金眼の聖女(六)
「ゴートン侯、少しよろしいでしょうか」
「……なんだね、諸用があるのだが」
「そう仰らず。急な用入りが御座いまして」
リリシアは静かな語りでゴートン卿を貴族院の一室に招く。水晶ふたつを卓に並べ遮光カーテンをおろした。暗室の壁面に投影されたのは二つの映像。
司祭エテルが拷問を受けながらの自供。
西方貴族スコット家の屋敷から漏れる煌々とした魔法光。
「このふたつが何を意味するかお分かりいただけますか?」
「……何が言いたい」
「ローア神の秘蹟をまえに、さぞスコット卿も感嘆しむせび泣いたことでしょう」
「……彼は、我が友はつい今し方亡くなった。たんに老衰だ」
「それはそれは。お悔やみ申し上げます。ではもうひとつ」
卓に水晶をひとつ追加する。
映るのは商業十二区のあばら屋で奇病に伏せ、咳き込む市民たち。
ゴートン卿が目をそらした。
「民あっての貴族。さすがに目に余るかと、ゴートン侯?」
「……何が望みだ」
水晶を回収し、ザッとカーテンを開け放ったリリシアは目を細め言った。
「ただちにローア教と手を切ると共に商会、組合ならびにクランの要職に就いている信者をウエストジェムに送還するよう願います。そうですね、たとえば第二魔術倉庫の管理責任者ミギという男。ああ、それと軍部機密をいくつかご融通ねがいたい。魔核、地下に眠るとされる古代都市。そして緋眼の悪魔について」
「……わかった、いいだろう」
ゴートン卿は頷くほかなかった。
◇
ここはローア教が聖地レイセントレア。
大聖堂に隣接する協会本部施設。
大司教コーネリスは、円卓につどう枢機卿らの前にひざまずき、頭をたれた。その額からは脂汗が止まらず、沙汰の下る直前の沈黙が永遠のように感じられた。
「してコーネリス。なんじの失態の数々、今一度ここに並べてみようぞ。
カンテラ魔術倉庫の暴走における取引先喪失。
コークスでのキメラによる対象者暗殺の失敗。
カンテラ大聖堂建設計画の頓挫。
司祭エテルの謀反。
聖女候補筆頭アルエの失踪。
ああ、なんたる失態の数々よ。
なにより半世紀以上にわたり慎重に築いてきたカンテラとの関係の一切をなんじはすべて無に帰した。何か弁明はあるか」
「……いえ、なにもございません」
「とりわけ魔術倉庫の大失態は看過しがたい。なぜ独断でことを起こした」
「……はい、いつも通り司教ルキアスの研究で不要になった実験体を魔核材としてカンテラ軍部に引き渡すことになっておりましたところ、反勢力に察知され、押収されそうになったため、信者の肉体を使って冷凍機能を停止、実験体を解凍、交戦に転じつつ証拠隠滅をはかっていたとき、強大な悪魔の力を見たのです」
「悪魔だと?」
「あれはまさしく聖書に記されし緋眼の大悪魔グアドラの魔力」
枢機卿たちがざわつく。
「なんとしてもその場で滅せねばと急きょ方針転換し、実験体を庫内魔核と共鳴、自爆させ、大悪魔を跡形もなく滅すべく無我夢中で実行したところ、何者かの妨害にあい――」
「それはもうよい、なぜ、黙っていた」
「無断でことを起こし軍部との繋がりが絶たれた以上、貴族への接近と聖堂建設に専念し、私にとっても聖堂建設は長年の悲願でございましたゆえ、やり遂げたのち、追ってその責任をとるつもりでありましたが、今となっては言い訳のしようもございません。いかようの処分も受け入れます」
