忘れられた森と記憶の精霊
かつてこの世界には、「忘れられた森」と呼ばれる場所があった。
地図には載っておらず、人々の記憶からもすっかり消え去っている——そう、まるで最初から存在しなかったかのように。
しかし、ある日、一人の少年が森の入り口を見つけた。
名はリオ。
村の外れに住む孤児で、誰からもあまり話しかけられない、影のような存在だった。
その日、森の奥から微かに聞こえてきた歌声に誘われ、彼は森へと足を踏み入れた。
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「——ようこそ、記憶の森へ」
声の主は、透明な羽を持つ精霊だった。
彼女の名はセリナ。森の守人であり、この地に眠る“忘れられた記憶”を見守る存在。
「なぜ僕をここに?」
リオが問うと、セリナは静かに微笑んだ。
「あなたは、たくさんの人に忘れられてしまった子。
でも、だからこそ、この森に入れたのです。忘れられた者は、忘れられた場所に招かれる」
森の中には、かつて存在した村、誰にも語られなくなった英雄、そして失われた物語が木々に宿っていた。
リオが木に触れるたび、目の前に幻が現れ、かつての記憶が語られた。
剣を掲げた王女、
空に消えた竜、
滅びた都の最後の祈り——
「どうしてこんな大事なことが、忘れられてしまったの?」
「人の心は、覚えていられることが限られているの。
でも、忘れられたからといって、それが無意味だったわけではない。
だから私は、ここでずっと“記憶”を守ってきた」
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リオは何日も森にとどまり、失われた記憶を一つずつ辿った。
やがて、自分自身の記憶にも触れることになる。
彼の母は、かつて命をかけて村を守った魔法使いだった。
村人たちは恐れからその記憶を封印し、リオの存在すら曖昧になっていたのだ。
「……僕を、忘れないでって。母さん、最後にそう言ってたんだね」
涙を流すリオの頬に、セリナがそっと触れた。
「君がここで記憶を見つけたということは、君もまた、何かを“残せる”人なのよ」
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リオは森を出て、村に戻った。
誰も彼のことをよく思い出せなかったが、リオは構わなかった。
彼は語り部となり、森で見た数々の物語を語り始めた。
やがて、村には伝説が生まれた。
忘れられた森の語り部。
失われた記憶を紡ぐ少年の物語。
そして、森は再び地図に描かれることはなかったが——
いつか誰かが、またそこを見つける日が来るかもしれない。
なぜなら、記憶とは、心の奥底でずっと灯り続ける、小さな火だから。