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英雄の末裔(一)


「それでグレイ、本件において弁明は」


 翌朝、魔核を独断で破壊した件で、私はリリシア課長に呼びだされていた。


「いえ、ありません。いかなる処分も甘んじて受け入れますが、できたなら監査課、特別会計監査官への異動もお口添えくださると恐悦にございます」


 課長はあからさまに眉をしかめた。が、剣呑な目はせず、酷薄な美形に呆れをふくんで零した。


「貴君の実地講習にいくら投じたと思ってる? あの魔核ひとついくらすると思っている? 大口を叩く暇があったらまず収支をゼロに戻してみせろ」


 講習はともかく魔核についてはあれが最善であり、いささか責任転嫁が過ぎるのではないかと思ったが、これ以上舐めた口をきいて悪魔を降ろすこともなかろうて。


「善処します」

「ところでだ、さきほどから私の袖に噛みついているコレはなんだ」

「我が課の大型新人サフィアです」

「にゃ」

「どうみても猫だろ。飼っていいなど許可してないが」

「カステイラ係長より快諾をたまわっており、その旨を課長にお伝えしたく連れて参りました」

「そうか。ならべつに構わないのだが、なぜさっきから私の袖を噛んでいる」

「さあ、噛みごこちがよろしいのでは。サフィアこっちおいで」

「にゃー」


 私はよくやったとその小さな額を撫でて抱きあげた。じつに利口な子である。何を言わずとも私の思いを察し、その本懐を遂げてくれたのだから。褒美として最上級のお肉を進呈してあげよう。


「それよりもだ、早速だが貴君には新たな任に着いてもらう」

「……あの、私は明日から連休をとっており、大事な予定もあるのですが」

「そうも言ってられない事情があるから貴君を呼んだ。過ぎたことをとやかく言うためだけに呼びつけたとでも思っていたのか。こう見えて私は寛大だ。たとえ猫を使って上司への腹いせを企てる不届きな部下であろうともな」

「……それでどういった案件でしょう」

「クロック=リーズリーは知っているな」

「はい、私の同期でしたから」

「ならば貴君の軽率な行動に端を発した事案といえば理解は早いか?」

「……あの、それはカステイラ係長の情報ですか」

「当然だ。世界広しといえど、隠密収集において彼女の右にでる者に私はお目にかかったことがない。貴君の学生時代の暴挙ならば手に取るように把握しているぞ。そうだな、たとえば借金苦の教官を籠絡して試験問題を買いあげ、特定生徒に横流しした件について、今から膝をつき合わせ私と語り合うか? 喜んで聞こうじゃないか」

「……いえ、謹んで任を受け、ただちに行動に移りたく思います」

「そうかそれはよかった。じつに私好みの返事で安心した。では、貴君のその減らず口と変わらぬ働きに期待する」


 こうして私はその日のうちに魔導列車にゆられ同盟都市コークスへと向かう。


 道中夜半、かすかな振動音が腹にひびく寝台で、さきほどから別室のクロノの小言がイヤーカフからずっと止まらない。


「あなたの休みが取り消されるとはそれ即ちバディであるわたしのお休みもなくなるということ。待ちに待ったお休みと、お気に入りだったサファイア石の、どうかその両方をわたしに返してください……ちょっと、ちゃんと聞いてますかグレイ」

「だからすまなかったと言ってるじゃないか。それにあの子にサフィアと名づけたのは君だし、裏でこっそり溺愛してるとカステイラ係長も微笑ましそうに言っていた」

「……っ、またマロンは余計なことを」


 頃合いをみて通信を切り、資料に目を落とす。


 調査対象者クロック=フォン=リーズリー。


 侯爵家の直系子息にして次期当主。そんな彼を人々は英雄の末裔とよぶ。はたして課長のいうとおり、この事案はまぎれもなく私が招いた因果であり結果であった。自らケリをつける必要があることもわかっていた。だから休みをとって独り行動するつもりだった。


