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金眼の聖女(五)

「わたくしは都市ウエストジェムの一切をあずかりしローア正教が司祭エテル。こんな地下牢に閉じ込めて、なにをしでかしたかご理解しておいでですか」

「まあな。かつて俺も似たような立場にあったしな。司祭印つきの手紙も残しておいた。みなお前が雲隠れしたと思ってる。誰も助けになんかこないぞ」

「――あ、あなたまさか!?」

「俺のことはいいさ。それよりずいぶん愉快なことをしでかしてくれたじゃないか」

「な、なんのことだかさっぱり」

「へえ、ならそうだな。お前も商業十二区の彼らと同じ目に合ってみるか」

「え、ちょ、やめ、かってに精神世界に入ら、いや、いやぁあぁああああああ!」

「結局さ、世の中弱肉強食なんだよな。弱いものはあっさり喰われる。女神ローアはたしかに神だ。人智をこえる現人神だ。創造と破壊をつかさどり、慈悲にして無慈悲でもあらせられる畏れ多い方だ。やさしいだけの神なら治癒を施すのにいちいち代償なんて求めないもんな。だが、その代償のおかけで神は強力な奇蹟を我々にお与えくださった。でだ、なにしたよ? 十二区の敬虔な信徒たちに何した?」

「……し、しらない。わたしはなにも」

「あっそ、しらばっくれてると腕が溶け落ちんぞ?」

「いや、いやっ! やめてぇ! なんでこんなに浸食がはやいのよぉ!」

「ハハッ、なんだよく知ってるじゃないか。俺は、野良信者だ。このクソッタレた現実をしてなお信仰を捨てられない忠実なる神のしもべだ。狂信者と言ってもいいな。そんな俺を主はいたくお気に召したらしい。それでこの力さ。で? どうするよ。主は嘘が大層お嫌いだ。早いとこ選ばないと頬がそげ落ち、口も動かせなくなるぞ」

「――言う! 言いますから! お願いだから止めてっ!」

「で? 誰の指示だ? お前はなにをした?」

「わ、わたくしは大司祭コーネリスさまの指示のもと商業十二区に信者をつくりなさいと。だからかりそめの後援会をつくって信頼のおけるあの子にそれを任せて」

「あーなるほどな。十二区の人間がいくら死のうが誰も気にもとめないだろうしな。それで? スコット家との接触はどうした? どんな甘い言葉でささやいた?」

「――!? そ、それは」

「あっそ、じゃあ再開すっか」

「言います、言いますからやめてっ! せ、洗礼をうければ神の秘蹟のもと四肢の痛みが消え、立ち上がれるようになり、その寿命も伸びると」

「よくある常套句だな。四肢の痛みはともかく、あの人数が代償じゃあ寿命なんて一月も伸びないだろうに。けどま、死の際で寝たきりの老人にとっちゃさぞ素晴らしい奇蹟だったろう。で、誰がそれを実行した? お前程度じゃそんな大それた魔法、扱えないだろ」

「知りません、ほんとうです」

「なら他の区の立候補者については? 軍部との関係は?」

「そ、それも知りません。任されたのはスコット伯の洗礼儀式と十二区の後援会だけであとは……」

「あーそういうのね、納得した」

「納得した?」

「なんだわからないのか。もうお前は用済みなんだよ」

「……え?」

「まともに秘蹟もあつかえず、権力にしがみつくだけで言われたことすらしくじり、策をろうする頭もなく、ペラペラと敵に情報を漏らす。そんな奴いらんだろ」

「え、ちが、そんなはずない、そんなわけ」

「お、きたきた。精神パス開けてみたらとんでもない数の刺客がきやがった。お前を刈り取ろうと群がってやがる」

「……えっ、いや、こないで! やめて早く閉じて! 主よ、どうか主よ、敬虔なわたくしをどうかお助けください!」

「おーいいね。この期に及んでじつにご立派な信仰心だ。で? その代償は?」

「……代償?」

「ああ、神はその代償を求めておられる。お前は神に何を捧げる」

「……わ、わたくしはずっと神に尽くしてきたのです! そうです! その忠実な心でもって」

「はぁー、だからさ、お前はすでにその分使い切って何も残ってないんだよ」

「……な、なにいって」

「昔から人一倍信仰にあつかったことは想像に難くないさ。だからお前のもとにアルエ=ヒルスラがもたらされ司祭まで上りつめた。俺はそのあとを訊いている。欲にまみれ、権力におぼれ、形式的な祈りのほかお前は何をしてきた、誰か救ったか」

