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英雄の末裔(三)

※軽度の性描写あり、誤字修正(2025/6/21)


 俺が俺であるための価値とはなにか。英雄の幻影を背負い、『時戻り』なんて力をもち、生き続けなければならない俺の人生にはたして価値などあったのか。


 物心つき始めたころから俺を見る他人の目は奇異だった。恐れこびへつらうか、嫉妬し貶めるか、利用し甘い蜜を吸おうとするか。大きく分ければいずれかであった。


 俺は周囲と距離をおいた。心の距離だ。うわべではそうとわからないよう取り繕ってはいたが、他人との距離はどんどんひらいていった。


 十二のとき、そんな俺は女を知った。

 初めての相手は二十歳そこらのメイド。

 誘われるがまま俺は女を貪った。夢中になった。

 だが、心までは開かなかった。たんに都合がよかったのだ。

 

 玉の輿にのって俺を利用したいだけの浅慮な女ならば、俺も同じく利用してやるだけのこと。案の定、その女はほどなく父に解雇された。名前も覚えてなかった。

 

「なあクロックよ。誰を抱こうが口は挟まんが、貴族と娼婦だけはやめておけ」


 父はそう俺を説いた。権力のしがらみを嫌と言うほど知っていたから貴族に手を出す気はなかったし趣味でもなかった。娼婦は病気もちかもしれないからと理解した。


 以降、俺は身分をかくし、身体だけの関係でいられる相手を市中で見つけては快楽を貪った。剣や魔法の稽古に座学、くだらない貴族パーティーに明け暮れるなか、奇異の目から逃れるように見知らぬ女と抱き合った。そのときだけは自分が自分でいられた気がした。そんな甘やかな幻想もやがて終わりがきた。


 騎士学校への入学だ。


 厳格な寮生活にくわえ、周囲には好かない子息令嬢ばかり。俺によってくる連中は下心まるだしか、夢見がちなメンヘラばかりで辟易した。フロレンスという少しは見込みのありそうな男はいたが、実力でいえば俺ほどでもなく、奴もそれを知ってか互いに距離をおいた。なにより俺好みの女といえば貴族を毛嫌する市民ばかりで取りつく島もない。完全に詰んでいた。


 途方に暮れ、苛立ちが募るなか、その男は現れた。ネト=コールマン。奴はこともあろうにガリア英雄譚を手にもってサインしろと言った。後頭部をなぐられたような衝撃だった。俺がもっとも忌避する元凶、読んだことすらない本だ。こうまで俺に舐め腐った態度をとる人間ははじめてで、しかもそれは初版本で、サインするに値するか試させろという。どこぞの金持ちか知らないが、俺は怒り心頭に発し、思わず剣を向けていた。


 冷静さを欠いた時点で俺は負けていたのだろう。


 振り下ろした剣は結界に阻まれた。高度な多層結界を斜方に重ね、認識阻害魔術でそれを巧妙にカモフラージュし、俺の渾身の一撃をいともたやすく逸らしてみせたのだ。


「悪いがサインは要らない。時間をとらせて悪かった」


 返す言葉がなかった。そして奴の意図をたしかに受け取った。こびへつらうことなく、英雄の子孫と畏れることなく、ただ俺を対等に見ているのだと。そのうえで利用価値があるから利用させろと。まったく不思議な奴だった。そんな男に興味を持たないわけがなかった。


 奴と関わってまっさきに思ったのが、とにかく極めつけの阿呆ということだ。


 頭が回り、機転が利き、内包魔力量は平凡の域をでなかったが図抜けた魔術制御技量をもつにも関わらず、いたって謙虚で目立とうとしない。一方で自身の邪魔をするクズともには手練手管ありとあらゆる絡め手で蹴散らしていくさまは、見てるこっちが痛快なほどであった。


 だが、その目的はすべて「安泰な省庁に入って天下りたい」である。


 その言葉に嘘偽りがないのだから始末に終えなかった。そんなくだらない目的のために俺に近づき恩を着せているのだと面と向かって言われたときには開いた口が塞がらなかった。奴は生粋の阿呆だった。だが、内心では心底惚れていた。これこそが俺の求めていた理想の友と気づき、俺の心にはじめて他人が入りこんだ瞬間だった。


