英雄の末裔(二)
都市コークスは炭鉱を主な産業として発展してきた街である。カンテラから北東に列車にゆられ半日の距離にあり、ふたつの都市は長年の同盟関係にあった。
炭鉱労働はたいへんな力仕事である。したがってコークスの人口の七割を男が占め、夜の大通りともなれば若い女の客引きと、それに吸い寄せられた男どもの異様な熱気にあふれる。現在の昼下がりにおいても通りは活気にみち、そんな彼らは口々に英雄の末裔クロックの噂をしていた。
横を歩く同僚ヒースは感心したようにいう。
「ほんと人気だよな、リーズリー」
「この場合、単なる賭けの対象としてだが」
同盟都市間においては、持ちまわりで魔法剣技大会という伝統式典がひらかれる。今年はここコークスがホスト国となっていた。八カ国の代表者が国の威信をかけて剣を振るい、その頂を決める公的な剣闘大会である。そんな剣闘大会はむかしから合法違法とわず賭博がつきものであった。
「そうは言っても、すごい人気だろうよ」
「ガレアは炭鉱夫から成り上がった背景と各国に逸話を残している。この地であれば、九つの首をもつ大蛇を討って妻を迎えた話だったか。話題には事欠かない」
「へぇ、やけに詳しいのな」
通りを見わたせばレンガ造りの平屋が軒をつらね、看板には酒屋とおなじくらい質屋が目についた。大型剣闘場を自前でもち、莫大な賭け金が昼夜とびかうコークスならではの光景であり、つまるところコークスは遊興歓楽都市でもあった。
さて、私は魔法剣技大会の周辺取材をする記者として入国審査をパスしたので表むきの仕事もしなくてはならない。ひとまずヒースと別れて一軒の酒屋に入り、話の通じそうな赤ら顔の男に、英雄ガレアがこの街に残した足跡と彼への思い入れについて取材を申し入れてみたところ、
「ガレア? んなもん興味ねえな。それより酒だ、話聞きたけりゃ一杯おごれ」
それもそうか。日中から酒場に入り浸る男にろくな話などきけまい。住民の多くは日の浅い移民だ。この街の風土にみじんも興味はないだろうし、かくいう私も興味がない。形式上のメモを取りつつ、頃合いをはかって本題に切りこむ。
「英雄の末裔クロック=リーズリーにまつわることで、何か知ってたりしませんか」
男は締まりのない顔をニチャと歪ませ、酒瓶をもつ小指を立てて言った。
「おうよ、あるある。噂なんだがよ、あれは相当なコレらしいな。英雄、色を好むっていうだろう。さぞこの街が気に入るんじゃないかい」
「なるほど。この街は屈指の色街でもありますからね。なにか具体的に知ってたりしますか。なじみの娼館とか」
「なんだおめえさんゴシップか。どうりで昼の酒屋に聞き込むわけだな。でも嫌いじゃないぜ、そういうの。しっかし悪いがそれ以上はさっぱりさあ。この辺、聞き回っても同程度のもんだろうよ。だが――」
テーブルの下で私の膝を小突くと、その掌をひろげ言った。
「もっと深く知りたきゃ、その筋の連中を紹介しちゃる」
私は迷わず金を握らせ、紹介状と地図をもらった。
地図をたよりに路地を東にむかう。ある一線を越えると雰囲気ががらりかわった。身なりのよい客が目につき、店も飲み屋から賭博場へとその姿をかえたのである。
「朱雀の逆鱗」という看板をみつけ、軒先をくぐり、湿気た地下へとおりていく。
鉄扉のむこうはオーソドックスな合法賭博場であった。カードゲームにルーレット、古典的な賽子賭博に興じる客たちを尻目に、私はまよわず奥へと足をすすめる。
奥の扉に手をかけようとすると見張り役の少年に肩をたたかれる。侮れない所作だ。紹介状をみせると小さく頭をたれて一歩引いた。どうやら酒場の男はなかなかの情報屋のようだ。
扉のさきは暗がりの一本道となっていて奥にまた扉があった。複雑な結界と魔術センサーが張られてある。結界内は相手のテリトリーと同義であり、私の力に制約がかかるが仕方あるまい。そうと気取られぬよう一定の歩速ですすみ、もうひとつの扉もあけた。
そこはいわゆる違法賭博場で、ところ狭しと上客にあふれていた。
壁には大きなたれ幕がかけられてあり、闘技場内が鮮明に投影されている。臨場感あふれる剣闘士の戦いにみな固唾をのみ、食い入って見ている。私といえば高度な水晶投影機そのものに驚いた。ここまで鮮明に映しだす魔術などカンテラでもお目にかかれまい。
「あら、新しいお客さんがいらしたのね。こっちよ。説明してあげる」