「……」

「時間だエテル。最期に問おう。お前は何を捧げる」

「……そ、そうです! あの子を、アルエをわたくしは主にささ――ッ!?」

「ほんと最後までクソッタレだったよお前。よしと完成。あとはこの女からつくった石でもって老害に付された秘蹟ひっぺがし、もとの器たちに戻してやればなんとかまるく収まりそうだな。えーと次の段取りは、おっとそうだった。あーあー聞こえてますかー、見えてますかー。ったくこんな水晶ひとつで映像送信できるものかねえ。つか盲目なのに見えるものなのか。あ、ひび割れてきやがった。時間ぎれか。ま、やることやったし、あとはグレイがなんとかすんだろ。こちらヒース、以上だ」


 ――――――。

 

「嘘、こんなの嘘ですっ! 悪魔によるまやかしですっ! なんとか言いなさいネト! エテルに何をしたのですか! なぜこのようなを嘘いつわり、を……」


 しかしその返事はなく、彼はただ力なくわたしにもたれかかるばかりでした。


 「なんで…どうして…どうしてそれがもし本当なら…そう言わないのですか」


 血塗れの彼を抱きしめたままわたしは崩れおちました。それはまぎれもなく神がお示しになった未来そのもので、だとするなら彼はまもなく死ぬことになります。予知夢の示したとおり彼はわずかに口を動かしました。こぽこぽと血の零れる音がし、わずかに聞こえる彼の言葉を聞き逃さぬよう全神経を集中させます。


 彼は言いました。


「これは、願望夢、君が、望んだ、未来」 


 それはあまりに残酷な現実でした。


 死の覚悟をもって示した彼の言葉にわたしはようやく目が覚めました。思い知らされました。そう、これはたしかに願望。予知夢であり願望夢。変えられない未来じゃなかった。立ち止まる機会ならあった。冷静に物事を考えることもできた。しかし願望であるからこそ、人はその未来に妄信し、吸い寄せられるのだと知りました。


 わたしは彼に惹かれていました。友人としても、異性としても。ですがそれは信仰の邪魔でしかありません。だから神に願ったのです。彼の元から去りたいと。ですが、腹の底は違いました。彼を失いたくなかった。誰にも取られたくなかった。自分だけの友人でいて欲しかった。信仰の邪魔になる彼をいっそ消しさりたかった。それは誰しもがもつ心の奥底にかかえる醜い欲望。けっして叶えるつもりのない悍ましい願望。


 神はそれをお許しになりませんでした。わたしはその欲をもたないと神をたばかったばかりにお許しになりませんでした。


 ですから神はわたしの腹の底にある醜い欲望を叶えるための予知夢を啓示し、わたしを無意識のままに誘導して選択を迫ったのです。その信仰心を確かめるために。


 そして今、わたしは最期にして究極の選択を女神ローアより迫られています。醜い欲望どおり彼を殺すのか。それとも予知夢にあらがうか。あらがうとはすなわち神のお導きそのものを否定することでもありますから、賜った神力すべてを失うことになりましょう。


 真実がつまびらかにされ、醜い欲望を白日の下にさらされ、事もあろうにそれをすべて彼に知られてしまっているわたしは、もう迷いませんでした。


 彼の腹部に手をあて、魔力を込め、そして祈ります。


 ――主よ。愚かで未熟なわたしにこの力は過ぎたものでした。今までほんとうにありがとうございました。どうぞお返しいたします。ですから、わたしの命と引き換えに、どうか、どうか彼の傷をお治しください。彼をお救いください。お願いします。


 うそ偽りない、心からの願いは聞き届けられました。


 まばゆい光子が彼の腹部にあつまり傷口がふさがっていくのがみてとれます。代償としてわたしの視界からゆっくりと点描世界が薄れ、その両目から血の涙がながれ、瞼が落ちくぼみ、やがて何も見えなくなりました。