 ネトはじつに愉快な男だ。貴族を貴族ともおもわず、ときに俺を便利な荷物持ち程度に扱うことすらある。ただ、その芯は頑として揺るがず、道理に反する者には一切の興味を示さず、「自己利益の最大化」が口癖であったネトの言葉にはいつだって嘘いつわりなく、俺の期待を裏切ることは一度たりともなかった。


 だから俺は見誤った。甘えてしまった。彼ならなんでも出来るとそう思いこんでしまった。道理に反してしまった。今更後悔したところで赦されるわけもないし、その罪が洗い流されることもない。選んだのは俺自身。実のところ、ネトが俺のことをどう思っていたか未だわからない。俺だけが一方的に友と思っていただけかもしれない。


 だが、いい。それでいい。


 今に至ってなお、彼のことを思いだせた自分がいるだけで充分なのだから。


 もう取り返しのつかないところに俺はいる。


 あとは己が矜持を示し、そして死ぬ。


 俺は、あの日の出来事を今日も思いだす。



 まったくアイツは天才かっ!


 言われたとおり炭鉱場にいけばボロ着はあるし、身分を示すものがなくともすんなり闘技場にエントリーできた。対峙した魔獣があまりに弱くて拍子抜けしたが、ま、そこまでネトに求めても仕方がない。ともかく金も入って一張羅も手に入れたことだし、よし、満を持して高級娼館へ行くとしよう。


 俺は浮かれ娼館に入った。ラックと偽名をつかう。


「初めてのお客様とお見受けしますがお名前は。ラック様ですね、どうぞこちらへ」


 案内された個室は甘く淫靡な匂いが立ちこめていた。これからの逢瀬を期待してあまりある調度品と上等なベッドがしつらえてあり、一体どんな男を骨抜きにする妖艶な女が来るのだろうかと今か今か待っていると思いのほか華奢で若い女が現れた。


「今宵はすでに更けてござますゆえ、姐さまたちはすでにお相手がおります。ふつつか者ではござますが、どうか私と戯れてくださいまし」


 言われてみればその通りだ。俺は一見客。いくら金を積もうと人気の娼婦を相手にできるわけがない。それでも女は女。今日の俺はとにかく飢えていた。


「そうか。よろしく頼む」

「ネイシャと申します、どうぞよろしくおねがいいたします」


 駆けだしと見えるネイシャという女は、それでも高級娼館に在籍してるだけあってじつに品のある所作で俺の横につき、酒をつぎはじめた。


「そういうのはいい。早くお前を抱きたい」


 いかにもがっついて女に嫌われそうな台詞であったが、なり振りかまってられない。一度きりの相手だ。未明までに帰らなくてはならないし、酒なんてもってのほか。俺は彼女の襟もとに手を入れ、その小ぶりながらも柔らか曲線に指を這わせた。


「その、恥ずかしゅうござますので、どうか灯りを消してくれませんか」

「ん、ああそうか。その方がいいのなら」


 若さと初々しさを売りにしているのだろうがまったく趣味ではない。娼婦としてはまだまだ男を分かってないなと思いつつ、半年もご無沙汰していた俺は女の味を思いだすべく、その軽すぎる身体をベッドにのせ、暗がりに着衣を脱がし、その唇を奪った。彼女はなすがままそれを受け入れた。


 緊張にこわばらせる彼女の肉感のうすい四肢に手を這わせ、なだらかな胸に顔を埋め、その身体をほぐしとき、控え目な喘ぎをきく。もうこの辺でいいだろう。


 なぜ客の俺が奉仕しなければならないのだと片隅に疑問をもたげつつ、飢えた身体を昂ぶらせ、ことに入ろうという時。


「……その、初めてなので優しくしてくださいまし」


 いわれ我慢の限界をこえた。こういう台詞が好きな男もたしかに多い。が、駆けだしといえど娼婦の口にしていい台詞じゃない。言っていいのは本物の処女だけで、しかもまったくもって興味もない。俺はもう彼女にかまわず自分本位にはじめた。それからの記憶はない。ただ、本能に任せ快楽をむさぼった。


