金眼の聖女(三)
「アルエさま、司祭エテルさまよりお手紙です」
「あら、ご苦労さまです」
明後日に公示をひかえ、いよいよこれから選挙という頃合い。わざわざ使いまで寄こしていったい何があったのでしょうか。使者も立ち去ることなくその場に待機したまま。不思議に思ってなかをみればミズリ=スコットが立候補を辞退、わたしはただちに省庁を辞してカンテラを離れ、ウエストジェムに帰還せよとのこと。
あまりのことに茫然と立ち尽くすわたしに、運動員のみなさんは心配そうに様子をうかがっています。
「大事なお知らせがあります。どうやらわたしは一度、司祭さまとお話してこなればなりません。すぐ戻りますのでその間リスカさんにお任せしてよろしいですか」
「は、はい! なんなりと!」
候補者ミズリ=スコットの辞退ついては一度もこちらに顔見せしないことからうすうす覚悟していましたが、まさか二年も騎士学校に通わせ省庁入りさせたにも関わらず、その職を辞してウエストジェムに戻らせるなんて夢にも思っていませんでした。事実確認をとるべく使者をつれ魔導列車で急ぎウエストジェムへと向かいます。
「アルエ、こたびの件は残念でしたがこれも神のおぼし召しです。次なる役目まで、今はその羽をゆっくりとやすめなさい」
司祭エテル。ウエストジェムの教会はじめ修道院、神学校、孤児院をとりしきる指導者にして、わたしを孤児院に拾いあげた恩師。わたしは彼女に進言します。
「今回の活動を通じ、信仰にめざめた彼らを導く責務がわたしにはあります。なにとぞお考え直しください」
「いいえなりません」
「それはなぜでしょうか」
「大司教コーネリスさまよりお言葉があったのです。すみやかに貴方をここに帰すようにと」
「大司教さまが、ですか」
「ええそうです」
エテルの魔力にわずかな乱れがみえました。あきらかな嘘ではありませんが、なにか後ろめたい声音でした。
わたしは自ら望んで十二区の後援会長となりました。それは魔力に乏しく貧しい暮らしを強いられている彼らこそ主ローアの救いの手があってしかるべきと考えたからです。結果、まだ道半ばであるものの着実にその信仰は広がりをみせ、その秘蹟をうけて魔力を灯した信者はすでに二十人におよびます。ですが、総本山におられる大司教さまがわざわざ辺境の地についてあれこれ口をはさむのもおかしな話。
「コーネリスさまはこうもおっしゃられていました。貴方が悪魔を引き寄せたとも」
「――!? そんなはずはありません。この眼でたしかに、」
エテルは声高にかぶせ言います。
「アルエ! 大司教さまのお言葉は神のみことばであると知りなさい!」
必死な言葉にわたしは何も言えなくなりました。たとえ彼女がわたしを出世の道具としてしか見ておらず、敬虔であった彼女がいつしか欲にまみれようとも、わたしの命を拾いあげた恩師であることにかわりありません。
それに『貴方が悪魔を引き寄せた』との文言に嘘はなく、わたしの身を案じていることもたしかなようでした。
「承知しました」
わたしは教会の宿舎に身をおくことになりました。司祭エテルに羽をやすめるよう言われましたが、実際にその暇はなく、すぐに教会に足を運びます。二年ぶりに助祭としての務めに追われ、夜礼拝に訪れる見知った信者たちに久しぶりの挨拶を交わしていたところ異物が三名、いえ四名、夜礼拝に交じっているのがみてとれます。
「レビー、あの者たちは」
「はい、昨日から通いはじめた信徒さんたちですね。寄付もたくさんされて、連日通うなんて、さぞ主のすばらしきお導きがあったのでしょうね!」
「そうですかわかりました」
夜礼拝が終わり、信徒たちが帰路につくなか、わたしは若く背の高い男を追うことにしました。彼は女神ローアの祝福をうけてひときわ輝いてみえましたが、その魔力のありようはうちの宗派とは似て非なるもの。つまり他宗派の工作員かなにか。
わたしは宵闇を濃くした参道を灯りなしに進みます。目の見えないわたしに昼夜は関係なく、万物にやどる魔力の粒子をみることで夜でも迷いなく歩くことができます。遠くからその人影を見通すこともできます。案の定、彼ら四人は大通りの一角で合流し、なにやら話し込んでいました。
わたしはかつての友人が得意とし、ひそかにそれを模倣した索敵魔術を発動させます。周囲の共鳴振動からノイズを取りのぞき、彼らの声のみを拾います。
