英雄の末裔(四)
騎士学校を卒業し、上級士官に就いてわずか三日目のこと。
俺はかつての友、ネト=コールマンの訃報を耳にした。悲しくはなかった。彼のことだから簡単に死ぬわけもないし、諜報活動にうってつけな能力と卓越した臨機応変さからして暗部から強引なスカウトでもされたのだろう。
だが、寂しくはあった。
あの日の後悔は残ったままだった。
葬儀のとき、憮然として写る彼らしい遺影を見て、もう面とむかってネトとくだらない話に花を咲かすことはないのだと知って、その場で茫然と立ちつくした。
それでも俺にはネト以外に心の支えとなる人がいた。元娼婦メアリだ。ネトの実家の伝手でちいさな商会の事務として働く彼女とは騎士学校卒業以降ひと目を忍ぶように毎日逢っていた。そう、ネトの葬儀のあとも。
「ねえクロック、どうしたのそんなに悲しい顔して」
「そんなことはない。メアリがいるんだから充分に幸せだ」
「うんわかった。ならいいの」
そうだ悲しくはない。もし悲しいと口にしてしまえば、友と引き換えに手にしたこの幸せすら泡沫となって消えてしまう気がしたから。
嫌な予感は的中した。
翌日、メアリと逢うためだけに借りてあった貸家に、彼女の姿はなかった。いつもなら必ずさきに来ていて、温かな食事とその屈託ない笑顔でむかえてくれるはずの彼女の姿はなかった。
卓には一枚の封筒が置かれてあった。中を見て、絶句した。
『無事に返して欲しくば、魔法剣技大会で負けろ
破れば、女の命はない
娼館で女を買った証拠ふくめ、汝の立場もないと知れ』
俺はすくざま時を戻した。最大限の時を巻き戻してもすでに彼女は連れ去られた後だった。八方を塞がれ、逃げ道を失った俺は、しかしいずれこうなるかもしれないと覚悟だけはしていた。友を裏切った報いなのかもしれないと納得もした。だからせめて己が矜持をしめしてのち、もうすでに命のないであろう彼女のもとへいこうと決意を固めた。
その日は訪れた。
こんな俺でも民衆の人気だけはあるらしい。万人の歓声が楕円形の闘技場中央の俺にむかって地鳴りのように響いてくる。ときおり「負けろぉおお!」と野太い奇声が混じっていたが、あいにくと手を抜くつもりはない。
心は凪のように落ちつき、思考は澄みわたっていた。下手をすれば手加減をあやまって対戦相手を斬り殺してしまいそうなほど剣をもつ両腕はいつになく漲っていた。
代表者八名のトーナメント戦。
一戦目、試合の火蓋が切られる。
俺は迷いなく直進し、誰ともわからぬ対戦相手の横面をないだ。ネトとは比べるべくもないヤワな魔術結界を斬り捨て、手首をかえし峰打ちでその鎧兜を殴打する。吹き飛んだ身体がいくども転げ、ピクリとも動かなくなる。一瞬静りかえまったのち、万雷の歓声が総立ちで俺の勝利を迎えた。
同様に二戦目も圧倒し三戦目、まさしく優勝者を決める戦い。
相手を見定め、迷いなく剣を構え、そして無心で駆けていた。
◇
今回の任務はリーズリー侯爵家の末裔クロックという嫡男の行動監視にありました。類いまれな剣と魔法の才をもち、周辺都市において絶大な人気をほこる彼が魔法剣技大会で八百長をするとの情報が諜報課にもたらされたのです。
もし実際にことがおこれば、中央都市カンテラは公営賭博における莫大な損害賠償をコークスより請求されるおそれがあり、同盟関係にも亀裂が生じます。クロックの他国亡命のおそれもあります。
なによりその事実は市議会選挙をまじかにひかえたカンテラに深刻な影響をおよぼします。すべての状況を鑑みたうえ、もし八百長の可能性が限りなく高いのであれば、貴重な人材ながらも暗殺するようにとの命がくだっていました。
その現場指揮と暗殺実行の任をあずかったわたしでしたが想定外のトラブルに見舞われます。
バディであるはずのグレイが途中で任務を放棄し、音信不通となったのです。