 ことが終わり、気がつくと、女は泣きながらベッドに横たわっていた。


「なぜだ、何を泣いている」

「……初めてって言ったのに。優しくしてって言ったのに」


 目を落とせば、痕跡がたしかにあった。俺は狼狽し口に手をあてた。どうして経験のない女がここにいる。


「……もういや、いやよぅ、こんなとこいたくないよぅ」


 女は布を被って幼い少女のように泣き震え、うずくまってしまった。どうしていいか分からず、俺はただ彼女を後ろからそっと抱きしめて「すまない、すまない」と繰り返した。彼女はいつしか泣き疲れ、寝息を立てた。


 彼女の寝顔を見つめ、涙をそっと拭き、ひとしきり考えた。なぜだ。今までの女たちとは決定的に違う、うしろ暗く後悔ばかりの押し寄せるこの感情はなんだ。そこではたと気づいた。彼女はけっして俺を望んではいなかったのだと。たんなる仕事として相手をしただけで、微塵も愉しんではいなかったのだと。


 俺は急いで娼館をでた。その事実を認めたくなくて逃げた。俺を欲しがらない女など知らなかった。彼女がずっと頭から離れなかった。藪をかけ、かさかさと木蔭がゆれるたび、耳奥にきこえる彼女の喘ぎ声は救いを求める悲鳴なのだと知って吐き気がした。


 俺は救いを求めるように友のもとへ駆けた。小屋を見つけ、寝入っていた彼を起こそうとその身体を何度もゆさぶる。


「ん、思ったより早かったな。どうだ満足したか」


 そんなわけない。が、俺は何も言えなかった。ネトはさもこうなることが分かっていたように「そうか」とだけ言ってまた横になった。


 ああそうだ。こんなこと言って何になる。どうにもならないじゃないか。娼館というものはそいういう場所であって、俺も頭ではわかっていたつもりだった。だが、実際目の当たりしたらこの体たらくか。


 俺は決定的なまでに、何もかもが恵まれているのだと思い知った。思い知ってからはもう彼女の涙にぬれた顔が、泣き声がずっと頭から離れなかった。この先に待ち受ける彼女の延延の地獄を知ってしまってはもう一睡もできなかった。


「どうした、ペースが遅いぞ」


 先を歩くネトは言った。俺は黙ったまま続いた。視界がやけに赤い。朝焼けに照らされ、はらはらと舞い散る紅葉が俺の罪を咎めているような気がしてならない。その一歩を踏みしめるたび、彼女から逃げだした臆病者に思えてならない。いつしか俺はその沈黙に堪えきれなくなっていた。


「なぁネト、彼女はどうなる」

「どうもならない。娼婦とはそういうものだ」

「ネイシャは、その、初めてだった」

「そうか。そういうこともあるかもな」

「俺はどうしたらいい」

「どうもしなくていい」

「……なあネト、ネトなら、なんとかできるんじゃないか」


 俺は甘ったれた言葉を吐いていた。けっしてそれを言うべきではなかった。その言葉は彼の期待する俺ではなく、もはや腑抜けでしかなかった。だってそうだろう。俺は侯爵家の次期当主で、英雄の末裔だ。その権力と財力をもってすれば娼婦の一人ぐらいかんたんに救えるし、先祖返りと称される『時を戻す力』だって宿している。


 救えるが、しかし実際は救えなかった。


 俺は実地試験中に娼館に出入りするという前代未聞の失態を犯した。そこで出逢った彼女を買い上げれば、おのずと彼女自身が証拠となって明るみになる。そんなこと父が、国がけっして赦すわけがない。かといってこの現実をなかったことにもできない。時をさかのぼっても俺の記憶はなくならないし、俺が相手をしなければ、彼女は他の男に抱かれることになって不快さだけが増す。彼女を救うのは不可能だった。


 八方塞がりだった。

 頼れるのはもうネトしかいなかった。


 パキと小枝を踏み折れた音がし、こちらに振り返ったネトはすべて理解しているのだろう、冷めた目で淡々と告げた。


「その覚悟はあるのか。私を裏切るだけの覚悟が」


 そうだ、これは裏切り行為だ。将来の安泰と天下りを切にねがってやまない友にけっしてしてはいけない、道理に反した願いだ。


 俺は言った。


「……ある。でないともう俺は駄目になってしまう」

「わかった。約束は果たそう」


 ネトは手を天にかざし、救難信号を打ち上げた。


 ほどなくして救護教官がくると、ネトは体調不良を訴えて試験を棄権し、その場を離脱した。彼女をいち早く助けるために動いたのは明らかだった。そんな彼の背中をただ見つめるしかできない俺は、申しわけなさと後悔を口にすることすら許されず、たったひとり心許した友を自ら手放していた。



