金眼の聖女(四)
「アルエ=ヒルスラ、つつしんでお受けいたします」
司祭エテルより命を受けたわたしは西方都市ウエストジェムの神学校から中央都市カンテラの騎士学校へと籍を移すことになりました。
表面上は恩師や女学友たちとの別れに涙をうかべながら、しかし腹の底では欲にまみれた俗人たちに憐れみを抱きながら神学校をあとにしました。
新生活にわずかな期待をこめて、カンテラと四つの地方都市から選りすぐりの人材があつまるとされる国家試験を受験合格し、国立中央騎士学校の門戸を叩きます。
しかし所詮、俗人は俗人でした。
いくら優秀と目される頭脳であろうと私利私欲におぼれ、嫉妬が絡みあい、いがみ貶め合うさまはなんと浅ましい煩悩たちでしょう。神学校のうわべだけ取りつくろった偽善の箱庭とはまたべつの息苦しさをおぼえます。
わたしは生まれつき目がみえません。ですが目がみえずとも主ローアより加護を賜ったわたしは万物の魔力をみとおせます。
眼前には無数の粒子が星のようにまたたき、その魔力密度からおおよその人の姿かたちをみてとることができます。人がどのような顔をし、自分がどんな顔をしているのかまではわかりませんが、目がみえないことでほかの感覚器官が研ぎ澄まされた私は、さらに信仰を深めることで、いつしか声と魔力の流れから人の嘘や欲が自然と読みとれるようになりました。
入学早々、わたしは困難に直面しました。異性のいる学舎は初めてでしたが、次から次へと悪魔たちが言い寄ってくるのです。わたしは相手の顔をはっきりと認識できませんから、とりわけ容姿に自信のないであろう者たちがあわよくばと下心を剥きだしに、上辺だけの麗句を並べたて、愚かにも私をたばかろうとしたのです。
隠しきれていない下心を前に、たちまち背中の痒くなったわたしは、悪魔たちを罵詈雑言で蹴散らし、ようやく平穏な日常を手にしました。
それからといもの淡々と時は流れ、変わりばえしない日常のなか、わたしはふと異質な同級生をみつけます。その者の魔力は平凡ながらいつもおだやかなに流れ、欲や嫉妬にかられることなく、少々傲慢なもの言いでしたが、どんな相手にも分け隔てなく接する態度はまさしくローア教信者の鏡ともいうべき存在でした。
彼の名はネト=コールマン。
わたしはひそかに彼の観察をはじめました。もしかしてわたしと同じ境遇の同士かもしれない。しかし現実そううまくいきません。彼にもやはり裏の顔がありました。わたしでなければ見破れないであろう高度な魔術結界を図書館の一角に張りめぐらせ、試験問題を生徒に横流ししていたのです。
しかもその相手は悪魔のなかの悪魔クロック=リーズリー。性に依存し、歪みきった感情を隠そうともせず、まっさきにわたしに言い寄ろうとした肉欲の権化。思いだしただけでも虫唾が走ります。
こうして彼への関心を急速になくしたわたしは無為な日常へと戻ります。わたしの役目はカンテラに女神ローアの信仰を浸透させ、人々を原罪から救済すること。たとえ教会内部が派閥争いに宗派分裂が絶えないとしても、それが主ローアのお導きであるのなら、今しばらくは目を瞑って勉学にはげみ、来たるべきときに備えるのがわたしのつとめとなりましょう。
目がみえず免除された地獄の二十日行軍が終わり、北より吹かれる木枯らしが雪のおとずれを報せる初冬となる時節。ある昼下がりのこと。
ふと廊下でひときわ高密度の魔力をはなつ人影がよぎります。奇異な光を煌々となげる英雄の末裔クロック=リーズリー。なぜこのような愚か者が、わたし以上の神力を宿しているのかと忌々しく思っていたところ、ある違和感に気づきました。
え、うそ、ない、あれだけの情欲と原罪はどこへいったというの!
あまりの衝撃に、気づけばわたしはリーズリーに詰めよっていました。
「なんでもない、いつも通りだ」
彼はシラを切り通しましたが、声と魔力の乱れから嘘をついているのはあきらかでした。わたしは必死になって原因をさがしひとつの結論に行き着きます。
そう、ネト=コールマンが彼の原罪を取り払ったのではないか。
その可能性を見いだしたとき、わたしは同士の存在を知って心の底から喜び震えるとともに、自身の愚かさに心押し潰されそうになりました。
彼が必死になって、国の行く末を左右するかもしれない英雄の末裔の救済に奮闘するなか、わたしはむげな日々を過ごしてしまったことを主に懺悔しました。
それからというものわたしは悩みました。このように怠惰で愚かであった自分がどのような顔をして彼に話しかければよいのか。しかし、それも杞憂に終わりました。なんと彼のほうからわたしに話しかけてきたのです。
「君は鉄の聖女と言われているそうだな」
相変わらずの口調でしたが、わたしにはもうわかっていました。『鉄の聖女』とはつまり女神ローアに使えるわたしを敬虔な信徒として認めてくれたのだと。ようやく同士に巡りあい、これこそ主がわたしを騎士学校へとお導きくださった理由かと思わず頬を弛ませ、わたしはこたえます。
「そのようですね、こんにちはネトさん」
彼は言いました。
「私は楽な省庁に就き、楽な仕事で出世を重ね、盤石な地盤のもと天下り先で安泰な生活をおくるために君が利用できないか、探りをいれるため話しかけてみた」
…………は? え、は?