 しかしどうしたものか。


 資料を燃やし、寝台に沈みこみ、行きつく未来を想像する。


 どうにもならないものをどうにかしたところで、どうのような結果を招くことになるのか。魔鏡を覗き覗かれるような、けっして答えの見つからない問いに思考を囚われたまま、車窓を流れる夜景をぼんやりと眺め、いつしか眠りについていた。



 不遜な相手に皮肉をのべる際、「君は主人公だから」という言い回しがある。


 主人公とは物語があってはじめて存在しうるものだ。物語といわれ、人はどんな表題を思い浮かべるだろう。我が国では「ガレア英雄譚」がまずまっさきに挙げられる。英雄譚の祖にして、あらゆる物語の礎をきずいた最も有名な時戻りの戦記だ。


 なぜ突拍子もなくそのような話をするかといえば、ガレアは実在した人物であり、史実をもとに生まれた主人公であり、その直系子孫が私の同期に実在するからである。


 クロック=フォン=リーズリー。


 彼は血筋のみならず剣と魔法の才にも秀で、精悍な顔つきもあり、英雄ガレアの再来と名高い侯爵令息であった。貴族科において甘やかな美男であるフロレンスと女子人気を二分する同期の中心人物でもあった。


 騎士学校に入校してまもなく彼の存在を知った私は、自身の将来を盤石とすべく彼に近づいた。彼が貴族科の教室でひとりになったところを見計らい、ガレア英雄譚を手に持って話しかけたのだ。


「市民科のネトだ。もしよかったらこれにサインを貰えないか」

「あ? 敬語はどうした。調子のってると潰すぞ」


 なかなかにハードな初対面であった。さすがは主人公さまである。しかしながら、この最悪な出逢いはすべて計算ずくの演出であったので私は臆することなく言った。


「同期に敬語なんて冗談だろう。それよりこれは初版本なんだが」

「……しょ、初版だと。それに俺のサインだなんて、お前正気か」


 ガレア英雄譚の初版本は発行部数がきわめて少なくかなりの値打ちもので、状態がよければ貴族区に家一軒建つほどの価値があった。思惑どおりクロックの興味が本に逸れたことでタメ口をきくことへのハードルを一気に引き下げることに成功した。


 もちろん何ら功績を残していない彼のサインがこの初版本に刻まれることになれば、この本の価値はまたたくまに暴落し、家宝を実家から勝手に持ちだしたことふくめ、家長の兄上に勘当されること間違いなしであったので私は急いでつけくわえる。


「正気だ。でもその前に、君がそれにふさわしいか判断させてもらえないか」

「……おい、あまり図に乗るなよ市民風情」


 彼は怒りにまかせ腰につった大剣を抜き、上段に構えた。洗練された実に美しい所作。その切っ先が私の手にする初版本へと向けられる。


「何が望みだ? 俺にすり寄ろうというゲスは五万とみたが、お前もその類いか」

「そうだな、たしかにそうかもしれない。だったらこうしよう」


 私は椅子のうえに初版本を置くと周囲に球状結界を張った。


 そして彼に向き直った。


「思いきり斬ってくれ。もしその刃がこの本に達したのなら、その才能を見込んで是非とも君のサインが欲しい」

「それは本物か」

「もちろん本物だ。気になるなら確認するといい」

「いや、どのみち俺にはわからん。そしてお前の意図もさっぱりわからん。斬られたらサインも何もないだろうにな。だが、舐められていることだけは理解した。その言葉、けっして後悔するなよ」


 彼は剣に魔力を送り込んだ。白光する剣身の、ありとあらゆるものを斬るべく存在するその力を極限まで研ぎ澄まし、彼は躊躇なく大上段から振り下ろした。


 球状結界はたやすく破られ、剣は勢いよく初版本へと迫った。が、切っ先が何かに操られたように目標から逸れ、椅子すら掠ることなく床を突き破ると、クロックは驚きのあまり目を見開いた。私はわざとらしく首を横にふって言った。