 私は実施試験を途中棄権した。クロックとの約束を果たすため、娼婦ネイシャを救うべくすぐさま行動にうつる。といっても救護教官がそばにいて身動きがとれないため実家の兄上を頼ることにした。


 表向きただの手紙に魔術伝言を忍ばせ伝書鳩をとばす。返事はすぐに帰ってきた。兄上から突きつけられた容赦ない条件に絶句したが、もうしかたあるまい。交渉する時間も惜しいのですべて呑むことにした。


 まもなくネイシャは実態のない商会に買いとられ、籍を転々と変えたのち、メアリという名で別人としてカンテラへ移された。これは私が強く要望したことだった。実際にその目で確かめ、裏の人間の影はないか、また彼女がクロックを謀ってないか確認するためだった。なにより、もうひとつ重要な目的があった。


 あの日以降、めっきり私に寄りつかなくなった薄情な男に声をかける。


「まったく腑抜けたな」

「……そんなことはない」


 目を逸らし覇気のないクロックは彼女の消息について私に一度たりとも訊いてこなかった。彼女のその後を知るのが怖かったのか、あるいは私に迷惑をかけた罪の意識からか。いずれにせよ裏を返せば、私の実行力を疑っていることになる。こっちは多大な労力にくわえ実施試験の棄権ペナルティ、天下り計画の下方修正、兄上に借りまでつくってと大損害を被ったのだから、そのよそよそしい態度が余計に腹立たしかった。


 私はクロックをなかば強引に中庭へと連れだし、木陰のもと言った。


「敷地の外を見てみろ」


 クロックはふと顔をあげた。鉄柵の向こうには華奢ながら愛らしい少女が立っていて、くしゃくしゃの笑顔に一杯の涙を浮かべクロックを見つめていた。


 クロックはなにも言わず、ただ彼女のそばにいった。柵の合間から手を伸ばし彼女を抱きよせた。彼女も抱きしめかえした。柵ごしにふたりは唇を重ねた。つまりはそういうことなのだろう。まったく恋という幻想はどこから始まるかわかったものではない。


 本件のほどぼりが冷めるまでふたりは公に逢えないし、所詮は一時の熱だ。今後も相応のリスクがつきまとうだろうが、これはこれで悪くない顛末だとその時は思っていた。


 まさかふたりの熱がいつまでも続き、また上官リリシアが私を囲うためにネト=コールマンという存在を勝手に抹消したことで兄上のただならぬ怒りを買った結果、元娼婦メアリが忽然と姿を消さなければ、の話であるが。



 炭鉱都市コークスはすでに日が傾きはじめていた。残された時間は一日もない。なので私は少々手荒な真似に訴えることにした。片っぱしから街の情報屋に聞きまわったのである。


 情報屋の大半は裏の世界に身をおき、そういう輩は見ればすぐにわかるから彼らに接触すれば本件の黒幕につながる者が複数いることだろう。


 明日に大がかりな八百長を控えたなか耳障りな存在を知った黒幕はなんとしても事前処理しよう躍起になるはずだ。


 案の定、場を派手にかきまわしてやれば、さっそく尾行がついた。私をさらい、拷問し、徹底的に吐かせてから始末するつもりなのだろうが、足運びひとつ見てもじつに歯ごたえのない素人連中だとわかった。


 私の同期にはクロック並びにクレアという桁外れのバケモノがいて、そんな彼らに真っ向勝負してもまるで勝ち目のない私が、彼らを出しぬき対等とはいえずとも渡り合うために、不本意ながら日々魔術の研鑽を積んできたのだから、魔術をまともに扱えない素人連中など造作もないこと。


 私が路地に折れれば、彼らは好機とばかりに間合いをつめてきた。その間、私は上着を脱ぎ、帽子を裏がえし、魔術で顔をかえ、胸を膨らませて女の姿でくるり踵を返せば、それだけでもう私を尾行対象と気づかずに連中はすれ違った。


