*ヘタレと男前
__その国は王宮がある"ヴェルメリオ"という大きな町を中心に、いくつかの町と小さな村の集まりで出来ている。
ヴェルメリオ区域内の端にある森。
その森のずっと奥。ヴェルメリオに住んでいる人でも、森によく出入りする狩人達でさえも突き止めることは出来ない場所があった。噂では魔女が住んでるだとか、王族の血縁者、吸血鬼、人ならざるものの隠れ家等……いろいろ言われているが。その場所は、
__レイベル屋敷。
日は暮れ始め、紫とオレンジのグラデーションに辺りが包まれている時間帯。
「こらああぁ!かかってこいやああ」
そんな屋敷から森へと響く声は、女の子にしては低く、といっても男の子にしては高めな。大声で叫んでいるのに耳障りにならないその中世的な声には、戦士が戦いに行く時のような空気を震わす威圧感を持っていた。
正しくは屋敷の中庭から発せられた声。
中庭の短く刈られた芝生の上で対峙する二人組。それを囲うように中庭には木の苗と、多種多様な花が植えられていた。
「ボケっとすんなああぁ男だろうが!」
再び発せられた声の主は。
__腰まで伸びている黒髪をうなじの上で紐で一つに括っている人。一見、執事のように黒の服を纏ったこの人を男と見間違いそうになるだろう。
だが、無造作に切られた前髪から覗くその顔は幼さを残しつつも、ヴェルメリオにいれば町一番と謳われていたであろう女性の顔をしていた。
「ベル……!も、もう、ギブ……」
相手は額に汗を滲ませて、腰を抜かしたらしい、地べたに尻をつけ黒髪の人を仰ぎ見る。
“ベル”とは、この屋敷に仕えている黒髪の女の名前。
ベルは手に持つ棒切れを肩に掛け、ニヤリと口角を上げては腰を抜かした相手を見下ろして言う。
「そっちは剣を持ってるってのに。武術は向いてないんじゃないか?レイス」
ベルが見下ろす相手は__この屋敷の主である白髪の男。土や葉っぱで汚れたシャツを着ているこの主の名前は“レイス”。
ベルよりも歳上ながら、ベルにそう感じさせないのはふいに見せる無邪気な表情と感情を隠そうとはしない話し口調。
「いや……レイスが強い、のと、剣って重いから」
ベルに腕を掴まれ、支えてもらいながら立つと肩を落として苦笑した。ベルとレイスの身長差はあまりない。微かにレイスの方が高いが、元々細身である上に食が細いレイスは女のベルよりもか弱く見える。
ベルは疲れ切ったように肩を落としているレイスを軽々と横抱きにすると、レイスに目を向けた。
「私は誰かさんを守りたい為に強くなったんだよ」
不意の言葉に目を見開いたのは横抱きにされたことに驚き固まって微動だにしなかった男。目を見開いたままだったが徐々に顔は沸騰したように赤くなっていく。その様子に満足したように目を細めたベルは、レイスを抱えたまま屋敷へと戻っていった。
「……ベルに敵う気がしないや」
テーブルに顔を突っ伏してボソッと嘆いた白髪をベルは軽く撫でた。
さっきまでやっていたのは護身術の練習。それは毎日昼後から今の時間までやるのが日課になっていた。ベルは棒切れを、レイスは本物の剣を持って毎日対峙するのだが、レイスは剣を鞘から出したことがない。
「だから鞘から抜いて、本気でこいって」
「剣だからって、ベルに勝てる訳ではないけど……危ないじゃん」
この屋敷でかれこれ十数年は、ベルとレイスの二人暮らしだ。客人が来ることもあるし、こちらから森を出て町へ行くこともある。だがそのたびに髪の色で注目を集めてしまうのであまり好まないのだ。
この屋敷に訪れる客人とは互いの友人だったり、きょうだいであったり……王宮からの使いだったり。
ベルは、沸かしたお湯をティーパックが入っているカップに注ぐ。その匂いに顔を上げたレイスは立ち上がり、部屋の戸棚に隠していたクッキーを取り出してはまた席についた。
ベルもレイスの向かいの席につき、ティーカップを右手で持ち上げたその時。
__ ウォーーン
外から響く吠え声に二人揃って首を傾げた。
……犬?