「あの女がいるなんて作戦にありませんよ! あとでとっちめてやりませんと」
「グレイのことだ。あえて言わなかっただけかもしれない」
「つかマジ美人だった。グレイうらやましい」
「は? そんなことより作戦どうするかじゃん」
「変更はない。明日決行だ。これ以上は怪しまれる。解散だ」
『あの女』とは急遽教会に顔をだしたわたしのことでしょうか。
だとすると、わたしも調査対象にありますね。
それにグレイという固有名詞。
そしてなにかしらの決行が明日。
散開した以上追えるのはひとりだけ。もっとも脅威とみられるリーダー役の男をひきつづき追うことにしましたが、その足取りは突如として途絶えました。あの警戒のしようと建物を利用したみごとな撒き方は暗部組織かなにかでしょうか。
ふと彼らの会話に引っかかりをおぼえます。
――つかマジで美人だった。グレイうらやましい。
それはつまりグレイという人物がわたしと親しい関係にあるということ。あるいは何かの隠語でしょうか。わたしにそのような相手はいませんから、そもそもの前提として『あの女』がわたしでない可能性も考えられますが……。
なぜかぎゅっと胸がきつく締めつけられる思いがしました。
唯一すべての辻褄があう人物に心当たりがありました。表むき彼はすでに死んでいて、もしかしたらあの予知夢もなかったことにできるのではと仄かな期待を抱いていましたが、やはり無理なようでした。
あの日、彼に別れを告げて以降、散々ひとりで悩み苦しみ、今になってようやく商業十二区での布教活動を通じて気持ちが上向いてきたところだったのにも関わらず。
どうしてわたしが彼を手にかけなければならないのでしょうか。
しかし天啓は主ローアのおぼし召し。
逆らうことなど許されません。
暗澹たる想いで帰路につき、宿舎でエテルをさがします。
「あらアルエ、執務室になんの用ですか」
「いえ、あなたにですエテル」
「わたくしに? なにかしら」
「教会に他宗派とみられる信者が紛れこんでいました。決行は明日との会話も耳にしました。なにか心当たりはございますか」
「い、いえなにも」
「そうですか、では」
あの魔力の乱れと声のうわずりよう。あきらかに嘘をついています。わたしが嘘を見抜けることをエテルは知りません。そんな彼女の反応はうしろ暗いものがありました。となると先に手を出したのはエテルで、報復の可能性もあります。でしたら自業自得というもの。とりあえず様子をみることにしましょう。
なにか大事があれば今晩、予知夢によって主よりお導きがあるでしょうから。
ですがその夜、夢をみることはありませんでした。
そして早朝エテルは失踪しました。
教会内が騒ぎにつつまれます。司祭印の押された置き手紙があったことから、連れ去れられたわけではなく自らその姿をくらませたようですが、もしかするとわたしの昨日の発言を受け、危機を察して雲隠れしたのかもしれません。
わたしはそのまま魔導列車へと乗り込みます。エテルがいなくなった以上わたしへの命は解かれます。宗派のいざこざ程度であれば死者もでないですし、わたしがここにいても迷惑なだけでしょう。エテルがわたしを利用して司祭まで駆け上がった過去を踏まえれば、エテルだけでなくわたしを妬みひがむ者も多いですから。
それよりも今は立候補者ミズリ=スコットの辞退をみなにどう伝えるか。公示は明日です。懸命にやってきた彼らを思うと心苦しいばかりで、それでも結局は自分の気持ちを偽ることなく正直に伝えるのが一番なのでしょう。それは彼を通じて学んだことのひとつ。
夕暮れどき、駅舎につくとわたしは足早に南出口をくだります。
今ならまだ明日の公示前に自分の口から伝えることができます。
高くそびえたつ外壁で日は翳り、曇天にしめった路地をぬけ、奥まった木造平屋の扉に手をかけます。
「みなさんただ今もどりま……し、た」
しかし、賑やかだったあの日々はもうありませんでした。
みな床に伏せって咳き込んでいたのです。
「どうされましたか! 大丈夫ですか!」
「あ、アルエさまおかえりな、がはごほっ、ちょっと風邪ぎみみた、ごほっ」
「無理せず横になってください。すぐに主の加護を授けますので」
わたしは急いで治癒の力をミムさんにかけ、その代償にブレスレット石がひとつひび割れました。しかし、ミムさんの容態はいっこうに上向きません。
どうして! どうしてなにも起こらないのですか、主よ!