枢機卿たちは目配せするも結論はとうにでてあり、ひとりの声がふる。
「では沙汰をくだす。コーネリスを司教に降格処分とす」
「……降格、ですか」
「そうだ。二度目はない。一層、主ローアのため使えよ」
「……は、主の深きご慈悲に心より感謝いたします」
コーネリスは頭を垂れたまま一室をでた。死を覚悟し、それが家族、親類、部下にまで及ぶのではと恐々としていたにも関わらず処分はわずかに降格のみ。
なぜ、このような経緯になったのか。廊下を歩き逡巡していると、ふと小柄な青年が目に入る。彼は人好きする笑顔をこちらに向け言った。
「命拾いしたねコーネリス、感謝してよ?」
「……司教ルキアス、わたしになんのようか」
「もう司教じゃない。大司教だよ。君が降りた席に僕がつくんだ。東部国境線は今日から僕の管轄。そんなわけで洗いざらい話してもらうよ。そのために君を生かすよう上申してあげたんだから」
「……」
「さあこっちこっち。せっかく特注のキメラ用意してあげたのにあのザマとは。今日から君は僕の下僕。しっかり働いてよね。じゃなきゃ部下ともども即ペルギスかダストロアの餌箱行きだ」
「……」
「うーん、どう攻め込むかな。弱点はどこか。やっぱ正攻法で大悪魔かなあ」
死んだほうがはるか幸せだったかもしれない。
コーネリスは無言のままバケモノの背につづき研究棟へ向かった。
◇
サフィアは猫である。
ただの猫ではない。
宝石に秘められた力を授かりし奇蹟の猫である。
そして諜報課の一員でもある。
サフィアの一日は忙しい。クロノの枕元で目を覚ますと、市場にでかけ精肉屋の店主からお肉の切れ端をもらわなければならない。グレイがまれに仕事の褒美でくれるしもふりお肉の味が衝撃的すぎてそれには到底およばないけれど、クロノがいつも用意するカリカリを食べるよりはるかマシで、なかなかに美味なのである。
「にゃー」
「おう、またいつでもこいよ」
店主に礼をいうと、さっそくお仕事をはじめる。耳ざわりな街頭演説に辟易しながら路地裏に入り、耳をそばだて男ふたりの会話をきく。しもふりお肉が恋しい。
「まったくあの護衛はなんだったのか。急に四区、六区の候補者いずれもとりやめるなんて」
「さあな。噂ではローア神の秘蹟を解析し、魔術化するつもりだったらしい。信者を介して索敵を広げられるって話らしいぞ。公安にはうってつけだろ」
「それはすごいな。ま、どのみち知らなくていいことは詮索しない。それが公安の鉄則か。うえも何かしら思惑があるんだろうし、ん、何か気配しないか」
「いや、とくに感じないが」
サフィアは音もなくその場を離れた。この程度ならグレイも把握ずみ。大した褒美はなさそうだ。場所をかえて本丸を張り込む。しもふりお肉が恋しい。
「コールマン殿。こたびは本当に助かった」
「いえいえ、礼にはおよびませんよキャロット伯。彼らの企みなど造作もありません」
「それは頼もしい。で、信任状のほうはよかったのか」
「ええ、わたしは根っからの商人。あまり関心がありませんでね。表立って動く必要もなくなった以上、商売に専念させていただきますよ」
「そうかそうか。だが、本当にローア教信者の候補者が全員おりたと知ったときは驚いた。南も北も貴族院もみな危機意識が薄くて困る。スコット卿もタイミングよく老衰で死んでくれて西もしばらくは大人しくするだろう。すべて君の言ったとおりだ」