桃色の髪に、胸の大きく開いた臙脂の服、数多の宝飾品で着飾った賭博場の主人とおぼしき艶女がひらひらと手招きする。その右腕にはびっしりと不死鳥の彫り物がされてある。隅の暗がりに客の寄りつかないソファーがあって、そこに彼女はひとり座っていた。促されるまま横に座り、しかし画面をじっと見つめていると、女はつまらなそうに言った。
「ふうん。賭博のほうが好きそうね貴方」
それはどうだろうか。研修の結果、私はハニートラップ耐性に難ありとのことで、その手の輩に引っかからないよう徹底的にマロンちゃん指導のもと仕込まれた。今もマニュアル通り対応しているに過ぎないが、しかしそれが功を奏したようである。
「で、見てのとおり。ここでは賭けとして成立するものならなんでも賭けられる。といってもメインは場内でしか賭けられないはずの剣闘試合なのだけれど。ほんと男って血なまぐさいの好きよねぇ。これが昼夜つづくんだからまったくやんなっちゃう。で、何に賭けるの?」
女は心底つまらなそうに一枚の紙をこちらに寄こすとソファーに身を投げた。
リストには今日出場予定の剣闘士たちと対峙する魔獣、それらの健康状態にオッズに至るまでこと細かく書かれてある。素人目にはなかなか一度に理解するのが難しい情報量で、とりあえず場をつなぐためだけに相場の額をかけると女は不思議そうに言った。
「そういえば誰の紹介?」
「酒場で知り合ったバモンという男です」
「え、バモン? あの呑んだくれ、ろくでなしの?」
女は飛び起き、まじまじと私を見、顔にそっと手を触れた。
「その通りですが、どうかしましたか」
「いえだって、彼ってそういう紹介はしないもの」
「ああそうでしたか。でしたら私はこういう者でして」
偽の名刺を見せ、偽の身分を明かす。そしてクロック=リーズリーにまつわる話を集めているのだと言った。これでもし騒ぎとなるのなら即時退散し、顔を変えて新たな名で動くつもりでいたが、女は不敵な笑みを浮かべ囁いた。
「貴方がどこのどなたか存じないけど面白そう。いいわ、裏の裏を紹介してあげる」
裏の裏とはなんだろうか。単純に表ではないようで、女は手を前にかざし新たな結界を張った。客たちの意識がこちらにいかないよう仕向けると、何もなかった壁に突如として豪奢な金製の取っ手が現れる。
「さあこっち。赤の他人をここに入れるなんて初めてのことなんだから、どうせなら、もっと喜んでちょうだい」
「なぜ、私をそのような場所に」
「目を見ればわかるもの。男って多かれ少なかれ権力欲、金銭欲、性欲を持っていて、そのバランスをみれば大抵どういう男か、わかるものよ」
「それは恐ろしい。では私はどのようなバランスでしたか」
「そうね、クッソつまらない男。つまらなすぎて間違っても好きにならないわ」
「……」
なにが彼女の逆鱗に触れたのだろう。私は無言のまま彼女につづいた。イザベラが手に灯した魔術光をたよって暗がりをひたすら螺旋状におりていく。突き当たりの石扉を開けて小部屋へと入った。それは息をのむ光景であった。
「状況はどうかしら」
「はいす、とくに問題な、うえええ!? 誰すかアンタ!」
なかなかに愉快なお仲間がいたが、私はそれより壁一面に投影された映像に目がいった。16分割された画面には駅舎、娼館、メーン通り、路上裏や店の入り口が表示されている。
「表むき合法賭博屋やってるの。裏では違法賭博をやってて、さらにそれを隠れみのに情報屋をやってるってわけ。言っておくけど貴方が高度な魔術で顔を覆ってるのはわかってる。それで私はこの事実を提供したわけだけれど、貴方はこちらに何をしてくれるのかしら」
なるほどこれは。彼女の協力があれば、現状を一気に打破する可能性が見えてくる。私は他人行儀をやめ、素の自分であたることにした。
「君と取引がしたい」
「ようやく本性を見せたのね。けど取引? 情報を買うんじゃなくて」
「腹の探り合いはよそう。見知らぬ私をここに招くこと自体かなりのリスクだ。言い換えればそれだけ切迫した状況にある。欲しいのは金じゃない。違うか」
「……そうねわかった。けどひとつ条件がある」
「なんだ」
「貴方の背後にだれがいるかは知れないけれど、けっしてだれにも、私たちについて漏らさないこと。できる?」
「まったく問題ない。約束しよう」
「……なんで即答なの。なによその真っ直ぐな目」
「結果さえだせばなんら文句は言われないことはすでに実証済みだ」
「ふっ、変な信頼関係なのね、いいわ。私はイザベラ。それじゃあクロック=リーズリーについて情報提供してあげる。とびきりのネタ含めてね」