一応リリシアからはグレイが途中で離脱するかもしれないと忠告は受けていましたが、まさか現実になろうとは。リリシアはリリシアで「そうなったら好きにやらせておけ」と言うのだから現場指揮をとるわたしばかり置いてけぼりです。今回の任務は即席のため事前情報にとぼしく、密かにあてにしていたグレイもいなくなって対象者が八百長をするに足る確証をえられず時間ばかりが過ぎていきます。昼からずっと苛々させられっぱなしで手詰まりのまま日が暮れ、途方に暮れながら宿に戻ろうという矢先でした。
「――こちらグレイ。応答願えるか」
ようやく連絡がついて落ち合えば、なぜか艶っぽい美女が同伴していて、グレイの右頬が腫れているという意味不明な状況でしたので、とりあえず後輩思いのわたしはその左頬を張りつけて、両頬のバランスをとることで許しました。
グレイいわく、対象者は八百長に加担することがないと確信したため、別の任にあたっていたのだと嘯きます。こうも大事な情報を伝えず、悪気なく言うのだから、もう一発くれてやりたくなりましたが、そこは先輩としてグッと堪え説明を聞きます。
対象者には公にできない恋人がおり、その恋人が拉致されたものの、隣にいるイザベラという協力者によって保護され、匿っているのだとグレイは主張します。なので彼女の仲間ふくめこちらの庇護下に置けないか、そう宣いました。なんなんでしょうかね、そんな都合のいい話に納得するとでも思ってるのでしょうか。
「……」
訝しむような目でじいと見てやりますとグレイは「そういう筋書きなんだ。頼む」とあっけなく自白しました。
いやいや、ふつう面と向かってそれいいますか。あまりの不意打ちに驚いていたら、イザベラという協力者はわたし以上に驚愕し、今にもグレイを殺さんばかりの目で震えていました。どうやら本件において彼女はわたし以上にグレイに振りまわされていたようで、なんだか急に彼女に親近感と同情をおぼえます。
「……はぁ、それで夜を迎えたこのタイミングでわたしに連絡をとったということに、何か意図はあるのですか」
「理解がはやくて助かる。今からこの屋敷にピンポイントで狙撃したのち、地下でひと仕事してほしい」
「……これは。下手うてば国際問題に発展しますが」
「バレなければ問題ない。これで本件は万事解決する」
「それ、本当でしょうね。今回の現場指揮はわたしに一任されていますから実行可能ではありますが、嘘は言ってないでしょうね」
「ああ、嘘はない。この一点において嘘はまったくない」
「では他については」
「どうしても知りたければ包み隠さず伝えるが、その時は私と一蓮托生となる。それでも構わないか」
その真剣な眼差しに気圧され、気づきました。グレイは万が一の事態にそなえ、こちらに責任が一切いかないよう単独行動に走ったのだと。色々な問題がクリアなった今だからこそ戻ってきたのだと。彼の目を見ればわかります。まったく気が利くのか利かないのか。この後輩ときたら。
「いいでしょう、わかりました。貴方を信じることにします」
わたしは屋敷を見下ろす高層建築の一室に侵入して長銃を構えます。あたりは真っ暗でなにも見えず、屋敷の窓からわずかに光が漏れるだけでした。壁むこうに存在するという狙撃対象物もいっさい見えません。
手筈はこうでした。グレイみずから屋敷に近づき、数秒だけ魔術セキュリティをハッキングして結界と警報装置の機能を停止させるので、その間に目標物を破壊して欲しいとのこと。まったく無茶を言ってくれます。
屋敷は今現在、高度な結界が幾重にも張られており、それが暗幕となって屋敷内は何も見えません。もし仮に最高レベルと称される魔術暗号をグレイが解読、ハッキングに成功したのであれば、私は魔術透視でもって屋敷内の魔力の流れをしっかりと読み取ることができます。
対象物は水晶。なんらかの証拠が映っているだろうと思われる記憶媒体。
ほどなくして暗幕はみごと取り払われました。屋敷内の魔術の流れが露わとなります。まったくあの後輩は本当になんでも有言実行してみせますね。となれば先輩の私が指をくわえて見ているわけにもいきません。すぐさま屋内の魔力を探り、一角に金庫とおぼしき重厚な鉄箱をみつけ、なかに丸く輝くそれを見つけます。ダミーは見あたりません。