「恐縮です。これからもご贔屓のほど」
「ああもちろんだとも。と、そうだ。さっそく折り入って相談があるのだがうちの愛娘ココがせっかく省入りしたにも関わらず海外で錬金術を学びたいときかなくてな」
「おや、それはそれは。であれば――」
兄弟でこうも違うものか。サフィアは思った。他人の功績をさも自分のもののように語り、相手に信じ込ませて懐に入る。裏ではいくつもの糸を忍ばせ、もっとも都合のよい糸だけたぐり果実を摘みとる。ここまでくるとむしろ清々しいとサフィアは感心した。
首にさげた水晶に前足をふれ記憶機能を停止させると、サフィアはそそくさその場をはなれた。しもふりお肉げっと。ほくほく顔でグレイのもとへかける。
「今日からお世話になりますアルといいます。まだ眼に慣れずなにかとご迷惑をおかけするかもしれませんが、なにとぞよろしくお願いします」
「指導役を仰せつかったクロノ=リンネです。話は聞いてます。わたしのことはクロノとお呼びください」
「はい、クロノ先輩」
「そうですそれです、まったくその通りです、安心しました」
長かった髪をバッサリ落とし決意とともに語ったアルに敬意を評し、サフィアも諜報課の一員として答えた。
「にゃ」
「あら猫さんですか」
「サフィアといいます。課の一員でとっても賢いんですよ」
「そうですか、よろしくお願いしますねサフィアさん」
「にゃーう」
なかなかの撫でごこちにサフィアは目を細めた。グレイはどこだろう。しもふりお肉が恋しい。
◇
グレイにつづきアルの新人研修の任を仰せつかったわたしですが、アルの有能さはグレイとは別の意味で舌を巻きました。彼女は相手の声を聞くだけで大概の嘘を見破れるのです。目が見えるようになって精度が落ちたとはいえ、諜報課にとってこれほど心強い能力はありません。そんなアルですがひとつだけ難点がありました。
「あの、クロノ先輩。ひとつ相談よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「その、彼に、グレイに告白し、ちゃんと振られひとつの区切りとしたいのです」
これです。
まったく重いのです。
この後輩。
たんにグレイが好きならそう本人に告白して勝手に付き合うなり振られればいいものを、なぜわざわざわたしに相談するか。その相手を探るような視線。まったく勘違いも甚だしい。マロンに聞いたとおり。私はぴしゃり言いました。
「彼はバディで阿呆な後輩。ご安心を」
「……し、失礼致しました」
顔を赤くしうつむくアル。
美人なのに仕草まで可愛いとか。
なんなんですか、職場で恋する乙女ですかまったく。
そしてうちは諜報課。アルがグレイを好いていることは傍から見て明らかなわけで、タイミングを見計らったようにその手の話が大好物なキリィ、セレン、メルが群がりアルを囲みます。
「いやいや、振られるために告白とかないし」
「絶対オーケーに決まってるって」
「アルちゃん美人さんなんだからまず自信もたないと」
免疫のない彼女の肩に手をまわし男を落とすためのテク、化粧、お洒落に至るまで熱を入れて指導をはじめます。アルは耳を真っ赤にして聞き入ります。わたしは嘆息しました。あなた方は暇人なのですか、指導役はわたしなのですが?