自身をイザベラと名乗った女は、棚に所せましと並んだ水晶からひとつ手にとって、魔力をこめた。水晶より壁に投影されたのは高級娼館の出入口。二年近くも前の映像である。映っていたのはあの日私が手を貸し、行かせてしまった友の姿にほかならない。
◇
中間期の筆記試験を終え、クロックを赤点をまぬがれ、つぎに待つのは実地試験。
秋が深まり、紅葉狩りが風情なこの時節。
われわれ105期生は毎期恒例の『地獄の二十日行軍』に挑むこととなった。
中央都市カンテラより重い荷をかついで山あいをひたすらすすみ、目的地の同盟都市コークスの山麓にある旧鉱山跡地を折りかえして、ふたたび徒歩でカンテラをめざす。
魔獣はびこる危険地帯は避けてあるが、まったく安全ともいいきれない山中を神経をすり減らしながら、大人ひとり分はあろうかという荷をかつぎ、二人一組となって二十日あまりの工程をひたすら突きすすむ苦行は、まさしく地獄といえた。
なぜこのような実地試験があるかというと、騎士学校卒業生はみな予備兵として登録される。有事の際は徴兵され、カンテラを守る責務を負うことになるからだ。
体力面に不安のあった私は荷の重さを魔術でもってクロックに肩代わりさせた。彼は肉体強化と無尽蔵の魔力をもつためなんら苦にしなかった。ときおりマジかこいつと恨みがましい目をこちらに向けてきたが無視した。試験問題を提供した見返りであったからだ。
紅葉ふる山道。手ぶらに等しい私は彼に少し踏み入ったことを訊いてみた。
「君が本気をだせば首席も余裕だろうに、なぜライグニッツに譲る」
「ん、ああ。俺はこれ以上重荷を背負いたくない。期待されたくないんだ」
言わんとしてることはわかった。彼の立場にならなければ本当の意味で理解はできないだろうが、たしかに英雄の末裔、ガレアの再来と呼ばれるのはさぞ息苦しかろう。そんな彼が弱音を吐く姿を私ははじめて見た。
「なあネト、重いは重いんだ」
「そうか」
「言っとくがダブルミーニングだからな。お前ならとっくにわかってんだろ」
「さてなんのことだか。はやくいこう。なんとしても一番で折り返したい」
「今でも余裕で一位なんだよ! ちくしょう!」
さて、私たちは予定通り八日という過去最短記録で往路を首位通過することに成功してみせた。なぜ首位にこだわるかというと、貴族科と市民科の生徒が手をとりあい結果を残したことを同期、ひいては未来の後輩たちに知らしめるためだ。それがいずれ私の最大利益に繋がると確信して。
その晩、私たちは旧鉱山跡地の山小屋でひとときの休息をえた。汚れきった身体を湯でながし、雨風しのげるあたたかな寝床につく。一日山道を歩くだけでもかなりの重労働で、節々がずいぶんと痛い。
一方でクロックは二人分の荷物を背負いながらもまったく疲れた様子をみせず、小屋の窓から外をぼんやり眺め、ぽつり言った。
「……なぁネト、女抱きたくないか」
「全然ないな」
私は眠けまなこを擦った。
こうなることは初めてから予期していた。彼は無類の女好きであった。騎士学校の規則により禁欲生活を強いられ、また、貴族令嬢に手をだすことがどのようか結果をまねくか、彼は自身の影響力の大きさをよく分かっていたから、手をだすことはしなかった。しかし、もはや限界だった。
彼は煌々とかがやくネオン街をじいと見ていた。男の本能を刺激してあまりある妖艶なマゼンダ色。都市コークスは有数の色街でもあった。私は嘆息した。
「金もない、変装する服もない、実地試験中、それでどうしろと」
「……だよな。すまない。変なこといった」
彼は去勢された狼のように力なく床についた。死んだ目をして天井をうつろに見つめる彼をよほど哀れに思ったか。私はつい魔が差して言ってしまった。
「できなくはない」
「……まじか! それまじか!」
クロックは発情期の雄と化した。もしこれで冗談だと言おうものなから、私が襲われかねない勢いであった。こう見えて私はそれなりに中性的な顔をしていた。
「可能は可能だ。金なら闘技場が夜間もやってるから飛び入り参加して稼げるし、服なら鉱山に捨ててあるボロを着て、稼いでのち新調すればいい。もし見回りの教官がきたとしても、私が君に扮したうえで、私のほうは腹をくだして木陰にいると嘘をいって一人二役をすればいい。日が明ける前に帰ってくれば問題ないだろう。いけるはいける」
クロックはポカンと口をあけ、呟いた。
「……おまえ天才か」
「この状況で、その言葉はいらん」