私は長銃をかまえ、狙いを定め、魔力を極限まで圧縮し、撃ちました。弾は外壁を貫き、金庫の中心にあたり、しかし水晶に到達するまでの威力はありませんから同じ軌道、空いた穴にむかって間断なくもう二発撃ちこみました。
「――魔力の消失確認、ただちにその場を離れてください」
「了解、ありがとうクロノ」
かえってきたのはまさかの感謝の言葉でした。
感情のこもった後輩の言葉自体はじめてのことで、危うく長銃を窓外にとり落としそうになったわたしも急いでその場を離れます。すぐさま闘技場近くの地下に隠してあったという合成獣と対峙すべく紱魔班と合流し向かいます。
見張りを鎮圧し、鉄籠のなかのおぞましい異形に激しい嫌悪をおぼえながら、おそらくは対クロック=リーズリー用であろうと思われる近接魔法攻撃の通じないバケモノの急所をなんとか探り当て、幸運にもバケモノは籠のなかですから一方的に攻撃を浴びせ、仕留め、今回の任務を完遂させます。
それにしてもグレイは何がしたかったのか。おもえば対象者クロック=リーズリーはグレイの同期でしたから、何かしら対象者に思い入れがあったのかもしれません。ふたりの関係についてリリシアからは何も知らされてないため、取るに足らない間柄なのかもしれませんし、公にできない親しい関係なのかもしれませんが、わたしはそれを知りたいとは思いません。
諜報員とはそういう仕事。
グレイはたんなる阿呆な後輩バディ。
それ以上の認識は必要のないこと。
すべて終えるとリリシアに魔術電報を送り半刻を待って、スミヤカニ帰還セヨ、との命がくだりました。余分に用意してあった身分証を細工して協力者イザベラに渡し、私たちは魔法剣技大会を見届けることなく明朝、ずいぶんと空いた魔導列車にゆられ帰路につきます。
昼ごろ、閑散とした食堂車にいくと偶然見かけたグレイは他人の顔に成り変わり、その碧い瞳を窓外へとむけてました。食事に手をつけず、炭鉱都市コークスの稜線をただじっと眺めます。ちょうど魔法剣技大会が行われている頃でした。
その澄んだ瞳がとても印象的であり、そんな彼を目の当たりにしてしまっては、諜報員として優秀であるが天下りたいだけの阿呆でしかないという後輩の認識を、わたしはやはりあらためざるを得なくなったのです。
◇
俺は魔法剣技大会で優勝を果たした。
危惧された妨害工作もなく、もしかしたら誰かに命を狙われているのではと期待していたが何ごともなく、晩餐会の勤めもつつがなく終え、翌日カンテラに戻る運びとなった。
この先、俺に待っているのはメアリの死の現実を受け入れること。そしてまもなく俺の醜聞が公になるか、敵対派閥にわたるか。いずれにせよ家にその責任がおよび権力闘争に発展する前に自ら命を絶ち、その混乱をおさめること。
それほどまでに、生まれながらして俺にのしかかった英雄の末裔という肩書きと『時戻りの力』の存在は重く、長じるにつれその実感を日に日に増していた。
俺は魔導列車に乗った。一等車の個室に入り、引き籠もるように寝台に横たわった。友をなくし、メアリを失い、心にあいた穴はどうしようも埋めがたく、あとはいつどこで人生の幕をおろすか、そればかりを考えただ時が過ぎるのをじっと待った。
夜も更け、憎らしいほどにまたたく星々から目を逸らし、壁の杢目をただ無意に眺めていたところ突然扉がノックされた。ようやく死の迎えでもきたのかと無気力にその扉を開ける。
「ああ、ずっと逢いたかったクロック!」
視界に華奢な身体が飛びこんできた。死んだはずの彼女がそこにいた。メアリが俺を思い切り抱きしめていたのだ。わけもわからず俺は彼女を抱きしめかえした。「もう大丈夫、なにもかも終わったの」とメアリはむせび泣いた。
涙ながらに語る彼女の話を要約すれば、娼館に記録されていた娼婦ネイシャの存在ならびに、あの日俺が娼館にいた館内の証拠映像すべてが消失したのだという。つまりもうひと目を忍んで逢う必要もないのだという。そして同じ列車に乗り、念には念をいれ、国境を越えてカンテラ領に入るのをずっと待っていたという。