 それでも、真っ暗な世界でわたしは息をしていました。


 ――主よ。こんなわたしでも生きなさいと、そうおっしゃられるのですか。


 彼の胸もとにうずくまり、彼の鼓動を聞き、わたしは血の涙を流しました。慈悲を賜ったわたしはただ主に感謝しました。


 そんなわたしに、突如として背後から声がかれられます。


「終わったのかヒルスラ」

「――!?」


 殺意のこめられた声の主はクロック=リーズリー。彼は淡々と言いました。


「どこの誰かわからないが密書が届いてな。ネトの命が危ないと思ってきてみば、まさかお前だったとは」

「……いつからいたのですか」

「最初からずっとだ。物陰で見ていたさ。よくはわからんがネトが死ぬまでは待つことに決めていた。もし死んでしまったとしても時を戻し、お前の首を刎ねるつもりでいた。だが、そうはならなかった。さすがネトというべきか」

「彼に頼まれたのですか」

「いや、それだけは絶対にない。ネトは一度たりとも『時戻りの力』を求めたことはない。魔法には相応の代償がいる。お前のその眼球が消えてなくなったようにな」

「……そう、ですね」

「それよりも、いつまで浮かない顔をしている」

「わたしは取り返しのつかないことを彼にしてしまいました」

「だろうな。俺もそうだ。だがネトは気にしないさ」

「……そう、でしょうか」

「ああ。腹を抉られる覚悟をもって向き合ったネトの想いをお前はまだ疑うのか」

「――!」

「ネトはいつも仏頂面で素っ気ないからな。不安になるのもわかる。でも今はだれよりも情の深いやつだと俺もお前も知っている。あの日の続きを訊こう。お前はネトをどう思ってる?」

「……わたしは、彼が好きでした。消し去りたいほどに」

「ふっ、まったく重いな。だが、それを言うべき相手は俺じゃない」

「ええわかっています。ですがもういいのです」

「そうなのか、まあ好きにすればいい。俺はいく。邪魔したな」

「そんなことはありません。おかげで心の霧が晴れました。ありがとうございます」

「お互いさまさ。久しぶりに友の顔も見れたし俺はじゅうぶん満足だ。ああ、そうだ、ひとつ言い忘れてたことがある」

「なんでしょうか」

「そいつは最高に策士だ。覚悟しておけ」


 リーズリーはよくわからないことを言って地下道に消えていきました。わたしは彼をそっと床に寝かし、もう真っ暗で何もみえない世界をひとり杖をつき、おぼつかない足どりで歩を進め、来た道を探します。


 もう彼に逢わせる顔がありません。どんな顔して話せばいいのかわかりません。魔力を見とおす眼と予知夢を失ったわたしに価値はなく、教会の禁忌にふれて追われる身。これ以上彼に迷惑をかけるわけにいきませんでした。


 ですが、何も見えず、魔力の尽きてしまったたわたしは入り組む地下道を戻ることは到底不可能であって、もし仮に地上に戻れたとして行く宛もなく、だとすればもうどうしようもなくて、ひとり行き止まりの壁を前にうずくまりました。


 コツ、コツ、コツ、コツ――。


 反響しながらこちらに迫る足音。

 ここは治安の悪い地下道。

 足音からしてネトでないことは明らか。


 わたしは無力だった幼いあの頃のように小さくうずくまって身体を強張らせるばかり。


 目の前で足音がとまり、声をかけられます。


「あれれ、アルエちゃんてばそこでなにしてるの?」

「――そ、その声、カステイラ先生ですか」

「はいはーい正解です。しっかし薄情なものだねえ。まだ意識も戻ってないのに置いてけぼりなんて」

「……ですがカステイラ先生がいるのでしたら」

「あーむりむり、全然だめですね。だってあたしにそんな力ないもん。できて物陰から驚かすくらい? でもほら、クロックくんに先手とられちゃったし。あ、彼見ないあいだにずいぶんいい男になったよね。びっくりした。思わない?」

