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吹雪

 吹き荒れる吹雪の中を、一人の少女が歩いていた。

 皮のコートに身を包み、深くフードを被っているせいで顔は分からない。背中にはその身体に不釣り合いな、これまた皮製の厚い鞄を背負っていた。手にしているランタンには火は灯っておらず、流れ出したオイルが凍りついている。


「相棒……現在地を解析してください。 ここが動物界か、植物界か……別界か、まだ確認できません。 居たら返事をして……お願いします」


 くぐもった声で少女が呟いた。

 あたりには誰もいなかった。いたとしても姿は見えなかった。それどころか木や、村や、そういったものは全て吹雪に掻き消えてしまって、少女は今自分が何処にいるのかすら分からない状態だった。

 少女が耳元の機械を指でカチカチと鳴らした。それが凍っていると分かると、ひどく肩を落としその場に崩れてしまった。


「疲れた……」


 声は吹雪に阻まれた。少女は瞼を伏せ、凍りついたまつ毛を撫でた。鞄をずらし、そこへ頭を乗せてしまうと、あとは睡魔との戦いだった。

 白く何もない世界で、少女はふいに悲しくなった。だがなぜそう感じるのか、それは本人にも分からなかった。例えばここが村や街、あるいは暖かい部屋の中だったとしても、少女は悲しみに暮れたに違いなかった。それは少女の心に巣食い、確実に蝕むものだったのだ。それは孤立感に似ていた。

 寒さと飢えで気絶しそうになりながらも、頭をなんとか働かせ、少女はこれからどうすべきかを考えた。そして、今のこの現状に至る要因ともなった先日の出来事へと、思考を巡らせた。


「ナンバー011、君は界制について知っているかい?」


 少女は、普段ならば幻滅に会うことすらない派遣隊長に、その日部屋に呼ばれた。

 室内に入り、そしておよびですか、と言うと帰ってきた返事がそれだった。

 少女はこの日自分が呼ばれた理由を知っていた。そして上司の言う、界制との関係も。

 赤い絨毯が敷かれた広々とした空間で、少女はちらりと下を見た。深く生い茂る絨毯の中に、足が沈みこんでしまいそうだった。もどかしい思いをしながらも、少女は直ぐに顔を上げ、大きな声で返事をした。


「はい、界制について知っています。 サー」


「それはなにより」

 男は脂ののった顔に、満足げな笑みを浮かべた。

「もちろん私は、君がエレメンタリースクールで界制について習ったことは知っている。 しかし我が優秀な部下の一部に愚か者がいることは否定できん…一から説明をこう愚か者がな。 いやこれは冗談だ。 そんな顔をするな。

 ともかくだ、君がそうで無いことは私が知っている。 君が優秀である事はよくパートナーから聞いているよ」


「いえ……サー、私のパートナーは……」


 私が不出来だと、と言おうとした所で、男が大きく咳払いをした。少女は口をつぐみ、いよいよ自分の足元を見つめなければならなくなった。

 男は少女のそれには気付かず、あるいは気付いていたとしても無視をして、部屋を往復した。それから少し考えるような素振りを見せ、話を続けた。


「いやはや、なにはともあれ、君のパートナー……彼女の言う''並''とは、一般隊員よりも優れていることを指す。 組んだばかりでこの評価なら充分だ。 君はもう少し誇りに思うべきだ。

 先ほど私が呼んだ名を覚えているね?」


「はい。……ナンバー011と」


「そうだ。……君には本部部隊が開発したポータルから、別界へと飛んでもらう。

 これから君はそのナンバーと共に与えられたコードをパートナーに送り、連絡を取り合いなさい。 ミッションは彼女を通して伝えよう。

 まあなんだね、別界とは実に厄介で……我々の世界とは全く異なるが、密接に隣り合う存在でもある。 どこへ飛ばされるかは飛ばされてからでないと分からない。 我々はこれをパラレルワールドと呼んだ。 そして君は俗に言う''神隠し''状態になるわけだ」


 実に名誉なことだ。男は笑って言った。

 神隠しとは古くから人々に言い伝えられる厄介な現象だった。望む者があれば神が気まぐれで別世界にその存在を取り込み、その人間は人間界で誰かに必要とされているか、あるいは危険を承知で助け出しにでも来て貰わなければ二度と帰って来ることが出来ない。''神隠し''という名は、かつて神によって別界に取り込まれたとも伝えられる動物を初めとする植物、菌類などの大規模消滅に由来した。

 人間界より別界へ通じるポータルも、ポータルの向こう側に派遣隊員がいなければけして開かない。ごく稀に飛ばされた先が異界────未だ未知の世界であったという事もある。それはポータルを通る時に、神が異界の扉をノックしたと受け止めてしまった場合だ。

 また、パートナーを持つということは、ミッションを連携して行う為というのもあるが、人間界に必要としている人間がいるという証拠になった。

 少女はパートナーとはまだ一度しか会ったことがなかった。利発そうな瞳に冷ややかな感情を含ませたその女性は、少女を見て一言暴言を吐き捨てただけだった。

 例え別界から通信を繋げても、いざという時にパートナーが応答する確証はない。生きて人間界に戻れる保証も無かった。しかし少女はけしてこの男に不満を言わなかった。


「君達のような部下を持てればこそ人類を救う一歩を踏み出せる。多少難儀なことも有るかもしれないが、別界での身の安全は保証しよう。いざとなれば頼れるパートナーもいることだからな」


「……はい、そのようですね」


「それと、くれぐれも訓練の通りに。別界へ入ったばかりの頃は通信が乱れることだろう。その際人外に出会った時には、冷静な対応を取りなさい」


「承知しております」


「それは結構」


 少女は手を握りしめて、喉まで出かかった言葉を飲み下した。ここで男の機嫌を損ねることだけは有ってはならなかった。少女はリスクの反面大きな期待も背負っていたのだ。

 実際に別界への調査へ向かえる人間は歴史の中でも数える程しかおらず、人間は未だ幾つの別界があるのかすら掴めていない。動物達の消滅により生態ピラミッドは大きく崩れ、人間達は多大な被害を被った。

 別界での調査・食物ルートの確保は飢えた人類に貢献するその最たるもので、このミッションを受けること自体が名誉なことだった。ミッションやパートナーへの不満を言ったところで、だからなんだ、行かせて貰えるだけで有難く思えと言われるのが現状だった。

 少女は今日、自分が呼ばれた理由を知っていた。あるいは、数日前突然パートナーが与えられた理由を。

 少女が選ばれた理由、それは少女が優秀であるからでは無かった。ただ神隠しに''適した''人間だったのだ。

 人間の為に働けることを光栄に思いながらも、少女は頭の何処かで、自分の心が酷く冷えていることに気付いた。


「ではこのミッション、受けてくれるね」

 男の声に、少女はほぼ条件反射で応えた。

「もちろんです、サー」



 吹雪はついに小さな身体を覆いつくし、少女の瞼は凍えて開かなくなっていた。

 少女は、自分の身体の節々がすっかり冷たくなっているのを脳裏で理解したが、それをどうにかしようとする気力はすでに持ち合わせていなかった。

 少女は薄れゆく視界の中で、小さく零した。


「……寒い」

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