから暑くなるし、アイスコーヒーが売れると思うんです。作り置きして冷蔵庫に入れておけばすぐ出せますし、どうッスか?」


「でも、お客さんに出すのはねえ。だって、お金を出してもらうんだよ?」


「俺はマスターの挽いたコーヒー好きッス。専門的なことはわかんないですけど、電動のミルで挽いたのと味が違うのは、俺みたいな初心者カフェスタッフでもわかります」


「そ、そうかねえ?」


「マスターの、ごつい爪のついた熊の手じゃないと出せない味が、たぶんあるんですよ。お客さんに出しても、おいしいって喜ばれると思います」


「この爪で、喜ばれる……」


 マスターは眉間にしわをよせて、前足を見つめてます。


「悩むよりとにかくやってみましょうよ。お客さんの反応見て、よかったら続ければいいし」


「うーん。お金をもらうとなると、緊張するねえ。うまく挽けるかなあ」


「もう! マスター心配しすぎですって。俺に飲ませるコーヒーを挽くときと同じように、いつもの感じでやればいいんです。そしたら間違いなく旨いですから」


 俺がマスターを説得してる間に、ドリップが終わりました。


「アイスで飲むんだったら、氷を取ってきますね」


 俺は、キッチンへ行こうとしました。


「ちょっと待って、サクラくん。そのコーヒー、僕たち2人分よりも多いよね。もしもお客さんが来たら、出してみる?」


 ちっちゃな目が、キラキラ光ってます。


 マスター、やる気のスイッチ入りましたね? 


「マスター! それがいいッスよ」


 俺が返事をした、そのときです。


 ――カラン、カラン


 カフェのドアベルの音が……。えっ? 嘘みたいにタイミングよくお客さんが来ましたよ。


「マスター、キッチンでスタンバイお願いします」


 俺はマスターに言った。


 カフェに熊が寝そべってたら、お客さんはコーヒー飲むどころじゃなく驚いて逃げちゃいますからね。マスターがキッチンへ隠れるまで、俺が入り口でお客さんを引き留めなきゃ。 


「いらっしゃいませ!」


 俺は入り口へ急ぎます。


 マスターが手挽きした豆で淹れるコーヒー、お客さんが気に入ってくれるといいですね。いや、きっと気に入ってくれます。マスターが挽いた豆を俺がドリップして、バディを組んでおいしく淹れたんですから!

【7/31 修正しました】


 熊とバイト男子だけでカフェを経営する設定に無理があるとアドバイスをいただき、マスターの両親(人間)の手助けがあることを書き加えました。

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