そんな都合のいい話、にわかに信じられなかった。たがもし、そんな芸当をやってのける人物がいるのだとしたら、俺の知る限りたったひとりしかないと脳裏をよぎった。ふと視線を落とせば、メアリの手元に一冊の古びた本があった。
『ガレア英雄譚』
「どうしてそれを持っているっ!」
メアリの肩を掴んで聞けば、彼女は驚き、救ってくれた仲間に「この本に彼のサインが欲しい」と頼んできた人がいたという。メアリは枯らした涙に笑みを浮かべながら「変な人よね、クロックがどれだけ苦労してるかも知らずに。デリカシーの欠片もないんだから」と言った。
俺はその人物を知っていた。
忘れるわけもなかった。
これは他ならぬ友のメッセージなのだから。
「……どうしたの、クロックが泣くなんてはじめてのことよ」
「泣いてなんかないさ。ただ嬉しくて、ただそれだけなんだ」
「なにそれ変なの。わたしのときは泣かなかったくせにぃ」
むくれた彼女がやがて寝静まったあと、俺は生まれてはじめて『ガレア英雄譚』を読んでみた。なかなかにご都合主義で、いかにも一般人受けしそうな、今となっては陳腐とも称される時戻りの物語でしかなかった。
それでも読後感は悪くなかった。
最後の頁をめくる。手紙がはさまれてある。
――親愛なる友へ
友からの文かと期待し封をあける。入っていたのは豪商貴族ですら二の足をふむ高額の請求書。
おもわず腹をかかえ笑った。ネトはこういう皮肉めいた策士でもあったなと、ひとしきり笑った。くだらなくも最高だった日々が鮮明に思いだされた。俺はいないはずの友にむかって語りかける。
「なあネト、分割でかまわないか。いくらでも利息は払うから」
この日、俺はガレアの亡霊を背負う覚悟をもつに至った。
この本にサインしうる英雄になろうと決意を固めたのだ。
◇
「こんなとこで奇遇だねぇ、何かいいゴシップは入ったかい記者さん」
「これはこれは、昼から飲んだくれてたバモンさんではありませんか」
「やだなぁ。本当は最初から分かってただろうに。しっかし手塩にかけて育てたお前さんを横取りされたんじゃ、さぞ兄上殿も恨み骨髄だろう。で、所望するものはちゃんと手に入れたかい」
「ええこちらに」
「そうそ、たしかに受けとった。これで晴れてお前さんは例の一件の契約を果たし終えたわけだが、ま、腐っても兄弟なわけで今後もよろしくとおっしゃってたな」
「ご冗談を。いくつ命があっても足りません」
「ははっ、ちがいないねえ。それよりあの古びた本、餞別にあれが欲しいだなんて、そんな値打ちがあるもなのかい」
「ええ、とても高価なものですよ」
「そうかいそうかい。また何かあればいつでも頼ってくれと、そうおっしゃってもいたな。ま、おれとしてはオススメしないがねぇ」
「まったくの同意見で」
バモンと名乗った男は都市カンテラの雑踏にすうと消えた。
兄上は生粋の商人である。当人は元娼婦メアリを情報屋イザベラに送りつけて裏社会に噂を撒いただけ。だが、噂がすべて真実であるがゆえに踊らされた人間は数知れず。本来なら成立すらしない賭けでもって、兄上はどれだけの利益をあげたのだろう。少なくとも私への餞別にガレア英雄譚の初版本を快くくれてやる程度には儲けたようである。
最小のリスクと労力でもって最大の利益を掠めとる。
ゲイト=コールマン。
兄上とはそういう男。
じつに恐ろしいものだ。
ゆえに合成獣でクロックを始末しようとした黒幕はまたべつ。ただ、その痕跡までは辿れなかった。
それにしても市議会選挙を間近という頃合いに、私から、もとい情報屋イザベラから大量に買いつけた情報で、兄上は誰を支援し、どう画策するのだろう。
できたならリリシア課長とはぜひとも潰し合っていただきたいものだ。完全な第三者であるからこそ私はそれを密かに愉しみにしている。
次話より「金眼の聖女」編
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