わたしの頭は真っ白となったのです。
まず、結論からいうと彼は怠惰きわまる阿呆でした。
ただの阿呆でしたらまだ救いようもありますが、彼は難攻不落の阿呆であり、わたしを幾度となく困らせました。それでも彼の隣にいると不思議と心落ちつきました。
改心さえすれば、さぞ立派な聖人へと生まれ変わり、多くの罪人を救うであろうと見込んでいた彼でしたが、しかしまったく主ローアに興味を示そうとしません。
彼の関心にあるのはわたしの嘘を見ぬく力、そして未来を見とおす力。
とりわけ未来を見とおす力に興味をだく彼に、わたしは覚悟をきめ、誰にも話したことのなかった自分の過去について話すことにしました。これもまた主ローアのお導きであると、自然とそう思えたのです。
未来を見とおす力に目ざめたのはちょうど五歳の誕生日。目もみえず穀を潰すだけの幼子がこの世に生をうけ、年がちょうど四度めぐり、村の因習で五穀豊穣をねがう供物として火に灼かれ、灰の肥料となって捧げられることになっていた日。
その昨晩、櫓倉庫でひとり泣きながら眠りにつくとある夢をみました。
真っ暗なキャンバスに白や青、赤の点描で形をなした世界。曖昧ながらはじめてみる世界。そんな夢の世界で、わたしは幼い足で必死になって木立をかけ、街道とおぼしき開けた道にでます。そこにちょうど馬車がやってきて「迷える子よ、お乗りなさい」と救いの手が差しのべられるのです。
すぐに目が覚め、そして息をのみました。生まれてずっと真っ暗だった世界に色鮮やかな点描世界が写しだされていたのです。わたしは一縷の望みにかけました。普段から聞きわけがよく、目も見えず、ひとりで遠くにいけないわたしは拘束されることもなかったので簡単に倉庫から逃げすことができました。
むかう先が北なのか南なのか、あたりは鬱蒼としげる山麓で、どの木立を抜ければいいのか、なにもかもわかりませんでしたが、無心になって駆けていると本当に夢でみた街道があらわれ、馬車がちょうど立ち止まり、「迷える子よ、お乗りなさい」とまったく夢と同じことがおきたのです。彼女はエテルという修道女でした。
まもなくわたしは孤児院に入りすべては主ローアのお導きであったと知るのです。
「予知夢とはつまり天啓なのです」
この話を引きあいに彼を説きました。彼は「そうか」とだけ言いました。誰にも打ち明けたことのなかった恥部をさらしたにも関わらず、そのうすい反応に内心憤りましたが、かといって同情されたいわけでもなく、結局わたしはなにがしたかったのか、自分でもよくわかりませんでした。
わたしの献身的な協力にもかかわらず、彼は予知夢に懐疑的な立場をとりました。いくども検証をかさね主ローアの神通力を知ってなお、こう言い放ったのです。
「未来を知らずにその未来に至り、未来を知ってなおその未来を避けられないのであれば、ある種、呪詛に近いな」
「なんてこと! たとえ貴方であろうと主への狼藉は断じてゆるしません!」
「感情に訴えても本質は見えてこないぞ」
「そうではなく言い方とか配慮の問題でして!」
彼は臆することなく本心でわたしにぶつかってきましたが、仲違いすることはありませんでした。彼はけっして嘘をつかない。わたしに接するうえで何より大切にし、それを理解していたわたしもだから本心でぶつかれました。それはもう親しい友人といって差しつかえなく、傍からみればそれ以上の関係に見えたことでしょう。
彼はわたしと図書館で会うにあたり、もう結界を張ることはありませんでしたので、そのことは周知の事実として同級生たちに知られていました。
「ねえねえヒルスラさん。やっぱり彼と付き合ってるの」
「はぁ、貴方もそれですか、いい加減戯言はやめていただけません?」
わたしは女神ローアに捧げた身。そのようなことは決してあり得ないですし、彼にもそのような邪な心はみてとれません。それでも少し得意な気分にはなれました。あの愚かな男クロック=リーズリーと違い、堂々と友人でいられることに優越感をおぼえたのです。雑音は雑音でしかなく、今日も彼を改心させるべくわたしは図書館へと足を運びます。
「ご機嫌いかがですかネト」
「まったくクレアが警告をことごとく無視するんだが」
「言ったでしょう。未来は変えられないと」