 あとはすれ違いざまにがら空きとなった背中をスタンしてやるだけでいい。路上に泡を吹いて気絶する連中の顔を水晶にかざし、映像越しのイザベラに問うた。


「どこの者かわかるか」

「モートン商会の下っ端ね。それより貴方ずいぶんズル賢いわ。少し見直した」

「それはどうも。じゃあ次だ」


 私は追跡者をことごとく騙し討ちにし、路地裏の隅に人の山を築いていった。イザベラはしだいに閉口し、まともに私と目も合わせず、口をきこうともしなくなった。


「どうだ、これだけのサンプルがあれば絞り込めるか」

「……貴方、さすがにアレは最低よ」


 今回はちょっと艶女に変じ、連中の不意をついてから急所を潰しただけのこと。たしかに品のないやり方ではあったが、まあ好きに言えばいい。男相手にはじつに効果的な手法であることは騎士学校時代に証明ずみであるからして文句を言われる筋合いはない。とりわけクロック相手であったが。


「効率を求めただけだ。しかしここらが限界だろう。本格的に動きだされると私ひとりでは手に負えないし、魔力も足らない」

「そうわかったわ、落ち合うから指定した場所にきてちょうだい」

「了解した」


 場を移し、地下の旧坑道トンネルで落ちあうとイザベラは不満そうに言った。


「あんなに片っ端からやらなくとも私の情報網があれば大丈夫って言ったのに」

「それで、どこまで絞れた」

「そうね、おかしな点があるとするなら、コークスの公営闘技場を牛耳ってる二大胴元がいずれも関わってることかしら。となると政府がらみとみていい」

「もう少し詳しく教えてくれないか」

「焦らないの。二大胴元どっちもっていうのがポイントね。両方に息がかかっているならレルロン子爵とみて間違いない」

「それは確かか」

「ええ、もちろんよ。二大胴元は互いが競合にあるわけだから、そのどちらにも幅をきかせ言うことを聞かせられる立場は限られる。それにはっきりいって明日の八百長の件は二大胴元にとって旨味がまったくないのよ。公営賭博って賭け金から場所代、手間代として一定額を抜くようにできてる商売で客の信用が絶対だから、本来なら公営胴元が八百長に加担するなんてありえないの。それが本件に関わってるとなると、過去の情報から照らしてもレルロン子爵一択になる。なにせ公営賭博の許認可を取りしきる部署の長官なんだから」

「なるほど、それなら確からしいな」 

「で、貴方はどうする気? 言われたとおり政府中枢とレルロン子爵の屋敷の見取り図、あと隠し地下路の図面を用意したけれど、もしかして侵入する気? まちがいなく死ぬわよ貴方」