「そうか、悪いがサインはいらない。時間をとらせて悪かった」


 内心ヒヤヒヤしながら無傷の初版本を抱きかかえ、実家からの勘当を免れた私はひとり廊下にでた。すると背後から笑い声がした。じつに愉快そうに笑い、彼は言った。


「ネトと言ったか。いいだろう。お前のことは覚えておく。次は覚悟しておけ」


 初版本の一件以降、クロックはときおり図書館にいる私をたずねてきた。といっても横流ししていた試験問題を聞きにくるだけなのだが。


「悪いな、恩に着る」

「これを手に入れるのにどれだけ策を労したと思ってる」

「そうは言っても、他の連中にだって流してるだろ」

「当然だ。倫理なき報復でもある」


 私はどの市民グループにも属しておらず、そんな私がこともあろうに侯家のクロックと交流をもつと知った複数勢力が、こぞって私を貶めるべく倫理なき嫌がらせを始めた。真っ向から潰してもよかったが、どうせなら彼らが一番恐れていることで報復することにした。試験問題を横流しして彼らだけには行き渡らないよう画策したのだ。自身の進級が危うくなることが彼らにとって一番恐れていることだった。


「しかしバレないものかねぇ」

「今回で三回目。バレているのならとっくに処分を受けてるだろうしバレても構わない。彼らの主犯格の顔と声に変えて教官に接触してあるからな。むしろバレろ。そして潰し合え」

「……えぐいな」

「ああいう輩は、人の足を引っ張るだけでまったく役に立たない。最近、背後に私が関わってるとようやく理解したか、それとも疑心暗鬼になったのか、何も仕掛けてこなくなった。まったく歯ごたえがないな。もっと私を愉しませて欲しいものだよ、ふ」 

「……お前だけは敵に回したくないぞ」


 とはいえこれは副次的な効用にすぎない。主目的は座学のあやういクロックに恩を着せつつ、貴族科の連中にもさりげなく恩を売ることにあった。


 私の名で情報を流さずとも、その者が市民科の生徒であることはそれとなく伝えてある。これがいずれ両科に立ちはだかる厚い壁に打ちこむ楔となるように。


「そういやあの角で本読んでる女子、クレアっていったけか。お前のおかげて苛烈なイジメもなくなったぽいな。本当はそれも目的としてるんだろ」 

「半分合ってて半分違うな」

「そうなのか、てっきりああいう地味目な女が趣味なのかと思ってたが。磨けばかなり光りそうだし」

「君の目は節穴か。彼女を追いつめたらどうなるか知れない。危機は前もって排除するに限るんだ」

「へえ、ものは言いようだな。ならそういうことにしておいてやる。ああそうだ。約束どおり『地獄の二十日行軍』はお前と組んでやる。まったく感謝しろよ。もし俺じゃなかったら、お前は貴族科の連中に袋叩きだ」

「わかってる。感謝する」

「まったくなにがしたいのやら。お、もしかして貴族科に好きな女でもいるとか?」

「しつこい。これ以上の結界維持は厳しいからもう行ってくれ」

「あーはいはい。なあネト。また明日もここに来てもいいか」

「ああ、構わない」


 これは主人公クロックと脇役でしかない私が初めて出逢い、友人となり、やがて取り返しのつかない過ちを犯すことになる過去の記憶だ。


 今現在、私は鳥打ち帽にコート姿の記者に扮し、炭鉱都市コークスへと降りたった。さきに着いていた同僚ヒースと駅舎で落ちあう。おなじく記者然とした彼が手にする新聞一面には『英雄ガレアの末裔、剣闘の都コークスに来たる』との見出しが大々的に踊っていた。私を見るなりヒースは言った。


「冴えない顔だな。どうしたよ寝不足か」

「そんなところだ。行こう」


 今回、我々に課された任務はクロック=フォン=リーズリーの身辺調査、行動監視、そして場合により暗殺である。

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