まあ好きにして下さい。
すべてはグレイの撒いた種。
あとは彼にまるなげしておきましょう。
◇
アルエに腹を盛大に抉られ復帰してまもなく、私はリリシア課長に呼び出されていた。中央区へ向かう道中、私はつらつらと今回の一件に思いを巡らす。
ローア正教の目的はカンテラの聖堂建設をおしすすめるために市議候補者を擁立すること。さらに西方貴族に信者をつくってその関係を確固たるものとすること。そのために用いられたのが『神の秘蹟』であった。信者の肉体をあやつれるばかりか、洗礼をうけた信者間で生命力の授受すら可能な魔法であると同僚ヒースはいう。ゆえに商業十二区の市民を信者に仕立てあげて生贄とし、死に際のスコット伯を助けることで貴族たちを人心掌握、かつ脅しのネタまで手に入れ、貴族たちのもつ組織票により、ひとりでも候補者が公示されれば当選確実となる算段であり、聖堂建設を一気に進めるつもりであった。
かたや貴族側、とりわけ西方貴族はスコット伯の容態の回復いかんで今後のローア正教との関わりを深めるつもりでいた。もし信者となれば内部機密がローア正教に漏洩するリスクを負いつつも、寿命を延ばせる魅力はいかんとも抗いがたく、それは人類の悲願そのものといえた。錬金部門を創設して百年以上にわたり不死の研究を続けていることからも、それは明らかであった。
兄上はそれを、過ぎたるは及ばざるが如しと形容した。
まったくその通りだと私も思う。
ローア正教の存在はどうしたって多民族国家カンテラの平和と秩序を根底から揺るがし、商売どころでなくなるのは目に見えていた。
さて、本作戦の要となったのは類いまれな映像魔術を得意とするイザベラである。
――ふうん、盲目ね、私の魔術なら余裕よ。
まったく頼りがいある諜報協力者だ。
彼女の特異な魔術のおかげで証拠映像をくまなく残せたし、盲目のアルエに映像でもって真実を伝えられた。なにより魔術眼球を手に入れられた。かわりにイザベラより法外な金品を要求され、しぶしぶクロックに売りつけた初版本の請求書写しをくれてやると彼女は恍惚とした表情を浮かべていた。ふつうこういうときは「あの時の恩を返してあげるわ!」とタダでやってくれるものじゃなかろうか。誤算がすぎる。にしても彼女はなぜ、あのような異質な力をもつに至ったのだろう。興味は尽きない。
ちなみにアルエとは先ほど顔を合わせたものの、
「お、おはようございますグレイ」
「おはようアルエ」
「……アルです。今日からアルになりましたので」
「そうかわかった。よろしくアル」
目も合わずに軽い挨拶をかわすのみだった。彼女としても気まずい部分が多々あるだろうから、今しばらくはそっとしておくべきなのかもしれない。
ふと気づけば魔法省の旧館に着いていた。西方貴族たちの弱みを握った今、内心さぞ獰猛な笑みを浮かべ愉悦に浸っているだろうリリシア課長のいる一室に赴く。
相も変わらず厳めしい顔なされたリリシア課長は椅子に腰かけ言った。
「グレイ、体調はどうだ」
「問題ありません」
「それはよかった。ところでだ」
何だろう。
嫌な予感がしてならない。
ユーモアの欠片もない課長の『ところで』にロクな話などあるわけがないのだから。
「入省して以来ほとんど休みがなかったな。貴君の働きには目を見張るものがあった。よって長期休暇をあたえる」
……。
思いもかけない労いの言葉。
私のささくれだった心に明かりが灯る。
「これから夏真っ盛り。さぞ外壁に囲われたカンテラじゃ暑苦しいだろうと快適な避暑地も用意した。私もちょうど休暇がとれてな。一緒にバカンスを愉しもうじゃないか」
「……」
ああさすがは鬼上官。
まさしく鬼畜の所業。
一瞬にして私は地獄の底へとたたき落とされる。
私は恐々問うた。
「……あの、それは休暇と呼べるものなのでしょうか」
「魔法省外局諜報課、その本分はなんだろうな」
「……」
「むろん他国諜報、工作活動に決まっていよう。要人の亡命依頼だ。ちょうど白狼の件にも進展があった。貴君の同期で国賊のマリアン=ラングストン。最初に交わした約束、けっして忘れたとは言わせまい。グレイ=リースイシュ、バレト公国の潜入工作ならび同行の任をここに命ず。その減らず口と変わらぬ働きに、大いに期待する」
閉口するほかなかった。
他国諜報など冗談ではない。
楽な出世と天下りがいよいよ遠ざかって果てしない。
堪らず言った。
「転属ねがいます」
するとリリシア課長は酷薄な美形に似合わない笑みを浮かべ言った。
「そうか、来世に期待するといい」
第一部、完。
拙作ながら第一部を最後までお読みくださいましてありがとうごさいます。第二部開幕まで今しばらくお待ちくだされば幸いです。少しでも面白いと思っていただけましたらブックマークや、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等よろしくお願いいたします。