ただ、ひとつ気にかかることがありました。彼はしきりにクレア=ハートレッドという同級生を気にかけ、事あるごとに彼女の話をします。彼女はわたしとおなじ後天性の覚醒者のようで、日に日に体内に宿す魔力源泉が紅く、強く輝きはじめていました。その力をみるたび、なにかモヤモヤと胸のうちに霞がかかるような気持ちになっていきます。
「ん、どうかしたか」
「いえ、なんでもありません」
いずれ彼はわたしの力に関心をなくし、彼女のもとへ行ってしまうのではないか。そんなことばかり考えてしまいます。クロック=リーズリーの件もありました。それとなく訊けば、ある日を境に完全に交友関係を絶ったといいます。もし期待に応えられずにリーズリーと同じ立場におかれたとき、はたしてひとり残されたわたしは以前のような孤独な日常に耐えられるのか。それほどまでに彼の隣にいることに安らぎをおぼえ、彼と語らう時間に喜びを感じ、生まれてはじめて人と接して楽しいと思えたのは隠しようもない事実でした。
そんな折、あの愚かな男クロック=リーズリーがわたしの前に立ちふさがります。
「アルエ=ヒルスラ。明後日の一年最終課題に俺と勝負しろ」
「どういう風の吹き回しでしょう。わたしになんのメリットがあるというのですか」
「メリットならある。お前が勝った暁にはネトのことをなんでも教えてやる。俺とネトが関係を絶った理由でも知りたいんだろう」
「……っ」
まったくこの男、本当に生理的に受けつけません。しかし理解はしました。「お前がネトのそばにいるにふさわしい人物か見定めてやる」とでも言いたいのでしょう。
「未練がましいのですね、まったく気持ちのわるい」
「何とでも言え。その通りだからな。で、どうする。俺が勝ったらいくつか質問させてもらう」
「いいでしょう。そちらも二言ありませんね」
「ああ、俺が負けるわけもないからな」
わたしはそのことを隠さず彼に伝えました。
彼はまた「そうか」とだけ言いました。
そこに嘘はなくとも、どうとでもとれる便利でずるい言葉。それは過去の友に向けたものなのか、目の前にいる友を案じてのことなのか、もしかしたらその両方なのかも知れませんが、たとえ勝ち目がうすくとも、この不安から抜けだすため、わたしはリーズリーと決闘を挑むことにしたのです。
主ローアの司る力は治癒。
治癒とはすなわち創造。
創造は破壊と表裏一体をなすもの。
唯一、戦闘向きである破壊式を駆使し、わたしは応戦します。
魔力を砕き、血肉を裂き、罪心を浄化する力。
ですが、実力差は歴然としていました。わたしは雪のかぶった芝のうえに組み伏せられ、冬空を仰ぎ見ました。リーズリーは見下ろすかたちで問います。
「お前はネトのことが好きなのか」
「ええ、友人として」
「ならなぜ、そんな浮かない顔をしている」
「わかりません。最近不安でしかたがないのです」
「それはクレア=ハートレッドのことか」
「……」
「そうか、もういいわかった」
リーズリーは興味をなくしたようにわたしから離れます。
「待って、なにをわかったというのですか」
「お前は俺とは違ったということだ」
「違った? なにが違ったというのですか」
「まったく重いなヒルスラ。いつまで自分に目を背けている」
重い? 目を背けている? 一体この男は何を言ってるのでしょう。まったく理解のできない言動に腹の虫がおさまらないわたしは、それと悟られないようネトから離れた観席に腰をおろしました。彼はああ見えてとても気遣いのできる人ですから、こちらが来て欲しくないときは察してくれます。
クレア=ハートレッドが校内闘技場に現れ、フロレンス=ライグニッツと中央で向きあい、たがいに構えます。
クレア=ハートレッド。実技試験において一年を通して進級当落線上にいた彼女が首席生徒フロレンス=ライグニッツに決闘を挑むにあたっては、それ相応のリスクがともないます。勝てば首席になれる一方、負ければ間違いなく無謀な挑戦として落第となり退学となりましょう。
わたしの目に映るのは滔々とやわらかな橙の光をなげるフロレンス=ライグニッツと、それを飲み込み食いつくさんばかりに異形の紅い輝きをはなつクレア=ハートレッドの陰翳。
息をのみました。
その暴虐的で禍禍しいばかりのバケモノの陰翳に、なぜネトがしきりに彼女の存在を危惧していたのか、ようやく身をもって理解し、思わず声が漏れました。
「ああよかった」
え、何を言ってるの。