「あの、わたし先を急いでますので」

「へぇー、目も見えてないのに? 行くあてもないのに?」

「……」

「でもって教会に追われてて、彼に迷惑かけたくなくて、でもなんだかんだそれはぜーんぶ言い訳で、本当は彼に嫌われるのがこわ――」

「違います!」

「そっかちがうんだ。じゃあもうこれ、いらないかな」

「……これって、なんのことですか」

「まったく目みえてないんだよね。なら触って当ててみましょう。どうぞ」


 小さな木箱がわたしに手渡されました。側面の金具をはずし、蓋を開け、なかをさぐるようになぞるとツルツルとした感触の球がふたつ指先に触れます。


「これってまさか……」

「あたしは魔法省外局諜報課の係長マロン=カステイラです。アルエ=ヒルスラさん。是非うちにきてください。それが彼から頼まれた、たったひとつの条件です」


 ああ、彼はいったいどこまで。

 なんでこんな愚かなわたしのことを。


「そんなこと、あっていいのでしょうか」 

「いいもなにも予知能力がなくたってアルエちゃんは優秀だからなんの問題もありません。彼も気にしてません。ひとつ難点をあげるとするなら、ちと重いぐらい?」

「……やはりわたしは重いのでしょうか」

「うん重い。ぶっちゃけ超重いです。もうほとんどグレイくん殺しちゃってたし。彼は彼で平然と受けとめちゃうし。裏をかえせばそこまでしないとアルエちゃん救えなかったらしいけど。あ、グレイって今の彼の名前ね。で、どうする?」 

「彼はこうなることをすべて予想していたのでしょうか」

「うんそうだね。全部計算ずみ。というか織り込みずみ。その眼球をつくった協力者との出逢いは偶然だし、その眼が必要なければそのまま出番がないだけで、でも備えだけは徹底的にする。あらゆる可能性を模索する。神の求める代償さえ計算する。それが彼の友人への矜持というか美学みたいなものなんじゃないかな」

「……そうですか、たしかに彼は必死になってクレアさんの予知夢を検証してましたから」

「ん、どして急にクレアちゃんの話? あれ、まさか、まだ気づいてないの?」

「なんのことでしょうか」

「グレイくんはね、クレアちゃんのことばかりじゃなくて、アルエちゃんを助けるためにずっと必死だったんだよ? そのための検証なの、ずっとがんばってきたの、離れ離れになってもアルエちゃんのこと忘れてなんかないの、だからね、……そのつよい思いがあってこそアルエちゃんは今ここにいるの!」

「……」

「あたしはそう思ってる。でも、言葉って口にしないと伝わらないものだから」

 

 嫉妬の渦が嘘のようにほどけ消えていくのを感じました。

 

「あっ、今のグレイくんには内緒だよ。じゃないと怒られちゃう。なんだかんだ照れ屋さんだからね。まあともかく返事はどうする?」


 答えはもうずっと最初から決まっていました。


「はい、よろしくお願いいたします」

「うんいい返事だね。こちらこそよろしく。何かお望みのネームとかある?」

「アル、がいいです」

「あれま、ありふれた略称だこと。さすがに自分の名前もじっちゃうのはリスクあるかなぁ。ま、それは追々として、とりあえずそれ嵌めてみよっか」

「あの、これはどちらが前にくるものなのでしょうか」

「あ、確かにわかりずらいよね。どれどれ、あたしが嵌めてしんぜよう。おわぁ、あらためてグロですな。ホントこれ中身知らなくてね、グレイくんもなか見るなって言わないものだからこっそりのぞいてみたのね。ふつう見るよね。そしたらまさか目玉ふたつで、その瞳がこっち見てて、うぎゃああ、て危うく落っことしそうになったんだから。あの目の配置は絶対わざとだよ。まったくグレイくんはイタズラがすぎます。よしっとこんなものかな。じゃあ目つぶって。それから眼底に魔力をこめて充填してあげましょう。ゆっくりとやさしく、まんべんなくだよ」

「はい」

「どう、いけそう? 最初になに見るか決めてある?」

「はい」

「だよね、じゃあこっちこっち」


 カステイラ先生のちいさな手に引かれ、わたしは来た道を戻ります。


 彼のかすかな寝息を立てる声がして自然と胸が高鳴ります。はじめて見る彼の顔。わたしはそっとのぞき込むようにその目を開けました。


 脳がまだ順応しきれていないのか、ピントが合わずぼんやりとした彼の姿がうつりました。


 その顔は端正で、無愛想で、理知にとんでいて、それがあまりにも想像通りすぎて驚きました。ほんとうにどこまでも嘘のない人だったのだなと、わたしは彼の袖にしがみつき、思うままに泣き暮れ、今この時があることを心から彼に感謝したのです。

顛末は次話へつづく

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