実をいえば、この話は前々から用意していたものだった。どう考えてもパッと思いつくような内容ではない。闘技場が昼夜営業していて、鉱山にボロ着が捨ててあり、飛び込み参加が可能なことも下調べしてこその情報だ。これで彼に大きな貸しをつくれるとその時は思ったが、しかし考えなおし、本当は言わないつもりでいたのだが。
「よし。そうと決まれば娼館デビューしてくる。じゃっ!」
まったくフットワークの軽い男はそそくさ闇夜に消えていった。果たして彼を行かせてよかったのだろうか。胸中、不安がよぎった。
クロックは無類の女好きで、自分の視界にあるものにしか興味を示さない主人公基質であったが、それでも一本筋の通った男だ。同期の中心人物でありながら、本来なら見向きもしない片隅の生徒クレア=ハートレッドのことを気にかけることもできる男であった。
そんな彼はおそらく娼館のなんたるか、その本質を知らない。思えば彼は世間知らずの貴族令息でもあった。だから何事もないことを願いつつ、疲れ果てた私は彼の顔に成りかわり、結界をはり、そして眠りについた。
◇
「これを見て。実は彼、このころ騎士学校に通ってたはずなの。それがなぜかここにいた。まさかあり得ないって思ったわ。彼になりすました別人かもって。詳しく調べてみたらやっぱり。その日ちょうど実地訓練か何かでこの辺に立ち寄っていたのね」
「じゃあなにか、君がクロック=リーズリーが娼館通いだとの噂を撒いたと」
「勘違いしないで。そんな安い手、使わないわ。そもそも順番が違うのよ。私は彼に関する不穏な噂を聞いて、過去の記録を洗い出したに過ぎない」
「疑ってすまない。それで不穏な噂とは」
「決まってるでしょ。彼を使って八百長をやろうって話。彼は弱みを握られていて、首根っこ掴まれてるって話よ」
「しかしそれじゃ弱いな。私が顔を自在に変えられるように、一定数その力を持つ者はいる。成りすましだとシラを切ればいいだけだろう」
「そうかもしれないけど、誰もがあなたみたいに合理的に考えるとも限らない。人って案外単純なものよ、心で動くものなの。どう、さすがに驚いたでしょう?」
したり顔の彼女に、私は黙考した。クロックが娼館に行ったことは裏の世界では周知の事実として扱われている。これは予想どおりでなんら驚きはない。娼館通いの貴族などいくらでもいる。むしろ得られなかった情報にこそ価値は眠っているものだ。
イザベラはクロックの真相について入り口までしか語らなかった。情報屋ならその先まで調べるはず。これじゃ片落ちだ。単にこの先の事実を知らないのか、あるいは知りながら意図的にこちらに話さない理由でもあるのか。イザベラの情報屋としての能力や信頼性の審議はさておき、とりあえず話には乗ることにした。
「ああ驚いた。驚きついでで悪いんだが、君たちは私に何を望む」
「決まってるでしょう。もうここに長居できそうもないから、最後にそいつら全員の寝首かいて大金せしめてやろうって算段」
彼女は上っ面に笑った。
利害が一致してるようで私は二つ返事したが、やはり釈然としなかった。私同様、彼女は彼女でなにかしら隠してるのだとの確信めいたものを感じた。
地上に戻り、私はすぐさま指揮命令権をもつクロノに連絡をとる。
「こちらクロノ、ずいぶんと通信不可エリアにいたみたいですが何かありましたか」
「いや、ただの空振りだった」
「そうですか、対象者が現地入りしました。追跡願います」
「了解した。座標をおしえてくれ」
表通りへ向かうと対象者はすぐに見つかった。パレードのような群衆の、その中央で立ち往生している黒塗りの礼式馬車に搭乗しているのはかつての友、クロック=フォン=リーズリーである。
精悍な横顔に威風堂々とした居姿は、それだけで見る者を圧倒し、英雄の再来といって差しつかえないカリスマ性をもっていた。彼は群衆の歓声にこたえず、ただじっと前を見据えている。何か深刻に考えてる風であり、それがかえって様になっていて民衆をより惹きつけていた。
剣闘試合の開催は明日。
彼に許された選択肢は、脅しに屈し八百長に加担しようとしてクロノに撃ち殺されるか、それとも要求をはねのけ己が矜持をしめしてのち自死するかの二つのみ。
私は彼の目を見た。
その目を見れば答えは明らかだった。
「クロノ、すまない」
「――え」
私は通信を切った。同僚たちの目から逃れるように群衆にまぎれ、私は私のすべきことに全力を期すため、顔を変え、その姿をくらました。