主ローアを脅かす諸悪の根源を目の当たりにしてなお、どうしてそんな言葉がまっさきにでるというのでしょうか。感じた違和感に戸惑っていると、彼女は地面を踏みならしました。
またたくまに闘技場の雪面が魔方円陣で真っ赤に埋めつくされ、暴力的なまでの魔力の奔流が雪を一瞬にして溶かし、芝をめくりあげ、大地をなにかしらの物質へと再構築していくなか、円陣の奥底より血に飢えた大眼がこちらの世界をのぞき、その紅い瞳でギロリわたしを睥睨したのです。
――死ぬ
そう思った時にはわたしの身体はすでに宙を舞っていました。爆風に吹き飛ばされたらしい身体は、しかしなぜか地面に打ちつけられることなく、やわらかな着地をし、その身体はわずかに浮いたまま誰かに抱えられていたのです。
密着する細くも鍛えぬかれた身体。彼は私の耳元で言いました。
「大丈夫かアル」
「……アル?」
「君は友人だ。親しみをこめて言ってみたのだが変だろうか」
とたん何か嵌まってはいけないピースがかちり嵌まり、わたしは未だかつて感じたことのない感情が腹の奥底から大蛇のように全身のたうって、身を焦がすのでないかと錯覚するほどの熱に冒され、おもわず彼の腕を思いきり振り払いました。
「嫌だったか、すまない」
わたしは何も言わずその場を走り去りました。
自室に戻り、鏡台の前に立ち、荒い呼吸をくりかえし、自身の魔力をみとめます。
うそ、そんなのうそ……!
そこには心底嫌っていたはずの欲にまみれた俗人が立っていたのです。
どうか、どうか愚かで卑しいわたしをお許しください、主よ!
わたしは懺悔をくりかえし、おさまらない火照りを冷水でなんども打ち祓い、いつしか倒れるようにして意識をなくし、そして夢をみました。
近くも遠くもない未来のこと。図書館の一角、おだやかに包み込むような魔力を湛える彼の姿がみえます。その隣には禍禍しい紅い輝きの陰翳があって、ふたりは愉しそうに会話を弾ませていました。そこにはもうわたしの居場所はありませんでした。
目が覚めると涙と嗚咽が止まりませんでした。冷え切った身体を毛布に震わせ、息を殺し、泣きつづけました。主はわたしの罰をお許しになるとともに、その代償として彼の隣をクレア=ハートレッドに取って代わられると、そうおっしゃったのです。
わたしは泣き暮れました。主に許された喜びよりも彼を失った悲しみがはるか上回っている事実を知って、そんな罪深い自分が愚かしくて許しがたくて、それでもどうしようもなく悲しくて、ぐちゃぐちゃの頭のなか力尽きるように眠りにつきます。
夢にはまだ続きがありました。
さらにさきの未来のこと。わたしは彼を抱いて慟哭していました。わたしの腕に抱かれた彼は、胴にぽっかりと穴があいていて、それはまぎれもなくわたしの破壊式がもたらした結果であり、彼のあたたかな光子が大地へと勢いよくこぼれおちるなか、彼はなにか小さく口を動かしたあと、身に宿す光を失い、天に召されていったのです。
◇
幸せと苦しみが押し寄せてあっとう間だったかけがえのない半年の記憶とともに、神のお告げの下、わたしは自らの手で彼を葬らなければならない時がきました。
「お久しぶりですねネト」
「久しぶりだなアルエ」
わたしはじめて彼の嘘をみました。
「……嘘つき。どうぞ死んでください」
もう躊躇することなく破壊式を発動させます。
放たれた魔法は結界を砕き、その胴をあっさりと貫きました。
「……なぜ、なぜなにも抵抗しなかったのですか」
「君が、それを、望むのなら、私は、受け入れる」
望む? 受け入れる? 何を言っているのですか。 貴方はずっとわたしをたばかりつづけて、もう友人でもなければ、信徒たちを死の淵に追いやった悪魔の分際で、
「何を言って……」
呆然と立ち尽くすわたしの掌に、ふと固い石の感触がしました。彼は死に損なった身体に最期の力を振るい立たせ、血にまみれた手に手を重ね、わたしの掌に魔力をこめました。
石がさらさらと砂となって消えていく感触。
とたん手から脳へと貫かれる異質な魔力。
脳裏に浮かぶのは生まれてはじめてみる色彩世界。
ただ、それはけっして美しくしいものではなく、
なにこれ、やめて、ちがう、うそ、いや、いや゛ぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
残酷でゆるしがたい現実と、白日の下にさらされたおぞましい欲望をもってして、その真実はなさけ容赦なくわたしの脳髄を焼きつくすのです。




