さよなら、世界
目を開けると見慣れた天井が見えた。その木目は見つめる程に吸い込まれそうに渦巻いていた。
■さよなら、世界
身体がだるい。寝返りを打つと、シーツが直接素肌に擦れた。昨夜何も纏わないままに眠ってしまったことに気づいた。窓辺に目をやると、カーテンは遮光らしく力強く日光の侵入を防いではいるが、それでも風で揺れることで外の光が白いシーツに影を描いている。そのことによって今日は快晴らしいことに気づき私は舌打ちをした。私は晴れている日が苦手なのだ。吐き気がするほどに。
割合近い所を行く飛行機のエンジン音が響き、窓の外には蝉の声。その煩くも規則正しい音に耳を傾けていると、再び睡魔が私の身体を覆い尽くさんばかりに襲った。私はまるで快晴の一日を拒否するかのように、その波に素直に従うことにした。
「起きろ」
どのくらいの時が経っただろう、無遠慮な声に嫌々ながら目を覚ます。部屋の主が、まるで世界中の気だるさを一身に背負っているとでも言いたげな態度で煙草を吸っている。部屋に匂いが付くから外で吸えと昨日言ったのは何処の誰だったか。
わずかだが蝉の声と陽射しが強くなったような気がする。不快感が増す。幸い部屋の中はまだ涼しいが、太陽の容赦ない陽射しがアスファルトで放射してこれ以上ないほどまでに暖められた外の空気は、カーテンを揺らして中の空気と入れ替わり始めている。今さらながら何故エアコンを付けているのにもかかわらず窓を開けているのか。働かない重たい頭で家人の行動を不思議に思った。
起き上がらなければ。 私はぬるい枕に頭を押し当てた。無意識に貴重なシーツの冷たい部分を探す。
起き上がらなければ。起き上がらなければ 。身体が汗ばみ始めている。しかし、私はまだ枕に額を押し当てたままだ。まるで頭の中に何かしらの異物でも入っているような気分だ。
起き上がらなければ。 起き上がらなければ。
なんとか不健康なまでにか細い両腕を使い身を起こす。 真っ黒な細い髪が流れるように付いてきた。 頭の中の異物が逆流する。 私は体を強張らせ、シーツに爪を立てた。
私の衣類はベッドの脇に廃棄物のようにまとめられていた。それらを私も、持てるありったけの気だるさを放ちながら身に纏っていく。この瞬間が何より嫌いなのだ。
そうしながら昨日のことを思い出していく。この部屋の主である彼と寝たのは間違いないだろう。それに付随するにしては強すぎるだるさや働かない頭は何なのだろう。考えて部屋のゴミ箱を見て、ただでさえ不快感に悩まされていたところに加えて一瞬にして死にたくなった。そこには大量の空の薬剤シート。これが原因で間違いない。また過量服薬してしまった。自己嫌悪でまたも自分を殺してしまいたくなる。
そんな行動をとる時はたまらなく厭なことがあった後。昨日は彼と寝たことだろう。
過量服薬の翌日、頭は働かなく異常に重く、二日酔いとはまた違う嫌悪感が襲う。また、その度に自分を構成する大切なものが抜け落ちる感覚がする。
それでも、何度嫌悪したところで、結局繰り返すのだ。自分自身の現実を否定したくて薬、そしてこんな私でも、いや、だからこそまた人間の生温さを求めて男。そして嫌悪感から薬。このとてつもない悪循環の無限ループ。酒でも薬でも男でも私を救えない。救われようともしない。永遠に祝福されることもない非生産的な行為。
ここは世界の最果ての穴だ。真っ暗でじめじめした絶望の底で呼吸だけが続いていく。地上の光は一筋とて届かない。ここにあるのは最低限の酸素と薬と男。
そんな私でも、“欲しい”と思った男がいた。初めて心から、欲しい、欲しい、と思った。それはまるで生まれたての赤ん坊が初めての世界に触れる時のように輝かしい日々だった。しかしその男が私の手に入る、そんな日がくることは絶対に叶わぬと初めから解っていた。彼は彼の飛びたい時に飛びたい所へ飛び立っていく。何にも縛られることなき自由人。言うなれば根無し草。そしてついぞ逢うことも叶わなくなった。
私だって満たされたい。出来ることなら満たされたい。しかし人の目に触れることも憚られるまで汚れきった私には、今の、何も産み出さず、どころか、自分を少しずつ消耗していく生活がふさわしいのだ。
なぜならあの男は手に入らないのだから。自分に幾度も言い聞かせる。手に入らないのだから。それならばどの男もすべて同じだと思える日まで。繰り返すのだ。繰り返せ。たったひとりの男のことなど。けして考えるな。けして。
煙草を吸おうとして、やはり「外で吸え」と言われたついでに大嫌いな快晴の下に這い出た。やはり苦手だ。吐き気を催す。それでも口を引き結んですれ違う人にだけはせめて好意とまでいかなくとも嫌悪を抱かれぬよう歩き出す。
行き先は何処?そんなもの決まっていない。