「心配には及ばない。それよりも済まなかったイザベラ」


 彼女は真意をはかりかねたように首をかしげた。


「急に謝られたら驚くじゃない。あ、もしかして私の仕事ぶりに圧倒されて惚れたのかしら。悪いけど血の通ってなさそうな貴方は趣味じゃないの、ごめんなさい」

「いやそうじゃない。情報屋を手当たり次第にあたったのは、君の情報屋としての立ち位置を知るためでもあった。むしろそちらに重点を置いていた」

「ああそういうこと。ならやっぱり謝る必要はないわ。私だって貴方はたんなる取引相手でこれっぽちも信用してない。利用して用が済めば、のたれ死のうが知らないもの」

「じつに合理的な考えだな。互いに胸のうちを明かしたついでに、優秀な君にひとつ聞きたいことがある」

「ええどうぞ。答えられる範囲なら」

「一年半ほど前、ネイシャという娼婦の身請け工作をしたのは君か?」


 イザベラの顔から余裕の一切が消えうせ、驚愕にゆがんだ。


「……なに、なんで、なんでそんなこと知ってるのよ貴方」

「やはりな。だから済まないと言ってる」


 イザベラはしきりに目をさ迷わせ、考えを巡らせてから言った。


「え、なに、私に限って足がつくはずもないんだから、もしかして貴方が依頼主?」


 そうだ、と首肯するまもなくイザベラは私の胸ぐらを思い切り掴んで「お前かぁああああああああああ!」と親の仇でも殺さんばかりに叫んだ。


 旧坑道トンネル、壁に力なくもたれかかったイザベラはぽつぽつと語りはじめた。


「元々、コークスでは情報屋というより娼婦の足抜け専門でやってたのよ。客は貴族や豪商相手で、一目惚れした女を買いたいって話ね。トラブルが起こらないよう念入りに娼婦本人の意向を確認したうえで実績を積みあげていたところ、一風変わった依頼が舞いこんだわ。駆けだしの女を買いたいって話。処女厨の変態もおおいからその類いだろうと記憶水晶で娼館の出入りを確認してみて、そしたらたまげた。まさかそれが英雄の末裔さまで、しかも実地試験中だとすぐに調べはついた。これはなかなかにヘビーな情報だから、今回に限り、依頼人が誰か分からずとも引き受けることにしたの。報酬がいつもの二十倍ですごく魅力的だったし、断ったら情報知っちゃってる私は始末されるかもしれない……でもそれがなにもかも間違いだった」


 イザベラはがれきに腰をおとし、トンネルの天井を見上げた。


「仕事はちゃんとこなした。娼館の主人にそれと悟られないようカモフラージュのため似たような子を三人買ったりもしたわ。絶対バレない自信があった。なのに最近、界隈で英雄の末裔が娼婦を買ったとの噂が今さらになって流布されだした。ほどなくして例の依頼人から一方的な連絡がきたの。『こちらは代理人であって、本当の依頼主から契約を反故にされた。金は返さなくていいから女は返品する』って」


 その時であった。どこか遠くで爆発し、ゴオオという地響きがトンネルを駆けた。


 イザベラは頭を抱え、悲痛をもらす。


「今のは私の拠点が自爆した音。貴方が騒ぎすぎたせいよ……」


 それからイザベラは叫んだ。


「もう訳わかんないっ! なんで地雷原みたいな女を匿わなくちゃいけないの! 私が娼婦専門でやってるのは周知の事実だから日に日に包囲網は狭まってくるし、せっかく築きあげた人脈も、地位も、固定客も、すべてパァ! ああもうっ! ていうか貴方どこの誰っ! なんで明日、八百長なんかやることになってるの! だれ得なのよ! 全然意味がわからないからっほんと!」

「……その、済まなかった」


 あまりの剣幕に私はあらためて謝意を示すとともに、じつに兄上らしい入り組んで悪辣なやり口に嘆息した。


「それで彼女は今どこに」

「は? 言うわけがないでしょ。唯一の切り札なの。連中も血眼になって捜してる。けど誰にも売る気はないわ。娼婦本人が望まない相手には売らないのが私の矜持。問題はどうやって仲間全員つれてこの国をでるか。ひとりふたりならまだしも七人も所帯抱えるはめになるなんて。偽造身分証ひとつにしたって今となっては手を貸してくれる伝手もないんだから」


 イザベラは本音を隠そうともせず、縋るようにこちらを見上げた。

 私は言った。


「ならこちらで用意する。身の安全の保障も、彼女の望むべき相手に売ることも、君の満足できる値段で買い取らせることもすべて約束したうえで。なんなら君がこの町で集めた無数の情報を買い取ってくれる相手も用意する。だから私に君の力を貸してくれ」

「……ほ、本当に? あなたの組織なら可能とでもいうの?」


 彼女の目に希望の光がさした。

 私は首を横に振った。


「いや、後ろ盾はいっさいない。なにせ君と組むために組織に反旗を翻したばかりだからな。私も君と同じくらいに崖っぷちだ」

「……」


 イザベラは絶望的な目で私を見た。

 つと立ち上がり、なんの前ぶれもなく私の右頬を張った。


「ああもうっ! なんでこんな男に賭けようと思ったの、私のバカッ! ホントバカッ! どいつもこいつも馬鹿ばっか! もちろんアンタもね! いいわやってやる!」


 いくら後悔しようと時は戻らないものだ。


「だが、勝算はある」


 右頬にはしる痛みをこらえつつ、自暴自棄のイザベラをなだめ説き、ようやく道筋のみえた計画をつたえ、唖然とする彼女を連れ、この一件を終わらせるため行動にうつる。


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