繰り返し治癒の力を行使するも、まるで雲をつかむような手応えのないはじめての感覚に頭が真っ白となります。ふと、大司教さまの言葉が脳裏をよぎりました。
『悪魔を引き寄せた』
わたしは急いで床に伏せった人数をかぞえ、咳き込む声に耳を澄まし、誰が病に倒れたか調べました。すると案の定ひとり足りません。それは耳が聞こえず、声を発せないという青年ルーズ。苦しい境遇におかれながら、いつもおだやかな魔力を体内に灯し、唯一信者でなくともぜひ後援会に参加したいと言ってくれた彼の姿がありません。
わたしは信者でないことを承知のうえで彼を受けいれました。それは魔力のありようがどこか騎士学校時代の彼に似ていて、今度こそ主ローアのお導きがあればと、なかば自分本位に決めてしまったのです。
……まさか。
わたしはとんでもない失態を犯したことに気がつきます。はたして青年ルーズは本当に耳が聞こえず、声がだせなかったのか。声を聞けなければわたしはその嘘を完全に見抜くことができません。しかしそうだとするとオカシイのです。嘘を見抜く力を詳しく知るのはたったひとり。そしてルーズという青年は不思議と彼に雰囲気が似ていて…………ま、まさか、まさかそんなこと。
信じれない真実をまえにわたしは腰からくだけ落ちます。目の前には咳きこみ苦しそうにする信徒たちがいて、みれば体のあちこちが黒い粒子に浸食され、触れば皮膚は液状にひどく膿んでいました。わたしは手を合わせ神に祈りました。
主よ、どうか迷える子羊たちをお救いください。
わたしに力と勇気をお与えください。
彼を、いえ、あの悪魔を、滅する勇気をお与えください。
わたしは立ち上がりました。
あの悪魔さえ葬れば、得体の知れない呪詛は解け、みな助かるはず。
そのための天啓であったのだと、ようやく知ることができたのです。
すぐに索敵方陣を展開します。皮肉にもそれは彼が得意とした魔術式であり、わたしはそれをさらに応用展開します。
女神ローアの秘蹟。
洗礼をうけたローア教信者は体内に女神ローアの固有魔力を宿し、その核は無意識集合体へとつながっています。その時空をこえた集合体にアクセスすることで志を同じくする信者の魔力や肉体を借りることができるのです。もちろんこれは禁忌であり公にされていない近年発見された神の秘蹟でしたが、聖女候補として目をかけられてきたわたしは万一の事態にそなえその事実を司祭エテルより知らされていました。
もちろん利用するのは今回がはじめてであり、本来なら司教位以上にしか許されない大魔法でしたが、志を同じくする信徒を救うためならば、いかなる処罰を受けようとも甘んじて受け入れる覚悟とともにそれを行使します。
これは天啓であり神のおぼし召し。
都市に点在する信徒の身体を借り、蜘蛛が糸を巡らせるように、一気に索敵方陣を拡張させ、それを都市全体へと広げていきます。
――かはっ!?
さすがに行使するには魔力と精神、肉体の消耗が著しいようでしたが、
しかし見つけました。
彼はわたしの索敵に気づきながら、そこを動く気配もありません。
そうですか、わかりました。
では、これより因縁と偽りだらけの関係に終止符を打ちましょう。
わたしは地下へと足をむけます。
待っていてくださいネト、今から貴方を殺しにいきます。




